世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
中国「産能過剰問題」の本質と行方
(多摩大学 客員教授)
2024.06.03
「出る杭には群がる」。これが中国の企業家である。スマホや家電メーカーの小米が,今年3月末,2年間という短期間で開発したEV,「SU7」を上市し,内外の話題をさらったが,同社の創業者である雷軍氏は,「風が吹いている場所を探せば,豚でも飛べる」と言った。EVはまさに「風が吹く場所」となっている。ここに新規参入ラッシュが起こるのは当然のことだ。地方政府も躍起になって企業誘致を行う。新規参入に加え,既存メーカーは増産に走る。結果,「産能過剰」が起こる。しかし,この問題は今に始まったことではない。むしろ中国経済の宿痾といえるものだ。
改革開放以降,中国は3度に渡って深刻な「産能過剰」問題を経験している。いずれも中国に深刻な影響を与えた。90年代,中国の産業は繊維など軽工業主体であり,改革開放の熱狂がこの分野において産能過剰問題を引き起こした。そして98年のアジア経済危機に際し,政府はこれを解決するため,1千万台に及ぶ紡織機の廃棄を命じた。廃却された紡織機はスクラップにされ,上海の製鉄所で溶解された。そして,軽工業分野の労働力は,重工業や電気工業などにシフトしていった。
次が,2013年から15年に渡って起こった鉄鋼,石炭,セメント,タイヤ業界の産能過剰問題である。大気汚染が深刻化していた時期とも重なる。対象となったのは国有企業であり,環境対策に余裕のない中小企業だった。国有企業には多くの「ゾンビ企業」が含まれていた。各地で有力国有企業が減産,閉鎖に追い込まれた。鉄鋼産業が盛んだった黒竜江省の経済は大きなダメージを受け,未だ回復半ばの状態にある。山東省では,300社近い中小のタイヤメーカーが操業停止に追い込まれた。これらの措置により,数百万人の従業員がリストラされ,労働争議も頻発した。リストラされた従業員の多くが,当時,昇天の勢いのあったプラットフォーマーの現場労働者として吸収されていった。
三度目が,不動産の供給過剰問題である。これは,開発業者の過剰債務問題と過剰在庫問題も併発した。党・政府は2019年に「房住不炒」というスローガンを掲げ,翌年から3つの財務指標に基づく融資規制を開始した。これにより最大の不動産開発業者だった恒大集団が2.5兆元もの債務を抱え,2024年1月破綻処理に追い込まれた。住宅の新規着工件数は2020年から23年にかけ6割も減少し,販売面積も4割以上落ち込んだ。農民工主体の建設労働者の離職は21~23年で約1千万人に及んだ。党・政府は,資金繰り難によって工事中断に追い込まれた物件の竣工,購入者への引き渡し(「保交楼」政策)を急ぎ,一部政府資金も投入され,良質な物件には金融機関の融資も再開された。これにより300万世帯相当の物件が竣工に漕ぎつけた。ほぼ完了といって良いだろう。
そして今年5月,住宅ローン金利の下限が撤廃された。期間30~50年におよぶ超長期国債も発行され,不動産関連不良債権の処理に充当されることも決まった。また,延べ38億平米,4千万世帯分におよぶ住宅在庫を縮減させるため,購入対象者を農民工に絞り込んだ保障房(低所得者向け住宅)販売が開始された。人民銀行が3千億元の資金を商業銀行に供与する一方,この資金を借り入れた国有企業が70平米以下の在庫住宅を半値八掛け(平米あたり5千元)で購入し,これを農民工に販売するという施策である。これにより,購入者は購入地の戸籍を取得できるようになった。中国における深刻な社会問題の一つでもあった農民工の戸籍問題も解消に向かうことになった。
5月25日に閉会したG7蔵相・中央銀行総裁会議の議題の一つが中国の「産能過剰問題」だった。対象はNEV(新エネルギー車),太陽光発電パネル,車載バッテリーの「新三様」産業である。いずれも中国が圧倒的な世界シェアを持ち,将来の成長が見込め,かつG7諸国が出遅れている分野である。G7サミットに先立ち,米国のバイデン政権は,中国製EVに対する関税を4倍の100%に,太陽光パネルについては2倍の50%に引き上げると発表している。EUも昨年から中国政府によるNEV産業に対する助成金の調査を開始し,該当する企業が製造するNEVに対し25%の関税を課すこととしている。政府の助成金を得た中国企業が,これをもとに生産能力を拡大し,オーバーフローした分をダンピング輸出することにより,輸入国の新興産業が打撃を受ける懸念がある,というのが理由だ。
