世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2687
世界経済評論IMPACT No.2687

米国にとっていいことずくめの歴史的ドル高進行

武者陵司

(株式会社 武者リサーチ 代表)

2022.09.26

 ドル相場が急伸している。主要国通貨加重平均でみたドル指数は過去一年間で92から110へと20%上昇した。このドル高が,①輸入物価引き下げによる米国内インフレの抑制,②米国人の対外購買力の増大,③米国への資金流入による米長期金利の抑制,となって何重にも米国経済を支えている。同じインフレ下ではあるが,1970年代の高インフレ時代にはドル安であったこととは好対照で,当時とは真逆の正の経済効果をもたらしている。まさにドル高は米国にとっていいことずくめである。

 インフレリスクに対しては,ドル高は輸入物価が安くなるので好都合である。米国は年間2.8兆ドル(364兆円)の財輸入がある。前年比10%のドル高は2800億ドル(37兆円)の輸入価格低下効果をもたらす。そのすべてが米国輸入業者にもたらされると仮定すると,米国の年間消費額は17兆ドルなので,それだけで消費者物価を最大限1.3%押し下げる(=実質購買力を押し上げる)効果があると計算される。

 他方ドル高のマイナスは米国企業の対外価格競争力の低下だが,今米国企業が他国と価格で競争をしている品目は自動車などごくわずかである。大半は半導体製造装置など技術・非価格競争優位のある商品であり,ドル高になっても競争力が低下する恐れは小さい。GAFAMなど海外に競合企業がない場合,ドル高によるコスト上昇は現地販売価格の上昇で対応できる。全体としてドル高は米国の所得を増加させ,経常収支を改善させるだろう。

 ドル高により世界の資金が米国に集中し,米国長期金利の上昇が抑えられていることも重要である。8%のインフレ,累計で3%にも上る強烈な利上げの中で,米国10年債利回りは3.5%以下と,大きく跳ね上がることなく推移している。この長期金利の落ち着きは,インフレが収まった時の迅速な金融緩和を可能にし,景気後退を回避する力になる。今の心配はインフレに集中しているが,いずれインフレはピークアウトし,景気後退をいかに避けるかに市場の関心は移っていくはず,その時に米国長期金利の安定がものをいうだろう。

 更に重要なことは,ドルが米国の秘密兵器であるかもしれないことである。ドルは時として米国の地政学的目的達成のために使われてきた。かつて対日,今後は米中対立の戦略手段としてドルが利用されるだろう。米国の喫緊の優先課題,中国排除のグローバルサプライチェーン構築にとってドル高は必須であると考えられる。

 そもそも歴史的に見ても覇権を持った帝国の経済的優位の基本的条件は,圧倒的通貨高であった。強い通貨で帝国辺境の財を安く買いたたき,富を集中させた。帝国による収奪の実態は,暴力によって富を奪うのでなく強い通貨を使った不等価交換にあった。

 これまで覇権国の米国が経済的に支配力を強めることができなかったのは,強い通貨による米国への富の移転が進まなかったからである。しかしドル高が定着するとなると,覇権国米国に自動的に富が集まる仕組みが作動することになる。今唯一の世界通貨ドルは,何の裏付けもいらず自由に印刷・発行できる米国の特権である。ただで印刷できるドルが強いならこんないいことはない。米国のみが巨額の累積債務を続けることが許されるのである。対米国債権が各国の支払い準備なのであり,米国は世界最大の債務国,イコール唯一の巨額の世界マネー供給国という体制上の利点を最大限に生かす時代が訪れたのかもしれない。

 なぜ今ドル高なのかだが,米国の利上げにより金利差が拡大してきたことが直接の原因であるが,それでは説明できないほどの値上がりである。その根本的理由は,米国国力の圧倒的優位が鮮明になったからではないか。米国は世界最大の石油ガス産出国かつ純輸出国である。また世界最大の穀物輸出国でもあり,エネルギー穀物価格上昇は米国にとってプラスである。製造業の衰退が強調されるが,先端産業での競争力は圧倒的である。中国を除く世界のインターネット・サイバー空間を米国のGAFAM5社が支配しており,その技術力イノベーションの力は他国を寄せ付けない。また基軸通貨ドルを通して世界の金融を支配している。

 ドル高になると中国との経済格差,金融格差は開くことになる。日本,ユーロ圏に続いて米国も近い将来,中国に経済規模追い抜かれると信じられている。しかしドル高・人民元安が進行していくと中国はいつまでたっても,米国に追いつけなくなる。

 言うまでもなくドル高は中国だけではなくすべての通貨でインフレ圧力を強め購買力を低下させる。またドル建て債務を抱えている多くの新興国の返済負担を高め,金融困難を引き起こし,それが国際金融危機を引き起こすとの懸念もある。しかしそれがドル高を止める要素とはなりにくいのではないか。むしろ米国金融への依存度を強める方向で働くかもしれない。

 歴史的ドル高の背景にある覇権国米国の強さを見逃すべきではあるまい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2687.html)

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