世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3921
世界経済評論IMPACT No.3921

カンボジアとタイの国境紛争:「私に嘘をつくな(Don’t Thai to me)」

鈴木亨尚

(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

2025.08.04

 2025年7月24日,カンボジアのフン・セン上院議長(前首相)は,タイ・メディアが自身の中国逃亡を報じたのに対し,「タイの政治家やメディアがフェイク・ニュースを流すのは,今や,日常文化となっている。勝手にしろ,だまし続けろ。ただし『Don’t Thai to me!』(私に嘘をつくな)」との文書をネットにアップした。「私に嘘をつくな(Don’t Thai to me)」は遅くとも2010年代初頭には東南アジアで用いられるようになったスラングで,“Thai”と“lie”の音が似ているところから生まれた。とはいえ,フン・センがこれをあえて用いたのは,「タイ」と「嘘」を連想させるためだったと思われる。

 23日,ウボンラーチャタニー県チョンアーンマーで,タイ兵士が地雷を踏み,5人が重軽傷を負った。タイ軍はカンボジアが最近埋設した地雷だと考えている。これを受けて,タイ政府は,新たな地雷埋設を防ぐためと称し,スリン県のタ・ムアン・トム寺院(カンボジアではオドーメンチェイ州の「タ・モアン・トム寺院」)とタ・クラベイ寺院の閉鎖を決定した。これにより,両国の関心は両寺院に集中した。24日午前7時35分,タイ軍は,タ・ムアン・トム寺院に部隊を派遣,カンボジア軍に対し,同寺院の閉鎖と観光の禁止を一方的に通告したが,当然,カンボジア軍は不同意だった。その後,タイ軍部隊はタ・ムアン・トム寺院全体の鉄条網設置作業を開始した。これはMOU43(2000年に両国が締結した国境画定に関する覚書,43は仏教暦2543年の意味)違反だと思われる。タ・ムアン・トム寺院では2008年にも交戦がなされた。

 最初の行動や発砲がいずれの国にあったかは明らかではない。このようなことに関して,嘘が頻発されるのは通例である。警戒を強めていたカンボジア軍は,同寺院の鉄条網による封鎖を直ちに把握,近くに銃器を設置,偵察ドローン1機を飛ばした。しかし,残念なことに,このドローンが大きな音を出したために,タイ軍部隊にカンボジア軍部隊の存在を気づかれてしまう。その後,ロケットランチャーを携行した1人を含む6人の兵士が同寺院に接近,交渉を要求した。待ち構えていたタイ軍は交渉を拒否,銃撃戦となった。これは午前8時20分頃である。タイ側は寺院から200mの地点から「カンボジア軍が発砲し,応戦した」と述べている。カンボジア軍は「タイ軍が先制攻撃をした」と述べている。10時頃,プレアヴィヒア州プノムクモウイ(お化け山)でも両国は交戦した。

 その後の戦闘で,カンボジアはBM-21グラート(旧ソ連製122mm自走多連装ロケット砲)を使用した。24日午前11時30分頃,シーサケート県でコンビニがロケット砲の直撃を受けた。現場に居合わせた少なくとも6人が死亡,10人が負傷した。その後,病院付近にも着弾している。BM-21グラートは無誘導弾で,カンボジア軍は市街地を攻撃したが,コンビニや病院を狙ったかは定かではない。カンボジアは中国製のPHL-81(射程40km)も使用している。戦域はウボンラーチャタニー県,シーサケート県,スリン県,ブリラム県に及んでいる。一方,タイ空軍は24日午前10時51分,F16戦闘機6機をウボンラーチャタニー県チョンアーンマーに展開,カンボジア領内の軍拠点2カ所を空爆した。25日にはクラスター爆弾も使用し,26日には戦域をポーサット州に拡大した。

 カンボジアとタイは面(領土)や線(国境)ではなく,点(寺院)の保持・獲得をめざした。寺院とは上記2寺院とプレアヴィヒア寺院を中心とする。24日中には戦闘はタ・クラベイ寺院に及んだ。カンボジアは,24日夜,タイ軍の戦車による砲撃,戦闘機や重攻撃ドローンによる空爆により,プレアヴィヒア寺院の一部が破壊されたと非難,武力紛争の際に文化財を保護するハーグ条約に違反し,戦争犯罪にもあたる可能性があるとした。25日,同寺院近くのプーピー地域の両軍の激戦により,カンボジア兵士100人が死亡したと報じられている。ただし,これはカンボジア政府によって確認されていない。26日,カンボジア軍は他の係争地から離れたタイ南東部トラート県に侵入,タイ軍はこれを撃退した。カンボジアは国境未画定地域である同県内のクート島への接近を意図したのだろう。24日から停戦合意が結ばれた28日までに,タイの兵士9人,民間人14人が死亡,13.8万人が避難,カンボジアの兵士5人,民間人8人が死亡,14万人が避難した。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3921.html)

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