これら新三様の産能過剰問題は,党・政府も十分認識している。昨年末に開催された中央経済工作会議,および今年3月の全人代での政府工作報告においても,この問題が詳細に論じられている。ただ,党・政府が懸念するポイントは上記のG7諸国のものとは大きく異なる。まず指摘されるのは,この問題の原因の一つが市場の需給変動によるものであることだ。コロナ禍の中,世界の製造業の稼働率が低下する中,生産を継続し商品を供給し続けてきたのは中国の製造業だった。コロナ禍が過ぎ,世界の生産が回復する中,ロシアによるウクライナ侵攻が勃発し,経済の先行き不安が高まったことに加え,米国金利の高止まりが世界需要の縮減に繋がっていった。
次に,中国企業の宿痾とも言える「出る杭に群がる」傾向である。とくに新三様業種については,新規参入,重複投資が相次ぎ,これが激しい値下げ競争をもたらした。NEVに関してみれば,エンジン車の販売がこの3年間で30%も減少し,在庫が積みあがる中で,大幅な値下げ販売が行われた。これに対抗すべく,まず上海テスラが値下げの口火を切り,NEV各社が次々と価格競争に巻き込まれていった。ガソリン車とNEVの価格差は10%程度まで縮まってしまった。自動車業界の営業利益率は昨年5%台に落ち,今年はそれを割り込む懸念も生まれている。ただ,ここで留意しなければならないのは,こうした事象は,技術力や製品の質の向上を伴っていることである。激しい国内競争の結果,より安く,より良いものが生産されており,それが猛スピードで進行しいているのだ。
最後に,新三様に限らず,中国の製造業全体が慢性的な過剰生産設備の問題を抱えていることである。これは低稼働率となって現れる。今年第1四半期の製造業の稼働率は73.6%で,この10年間で三番目の低水準となった。党・政府が重視しているのもこの問題だ。中国の場合,適正な稼働率は76~80%とみられているが,これはG7平均を下回る。しかも,中国の労働生産性は労働者1時間あたり13ドルと,中南米,中東諸国よりも低いレベルにある。まだまだ人海戦術に依存している生産現場が多いとも言える。一方で少子高齢化が加速しているので,労働生産性の改善と向上は待ったなしの課題でもある。習近平政権が「質の向上」を繰り返し訴えているのもこうした問題が背景にある。そして,労働集約型産業は主にASEAN地域に再配置されるようになっており,保護主義に対応した輸入国およびその周辺国での現地生産の動きも活発なものとなっている。
イエレン財務長官は,4月の訪中の折,「中国の生産能力は世界の需要を吸収しても余りある巨大なものとなっている」と発言した。しかし,逆の見方をすれば,中国の製造業なくして世界の人々の生活は成り立たない状態になっているとも言える。また,NEVや太陽光発電パネルに対する関税の引き上げは,おそらく一時的な効果しかなく,逆に輸入国の消費者の負担を高めるだけの結果となる公算が高い。歴史的に見ても保護主義が奏功した試しはない。
振り返って日本を見ると,とくに米国との通商交渉では,1972年の日米繊維交渉において輸出自主規制を余儀なくされ,77年の牛肉・オレンジ交渉では輸入枠を拡大,81年には自動車の輸出自主規制,85年には半導体の日本市場開放,そして89年の日米構造問題協議では日本の様々な商慣行までが交渉の対象となった。「出る杭」だった日本は,都度その頭を叩かれ,譲歩に次ぐ譲歩を余儀なくされてきた。構造問題協議などは,「性格が悪い」という身もふたもない内容だったと言える。
一方,中国の党・政府は,産能過剰問題を国内経済の構造問題と捉え,それが通商交渉の俎上に上ることを拒否している。4月に訪中したドイツのショルツ首相に対し,中国側が放ったのは,ダーウィニズムの適者生存の原理だった。過去3度に及ぶ産能過剰問題を構造改革を通じて克服してきた中国だが,今回は,国内の構造問題だけでなく,グローバルサプライチェーンの再編成という世界規模の構造調整にもつながってゆく可能性がある。
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