世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ナゴルノ・カラバフの次はアルメニア本土:トルコ・アゼルバイジャンの野望「ザンゲズル回廊」
(ジャーナリスト norifumi.namiki@gmail.com)
2023.10.09
古くて新しい領土紛争が一つの結末を迎えた。ナゴルノ・カラバフでアゼルバイジャンが軍事行動を再開し,その結果,現地のアルメニア人自治政府・アルツァフ共和国の解体が決まったのである。
欧米では,アルメニア人大虐殺の記憶を呼び起こし,「人道危機」「民族浄化」として大々的に報じられている。一方で我が国のメディアの扱いは小さく,単なる領土紛争におけるアゼルバイジャンの勝利,ロシアの影響力低下という観点からしか報じられていない。
我が国で語られる話として,ウクライナ侵攻にロシアが手一杯なことによる力の空白が,アゼルバイジャンの行動を招いたというものがある。これは実に皮相的な見方だ。全てのきっかけとなった2020年の衝突でも,ロシアはただ傍観者としての役割しか果たしていなかった。その時からロシアはすでに,コーカサス地域での影響力を失いつつあったのだ。
実際,2020年からの“第二次ナゴルノ・カラバフ戦争”とでも呼ぶべき一連の衝突において,一番の敗者はロシアと言える。
ロシアの勢力が中央アジア,コーカサス地域に及んだのは,18世紀からと歴史的には比較的新しい。コーカサス地域はそれまで,オスマン帝国の勢力圏にあった。プーチン同様,トルコのエルドアンもまた,過去の帝国復興を夢見る独裁者だ。ロシアの退潮を奇貨として,コーカサス地域は,トルコが時代錯誤の汎トルコ主義の野望の舞台になっているのである。そして,ロシアは己の怠慢により,汎トルコ主義への楔となっていたアルメニアまで失おうとしている。
汎トルコ主義とは,オスマン帝国,そして後継国家トルコがトルコ系民族諸国を指導すべし,というものだ。アゼルバイジャンはトルコ系民族国家である。かつ腐敗指数の順位はトルコはおろか,あのロシアをも遥かに下回るほどであり,富と権力は大統領アリエフ一家に集中する。つまり,アリエフを唆せば簡単に動かすことができるちょうどいい駒なのである。
実際,アリエフは20年間も政権の座に居座りながら,ナゴルノ・カラバフ“奪還”に向け本格的に動き出したのは,トルコが覇権主義的な動きを強めてからであった。
トルコは経済成長が鈍化しエルドアンの強権体制への批判が強まると,その不満を外にそらすかのように軍事行動を活発化させる。2016年のシリア越境攻撃「ユーフラテスの盾」を皮切りに,東地中海でのガス田開発によるギリシャなどとの緊張激化,イラクでの違法な基地増設,リビア内戦介入,そしてナゴルノ・カラバフ紛争の再燃がある。2020年の衝突では,トルコ軍がアルメニア軍機を撃墜したり,アゼルバイジャンの飛び地ナヒチェバンで合同軍事演習をしたりするなどトルコ主導の露骨な介入を受け事は進んだ。
そして,アゼルバイジャンの軍事行動は恐らくこれでは終わらない。アリエフは25日,飛び地ナヒチェバンでエルドアンと面会した。そのなかで飛び出した言葉が「ザンゲズル回廊」だ。
アルメニアはちょうど,アゼルバイジャンとトルコの間にあり,陸路での接続を阻んでいる。ロシアの楔たる所以である。しかし,アルメニア南部に回廊が開ければ,アゼルバイジャン本土と飛び地ナヒチェバンはつながり,ひいてはトルコとアゼルバイジャン本土は陸路で接続されることになる。両者がわざわざ飛び地で面会したのは,この回廊に関するメッセージを伝えるためだったのだ。
アリエフは今回の戦闘再開前から,アルメニアを指し「西アゼルバイジャン」と呼び,首都エレバンにさえ「アゼリー人が帰還する権利がある」と領土的野心を露わにしてきた。そして,この回廊にあたる地域の領有権も主張している。
「ザンゲズル回廊」が実現しても,果たして新たな経済的機会がどれだけ生じるかについては,疑問符がつく。アゼルバイジャンの主要な輸出品たる天然ガスなどはすでに,パイプラインを通じて輸送されている。しかし,人心の離反に苦しむエルドアンは,勢力圏拡大を国内に誇示することができる。
ナゴルノ・カラバフ問題をめぐっては,スペイン・グラナダでのヨーロッパ政治共同体の会議にあわせ,独仏とEUの代表を交えての協議が予定されていた。しかし,アゼルバイジャンはこれを一方的に欠席した。アリエフは「EUの敵対的姿勢」をその理由とした。対話の拒絶は,アゼルバイジャンによる新たな戦争への懸念拡大につながった。
アルメニアとて手をこまねいているわけではない。フランスから兵器供給の約束を取り付け,それと引き換えにICCへの加盟に向けたローマ規程の批准を決議した。ICCはプーチンの逮捕状を出している。ロシアを見限るのもやむなしとの決断だ。
コーカサスの戦乱はまだ始まったばかりである。ナゴルノ・カラバフにおけるアゼルバイジャンの“勝利”はその端緒に過ぎない。
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並木宜史
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