世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3374
世界経済評論IMPACT No.3374

出口の見えない英国社会

小林規一

(国際社会経済研究所(IISE) 主幹研究員・立命館大学デザイン科学研究センター 上席研究員)

2024.04.15

 2年ぶりにロンドンに滞在する機会があったが社会の変わり様に驚いた。欧州はコロナ収束後に景気の停滞,物価や金利上昇に悩まされていると聞いていたが,街を歩いていると高級住宅地にある商店街でも閉店している店が少なくない。市内の商店では万引きが増えており,警備員を増やしたり店の外に商品を並べるのを止めた店も多いとのことだった。英政府は財源不足で警察官の削減を強いられ,結果としてスリや万引きなどの軽犯罪を警察は捜査しないので,これが事態を一層悪化させている。また,久しぶりに車を運転すると道路のあちこちに大きな穴が空いているのにもびっくりした。英国では冬季に道路の雪を解かすために塩を蒔くので,それがアスファルト舗装を劣化させて道路の一部が陥没して穴が出来る。全国の地方自治体が道路を補修する予算が十分に取れないのが大きな理由としてあるようだ。また,ロンドン市内ではいつもどこかで道路工事をしているが,朝夕に人が働いているのを見るのはまれで,工事現場に設置された無人の信号機による交通渋滞が日常茶飯事になっている。渋滞する車の中で穴のあいた道路を見ながら不在にしていた数年間でこうも社会が様変わりしてしまうものかと考えこんでしまった。

 英国の問題の深刻さは今の状況を打開する出口が見えていないことだ。英国のGDPは世界第六位だが,GDP成長率は2023年第3,第4四半期と連続で前期比マイナス成長となり景気後退に入っている。IMFによると英政府債務のGDP比率は2023年に106%と日本の258%を大きく下回りまだ財政政策の余裕があるように見える。しかし49日の超短命政権に終わったトラス首相が看板政策として2022年に掲げた大型減税と財政の拡大が金融市場の混乱を引き起こし,急激な通貨安,株安,国債価格の下落などを招いたことが,与党保守党のスナク首相が景気後退の局面でも緊縮財政政策を取らざるを得ない背景にある。政府が緊縮財政を続ければ地方交付金も減るので全国の地方自治体も同じ状況であり,既に英国第2の都市バーミンガムが財政破綻を宣言し中央政府の管理下に入っている。

 大手調査会社YouGovの世論調査によると保守党の支持率は2月末時点で20%と低迷し,過去50年の最低を記録している。今年11月に実施されると見られている総選挙では労働党が優位に立っているが,労働党が政権をとれば事態は改善するかといえばあまりいい材料は出ていない。一つの希望は2016年の国民投票時に労働党はEU残留を支持していたのでもし同党が政権を取ればEUとの関係改善に動くことで欧州域内貿易拡大の恩恵が出てくるかもしれないことだ。労働党は政権獲得時のミッションとして経済,エネルギー,NHS(国営医療サービス),治安,格差是正に取り組むとしているがいずれの問題も解決策は見えていない。

 ブレグジットでEUと決別した英国はその直後にコロナ禍で大きなダメージを受けたのみならず,ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー価格高騰やブレグジットによる欧州大陸とのサプライチェーンの混乱などにより一時は10%以上の激しい物価上昇に苦しむことになった。人々が賃上げを要求するストライキは鉄道,病院,空港,郵便局,教員など幅広い業種に広がっている。また,財源不足によりNHSの医療待機者は700万人以上に上っている。気が付くと出口の見えないトンネルに迷い込み,多くの英国人は「仕方ない」と半ばあきらめの境地にいるように見える。

 それでは英国はこのままずるずると衰退していくのかというと私はそうではないと信じている。英国は今までもグローバルに通用する斬新なイノベーションを数多く生み出してきた。サッカー,ゴルフ,テニス,ラグビーといったスポーツ,他にも音楽(ビートルズ等のロック)やファッション(ミニスカート)などは世界で知らない人はいないであろう。現在スナク政権はAI,量子コンピュータ,先端半導体,バイオテックを中心にした成長戦略を推進しており,世界知的所有権機関(WIPO)のGlobal Innovation Index 2023で英国は米国に次ぐ4位にランクされている。米国のシリコンバレーが世界から才能を集めてIT産業の成長をリードしているように,英国も次のイノベーションを起こす可能性とダイナミズムを秘めていると思う。

 パンデミック問題,米中対立激化,気候変動,ウクライナ侵攻の長期化,パレスチナ/フーシ派など世界規模の変化の波が次々に押し寄せる中で,日本は今のところ他国に比べ安全,清潔,便利な社会を持ち表面上は大きな問題はないように見える。しかし,日本も英国をはじめとする他の先進国と同様に経済成長率の低下,少子高齢化の進行,医療費/社会福祉費の増大による国家財政圧迫といった深刻な課題に直面しており,ハッと気づいた時には今の英国のようになりかねない。英国は第二次世界大戦後,英国病といわれるスタグフレーションに苦しんでいたが,初の女性首相サッチャーが現れ1980年代に規制緩和や民営化を断行し経済の建て直しに成功している。英国は長い歴史の中で何度も危機を乗り越えてきた。トンネルの出口はまだ見えないが,逆境に打ち克つ不屈のジョンブル(英国)魂を発揮し,英国が自らをどう変革していくのかを注視していきたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3374.html)

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