世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3359
世界経済評論IMPACT No.3359

炭素生産性の中身を探る:真の生産性と搾取要素

岡 敏弘

(京都大学公共政策大学院・経済学研究科 教授)

2024.04.01

 人為起源の温室効果ガスのほとんどを化石燃料消費に起因するCO2が占めるが,産業革命以降の経済成長は化石燃料の消費とともにあったから,人為起源の気候変動と経済成長とは切り離し難く結びついている。日本経済が急速に成長した1950年代半ばから1960年代半ばまでの10年でエネルギー消費は3倍に増えた。そのほとんどは化石燃料のエネルギーである。その後は伸び率が徐々に低下したが,エネルギー消費は成長とともに伸び,化石燃料に起因するCO2の排出量が頂点に達したのはようやく2013年度であった。

 その後は年2.7%くらいずつ低下して,2022年度の日本CO2排出量は2013年度の約8割,1990年度の約9割になったが,今の豊かさがCO2排出によって支えられていることに変わりはない。だから,CO2排出を減らしながら豊かな生活を維持していけるのかが深刻な問いになったのは当然である。「炭素生産性」はGDPをCO2排出量で割ったものであるから,この課題が達成できるかどうかを示す指標となりうる。

 この炭素生産性が日本では低下してきた。2015年基準実質米ドル表示で1995年に6600ドル/t-CO2だったのが,2018年には4000ドル/t-CO2に下がった。この間ドイツは4000ドル/t-CO2から4800ドル/t-CO2に,スウェーデンは5900ドル/t-CO2から11500ドル/t-CO2に伸ばした。EU15ヶ国(2004年4月以前からのEU加盟国)では,4000ドル/t-CO2から5500ドル/t-CO2に上昇している。CO2排出大国の米国ですら2100ドル/t-CO2から3800ドル/t-CO2に伸ばした。

 環境省のカーボンプライシングのあり方に関する検討会は,この状況を日本経済が「量から質への転換」という社会変革を実現できていないからだと捉え,一方で,「世界各国で,カーボンプライシングによって温室効果ガスを削減しつつ,経済成長とのデカップリングを達成している事例が報告されている。例えばスウェーデンは炭素税導入後,経済成長を続けながら,一次エネルギー供給に占める水力を除く再エネの比率が拡大した。」と述べて(同検討会取り取りまとめ(2018)36頁),社会変革への方向づけを保証する政策として炭素価格づけを提唱した。

 炭素生産性という指標はそのような政策方向づけの根拠になりうるのだろうか。低炭素社会への移行が,産業構造の転換と結びつけて語られることがしばしばある。そのような構造の変化は,経済発展がある段階に達した後に,製造業が縮小してサービス産業などの比率が高まる,あるいは,製造業の中でも重厚長大が減って軽薄短小が増え,製造部門が縮小して開発部門に重きが置かれるようになるという形を取るのが典型的であるが,そのような構造変化はCO2排出を減らして炭素生産性を高めるだろう。しかし,生活水準が維持できているとしたら,それを支える製造業の製品はどこか外国で同じだけ作られ,あるいはいくつかの工程が外国のどこかで担われて,生産された製品がその経済に供給されているはずである。このような構造変化は,CO2排出が外国に移ることによって炭素生産性を高めるという側面をもつだろう。また,そのような構造変化が,より付加価値の高いものを輸出して,付加価値の比較的低いものを輸入することと結びついていれば(これを上記の検討会も提唱している),同じ労働を投下して生産したものと引き換えに,より多くの労働が投下された財を獲得できることになり,これも炭素生産性を高めるだろう。

 この2つの要素は,他国にCO2排出を押し付け,他国の労働で作られたものを消費することで炭素生産性を引き上げることができることを示している。しかし,そのようにして炭素生産性が上がっても,それは,人類が豊かさを維持しながらCO2排出を減らすという課題に希望を与えてくれる変化ではない。そこで,私は大学院生の劉婧雯さんと一緒に,この2つの要素を排除して「真の炭素生産性」を取り出す研究を行っている(The Decomposition of Carbon Productivity Under the Context of International Trade)。

 具体的には次のようにする。炭素生産性はGDP/CO2だが,これに労働投入量をかけて割っても同じことだから,(GDP/労働)✕(労働/CO2)と書き換えられる。GDPは国内で生産された付加価値だが,生活の豊かさはむしろ消費に結びついている。投資も将来の消費と結びついて豊かさにつながるとみなせば,最終需要(政府も含む)が豊かさと関係が深い。そこで,需要をかけて割れば上の指標は,

