世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.566
世界経済評論IMPACT No.566

TPP論議を振り返って

佐竹正夫

(常磐大学国際学部 教授)

2015.12.28

 TPP交渉が大筋合意した。批准という大きな山が残っているが,「国論を二分する」とまで言われたTPP問題は二つ目の山(一つ目は交渉参加)を越えたといえる。この機会に初期の論争について,少しの感想を述べてみたい。

 TPP交渉参加が政治問題となったのは,2010年10月1日の菅元首相の所信表明演説からであった。経済界や全国紙がこれに賛同したが,10月半ばには民主党や国民新党らの国会議員180名からなる議員連盟「TPPを慎重に考える会」が発足,11月には自民党議員による「TPP交渉における国益を守る会」が「TPP参加の即時撤回を求める緊急決議」を出すなど反対派の動きが強くなった。このため「包括的経済連携に関する基本方針」(閣議決定,11月9日)において関係国との協議に入るとした政府方針は後退し,途中東日本大震災の影響もあって,関係国との協議は1年後の野田前首相に持ち越されることになった。

 この間,言論の場においても,反対派の声が大きくなった。2011年に入ってから,次々と反対派の——題名から一目でそれと分かるような——本が出版された。例えば,『恐るべきTPPの正体』『TPP亡国論』『TPPが日本を滅ぼす』『間違いだらけのTPP』『亡国最終兵器——TPP問題の真実』などである。これらの本はほとんどが新書版など一般向けの本であり,著者の多くは「評論家」と云われる人々である。もちろん反対派の中には農業経済学者や宇沢弘文,伊東光晴氏ら高名な経済学者も含まれているし,『世界』や『現代思想』などの雑誌でも反対論が展開された。しかし,全体として反対論は一般向けの本として出版され,その主張はインターネットを通じて拡散したように思われる。

 この点は推進論と対照的である。言論の場において,推進派の動きは反対派に比して遅かった。日本経済新聞や『経済セミナー』『季刊 国際貿易と投資』などで研究者から推進論が発表されたが,本の形で推進論が出版されたのは,2011年の後半からであった。翌年になると馬田啓一氏らを編者とするTPPの研究書が出版されて,やっと反対派の動きに拮抗するようになったとの印象を持つ。ただし,反対派の一般書と異なって,推進派のそれはハードカバーの研究書が多く,その題名も『日本のTPP戦略 課題と展望』というように硬く地味である。研究書であるため読者は限られている。言論の場を通しての世間への影響力という点では,推進派の影響力は反対派ほど強くなかったのではないだろうか。

 それでは内容の面ではどうであっただろうか。政府調達を例にとって,この点を考えてみたい。当時9カ国で行われていたTPP交渉の個別事項の中身を政府が公表したのは,私の知る限り2011年11月の『TPP協定の分野別状況』が初めてである。政府調達については,「WTO政府調達協定(GPA)並みかそれを上回る水準の規定とするかを中心に交渉が行われ,対象機関は,現在は中央政府に集中して議論されているが,地方政府等は今後取り上げられる模様」と記している。

 反対派の多くの本は,この『分野別状況』の公表よりもずっと前に出版されていた。それらの本の中では,政府調達について「TPPに参加することになれば,ただちに『問題化』する」と断定しているものもあるが,「TPPに参加すれば,現在の(政府調達額の)基準が大幅に引き下げられる可能性がある」と述べているものが多い。これは,日本がGPAで約束した調達基準額がP4協定などに盛り込まれたそれよりも大きいことに基づいている。政府もその可能性を認めている。

 他方,2011年11月16日の日本経済新聞に「公共事業への影響は?」という記事がある。この記事でも「基準額が引き下げられる可能性」は指摘されている。しかし,「交渉参加国のうちGPAに加入しているのは米国とシンガポールのみで,残る7か国がいきなりWTO以上の水準を目指すとは考えにくい」「GPAでは日本は都道府県と政令指定都市をすべて開放したが,米国は全米50州のうち37州にとどめている」と述べて,交渉に参加したとしても,日本の基準額が引き下げられる可能性が弱いとする要素を挙げている。

 同じ頃出版された推進派の本も,「地方の工事が外国企業に取られる」との懸念に対しては,新聞と同様の指摘をして,基準が引き下げられる可能性には否定的である。このような情報が与えられたが,反対派はその後も「日本がTPPに加われば,そうした基準は撤廃され,事業の規模に関係なく,あらゆる分野に外国の企業が参入してくる可能性があります」と述べるなど,「引下げの可能性」への言及は続いている。

 今回の合意では,日本政府の基準額は,GPAの水準から中央政府も地方政府も引き下げられなかった。政府調達に関する限り,ではあるが,推進派がより正確な情報を伝えていたといえる。この点はとても重要なことではないかと思う。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article566.html)

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