世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2998
世界経済評論IMPACT No.2998

バイデン大統領の信念と交渉力:債務上限交渉から見えたもの

滝井光夫

(桜美林大学 名誉教授)

2023.06.19

下院では民主党に迫る共和党の賛成

 バイデン大統領(民主党)とマッカーシー下院議長(共和党)はG7広島サミット前に2回,サミット後に2回,ホワイトハウスで協議を重ね,5月27日基本合意に達した(注1)。基本合意は全文99ページの「2023年財政責任法案」(HR3746)にまとめられ,下院は5月31日,賛成314(民主党165,共和党149),反対117(同46,71)で可決された。また採決には60票以上の賛成が必要な上院でも,翌6月1日,賛成63(民主党44,共和党17,無党派2),反対36(同4,31,1)で可決された。バイデン大統領は3日(土)に届けられた同法案に即署名し,同日,PL(公法)118-5として制定された。

 公法制定はデフォルトに陥るとされた6月5日のわずか2日前であった。上院が共和党提出の10本,民主党提出の1本の修正案のすべてを否決していなければ,上院修正法案は下院で再審議・再票決が必要になるため,5日までの成立はなかったかもしれない。

2023年財政責任法の概要

 バイデン政権にとって2023年財政責任法の最大のポイントは,国債発行限度額(現行31.381兆ドル)の適用を2024年11月の大統領選挙後,2025年1月1日まで停止し,現行の限度額を超えた国債の発行が可能となり,デフォルトが回避されたことにある(注2)。

 以下5月31日付の電子版ワシントンポスト(以下,WP)によると,第2は,内国歳入庁(IRS)の予算を200億ドル削減し,メディケアを除く家庭福祉手当に新たな受給要件を設けて,歳出の大幅削減を求める共和党の要求を食い止めた。また,軍事,退役軍人関係の予算は若干増加し,2024年度の国防費以外の歳出をほぼ現在の水準に据え置き,2025年度は前年度比1%増とした。

 第3は,環境団体が反対してきたウエストバージニア州からバージニア州への天然ガスパイプラインの建設が促進され,地元のマンチン上院議員にとって朗報となった。一方,学生の奨学金返済の停止を今夏以降延長しないというバイデン政権の方針は制度化され,奨学金返済免除の方針は維持された(この問題は現在最高裁で審理中)。

バイデン大統領の政治信念と交渉力

 マッカーシー下院議長は4月26日,共和党強硬派の要求を取り入れ,債務上限を1.5兆ドル引き上げる代わりに,歳出を4.5兆ドル削減する下院法案を賛成217,反対215で成立させている(詳細は4月27日付ジェトロ・ビジネス短信参照)。それから僅か1ヵ月後,マッカーシー下院議長は,バイデン大統領と4回協議しただけでバイデン大統領に譲歩した。なぜマッカーシーはバイデンに譲歩したのか。詳しいことは不明だが,アイルランド系カトリック教徒の2人の間に合意が整い,つい1週間前にはバイデンを嫌悪しているように見えた下院議長が大統領と腕を組んで写真に収まっている,と6月1日付WPにコラムニストのマット・バイが書いている。

 下院共和党の保守強硬派,フリーダム・コーカスに所属するチップ・ロイ(テキサス州21選挙区)は,「マッカーシーは下院議長を勝ち取るために自分と交わした約束を裏切った」と非難し,2023年財政責任法案を「糞サンドイッチ法案」と吐き捨てた。しかし,強硬派のフリーダム・コーカスには法案を否決するだけの力はない(注3)。WPのコラムニスト,デビッド・イグナティウスによれば,法案成立に大きな役割を果たしたのは,超党派の「問題解決者議員団」(Problem Solvers Caucus)だったという(注4)。

 そして,誰よりも問題解決に力を発揮したのは,半世紀にわたりワシントンで合意形成に尽くしたバイデン大統領であった。バイデン大統領は2年半前の就任演説で正常な秩序の回復を誓約し,「団結というと愚かな幻想のように聞こえるかも知れないが,それでも我々は力を合わせることはできる」と語ったとイグナティウスは書いている。超党派のインフラ法案,控えめな銃規制,超党派のチップス法,そし今回の債務合意。いずれもバイデンの政治信念の結実である。バイデン大統領は,決して共和党に勝ったとは言わない。「前進する唯一の道は,超党派の妥協だ」という信念に揺らぎはない。つまずき,転倒,高齢にばかり目を奪われていると,バイデン大統領の真の力量は理解できない。

[注]
  • (1)今回の債務交渉については,本コラム5月8日付No.2946「財政民主主義とデフォルト危機」,同5月15日付No.2956「米大統領と議会,デフォルト回避協議を開始」を参照されたい。なお,バイデン政権側の事務方の調整ぶりは6月3日付ニューヨークタイムズの記事 Biden’s Debt Deal Strategy : Win in the Fine Print などに書かれている。
  • (2)2024年の大統領選挙でバイデン大統領が再選され,新たな債務上限額が2024年中に設定されれば問題はないが,そうでなければ,今回と同じような混乱が2024年末に蒸し返されることになろう。
  • (3)4月14日付WP,Meet ‘the five families’ that wield power in McCarthy’s House majority によると,下院共和党5会派のうちフリーダム・コーカスは所属議員33人でProblem Solvers Caucusと同じく弱小会派である。
  • (4)Problem Solvers Caucus は2017年1月に発足した超党派の下院議員団で主要政策の協調を目指す。共同議長は民主党のJosh Gottheimer(ニュージャージー州)と共和党のBrian Fitzpatrick(ペンシルバニア州)。所属議員は民主党32人,共和党31人。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2998.html)

関連記事

滝井光夫

最新のコラム