 (需要/労働)✕(労働/CO2)✕(GDP/需要)

となる。GDPと需要の差は貿易黒字だから,最後の成分は貿易黒字の程度を示す。この式の中の「労働」は国内で行使された労働の量である。消費される財サービスに投下されている世界の労働はこれとは異なる。そこで,後者を「消費労働」と書いて,それをかけて割ってやれば,上の指標は

 (需要/消費労働)✕(消費労働/労働)✕(労働/CO2)✕(GDP/需要)

となる。さらに,消費される財サービスを世界のどこかで作るときに排出されたCO2を「消費CO2」と書いて,これをかけて割ってやると,

 (需要/消費労働)✕(消費労働/労働)✕(労働/消費CO2)✕(消費CO2/CO2)✕(GDP/需要)

となる。並べ替えて

 [(需要/消費労働)✕(労働/消費CO2)]✕[(消費労働/労働)✕(消費CO2/CO2)]✕(GDP/需要)

が得られる。

 最初の要素は豊かさを支えるのにどれだけの労働が投下されているかを示し,真の労働生産性を表す。2つ目の要素は,労働人口がどれだけのCO2排出によって養われているかを示し,CO2の人口維持力と言ってよいだろう(人口1人あたり排出量の逆数である)。この2つの積が「真の炭素生産性」である。3つ目の要素は,国際貿易を通じて自国の労働がどれだけの他国労働を支配しているかを示し,「労働搾取度」と言ってよいだろう。4つ目は,これも国際貿易を通じて自国炭素排出がどれだけの他国炭素排出を支配しているかを示しているから「炭素排出搾取度」と呼べるだろう。最後の要素は貿易黒字度である。最後の3つはどれも世界全体で足し合わせると1になる。

 国際産業連関表を使って消費労働と消費CO2を計算し,上の式によって分解してみると,1995年の日本の真の炭素生産性は実は3300ドル/t-CO2しかなかった。搾取成分が2.0あって,真の生産性の2倍の見かけの炭素生産性をもたらしていたのだ(ちなみに貿易黒字度は1.0)。2018年の真の炭素生産性は2800ドル/t-CO2までしか下がっていない。搾取成分が1.4に下がったからだ。この間の炭素生産性の低下2700ドル/t-CO2のうち,1500ドル/t-CO2は搾取成分の低下によって説明できることになる。真の炭素生産性のうち,真の労働生産性が1700ドル/t-CO2下がって,炭素の人口維持力が560ドル/t-CO2上がり,差し引き1100ドル/t-CO2の低下となった。

 EU15は,1995年の真の炭素生産性が2400ドル/t-CO2で,2018年のそれが3400ドル/t-CO2。その間搾取成分は1.7から一時1.8を越えるまでに上昇したが,2018年には1.6になった。米国の真の炭素生産性は,1995年に1400ドル/t-CO2だったのが,2018年には2300ドルに上昇した。搾取成分は1995年の1.5から一時2を越えるまでに上昇したが,2018年は1.7に落ち着いた。中国の見かけの炭素生産性は,1995年が360ドル/t-CO2で,2018年は1300ドル/t-CO2。真の炭素生産性は,1995年が450ドル/t-CO2で2018年が1500ドル/t-CO2である。真の生産性が見かけの生産性よりも高いということは搾取成分が1より小さい,つまり搾取されていることを示す。搾取成分は1995年に0.79であったのが,2005年には0.65まで下がり,2018年に0.86に回復した。欧米と対象的な動きをしているが,世界の工場としての地位の変化を表していると思われる。

 日本の炭素生産性低迷の5〜6割が,日本が世界の他の地域を搾取する度合いを緩めたことによって説明できた。真の炭素生産性は,主に真の労働生産性の低下によって起こったが,炭素の人口維持力は,原発事故の影響によって伸びを抑えられながらも近年は欧州と歩調を合わせながら上昇している。日本は先進国の中で搾取度を一貫して弱めた稀有な国である。個人や企業の意図した行動が,制御できない経済環境の要因と絡まって起こったことだろうが,新興国が発展する中で国内製造業が踏みとどまって,鉄を作って輸出している国であるといったことが関係しているに違いない。主体的な努力でどうにもならない世界の構造変化の力もあるだろう。見かけの炭素生産性に目を奪われて,炭素価格づけで「社会変革」をといったぼやけた目標を追求して,世界への真の貢献を放棄してしまうことがないように気をつけたいものである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3359.html)

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