世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3115
世界経済評論IMPACT No.3115

国際関係論におけるリアリストとリベラリスト

岩本武和

(西南学院大学経済学部 教授)

2023.09.18

 国際関係論には,リアリズム(現実主義)とリベラリズム(理想主義)という二大潮流がある。

 リアリズムは,国際政治学においては長く主流の位置を占めてきた立場であり,ホッブスが『リヴァイアサン』において,自然状態を「万人の万人に対する闘争」としたように,国際社会はアナーキーであり,国際政治を国家間の権力闘争とみなす立場である。リアリズムの分析単位は,あくまで「国民国家」であり,重視されるのは,「国益」と「勢力均衡」である。とりわけ大国の覇権(ヘゲモニー)が分析対象に置かれ,「国際社会の安定のためには覇権国が存在しなければならず,かつ覇権国は一国でなければならない」という「覇権安定論」(キンドルバーガーの罠)は,その代表的な理論である。この系譜は,古代ギリシャのトゥキディデスを始祖とし,マキャベリやホッブスを経て,ハンス・モーゲンソウやロバート・ギルピンのネオリアリズムに至る。日本では,猪木正道や高坂正尭などがこの系譜に属する。

 パワーポリティクスが重視されるので,安全保障や抑止力としてのみならず,実際に軍事力が行使される戦争も,国際紛争解決の手段と見なされる。よく喧伝される「トゥキディデスの罠」という仮説は,今の覇権国と次の覇権国候補は,戦争に陥りやすいとの考え方で,アメリカの国際政治学者グレアム・アリソンが提唱したものである。彼によると,過去500年間に新旧の大国が覇権を競った16例中,12例が戦争に陥った(『米中戦争前夜―新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』ダイヤモンド社,2017年)。現在の米中対立を新旧覇権争いとみなすかどうかは,議論があるところだろうが,リアリストの立場からみれば,台湾有事を契機にトゥキディデスの罠(米中戦争)に陥る事態を回避したいということになるのであろう。トゥキディデスもマキャベリも,戦争の時代に生き,その人生は暴力的な紛争という犠牲を伴うものであった。ウェーバーの「責任倫理」こそ,リアリズム的思想にとって中心的なものであった。

 これに対してリベラリズムは,国際社会の主体として,国家だけではなく,経済体制,政治体制,さらには文化資本のような広範な広汎で多元なアクターを許容し,それらによる国際協調を重視する「レジーム論」が代表的な理論である。国家間の相互作用は,軍事力の行使や狭義の外交といったハイポリティクスではなく,国際機構,企業などを主体とする経済分野,個人を通じた文化などのローポリティクスにまで及ぶと主張する。この系譜は,モンテスキューやカントに始まり,アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンを経て,ロバート・コヘインやジョセフ・ナイがネオリベラリズムの提唱者である。日本では,坂本義和や藤原帰一などがこの系譜に属する(なお新自由主義を意味するネオリベラリズムとは全く意味が異なることに注意)。

 よく「アメリカが」とか,「中国が」とかいう主語が無意識に使用されるが,「国家が」単一の意思決定の主役であるかのように言うのは,リベラリズムの立場から言えば,リアリスト的な陥穽である。国家にはさまざまな意思決定の主体が存在するし,そうした主体は国家を越えて存在する。

 この2つの立場に優劣をつけるのは愚かなことだ。スイスの画家であるサンドロ・デル・プレートの「イルカたちからの愛のメッセージ」というだまし絵は,大人には「男女の抱擁」に見えるが,子供たちには「9頭のイルカ」が上下に泳いでいると映るという。捉え方が異なるのは,経験というフィルターを通して絵を見ているからである。リアリズムとリベラリズムといった人文社会科学の理論も,同じ現実を2枚の合わせ鏡に映したものである。前の鏡で見えなかった部分が後ろの鏡で見えるといったように,リアリズムという鏡で映し出された国際政治経済をリベラリズムという鏡で見ることで,国際政治経済の実態がより多面的に認識できるはずである。

 ところで,モーゲンソーを始めとし,アメリカを活動の中心地とする,古典的なリアリストの多くが,「1930年代のファシズムと共産主義の台頭のために退去を余儀なくさせられたヨーロッパからの移民」であったということには注意を要する(ルイス・A・コーザー『亡命知識人とアメリカ』岩波書店,1988年)。ハンナ・アーレントはモーゲンソーの親しい友人であった。「彼らは,リベラルアーツという似通った広範な中等教育を受け,人々は公共の場で他者と関わることによってしか自分自身を人間として体験することができないと信じていたという点で共通の人文主義的世界観を共有していた」(フェリックス・ロッシュ,リチャード・ネッド・リボウ「リアリズムの現代的視点」)。

 興味深いことは,新自由主義で保守派の牙城と言われる「シカゴ大学」が,彼らの一つの拠点となっていたことである。ナチスとスターリニズムというファシズムからアメリカへ逃れてきたヨーロッパの知識人たちにとって,「自由」とは何であったのだろうか? 戦後人文社会科学の最大の問いの一つである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3115.html)

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