世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2299
世界経済評論IMPACT No.2299

破綻国家へ逆戻りで薬物経済拡大か:ミャンマー編

藤村 学

(青山学院大学経済学部 教授)

2021.09.27

 改革開放に舵を切り10年かけて積み上げた国際社会の信頼が,軍事クーデターによって瓦解したミャンマーにも,別稿でみたアフガニスタンと類似の未来図は共通する。世界銀行はクーデターとコロナ禍のダブルショックによって,ミャンマー経済は2021年9月までの1年間で30%程度縮小すると推定した(2021年7月時点)。閉鎖的国家運営へ逆戻りする兆しが見える中,ミャンマー経済は持続可能性に問題のある資源開発や薬物生産,さらには賭博産業など不法活動への依存が高まる恐れが大きい。

 ミャンマー・ラオス・タイの3カ国が出会う「ゴールデントライアングル」と呼ばれる地帯の丘陵部は,アヘン・ヘロイン生産・密輸のハブとして50年超の歴史を持つ。その主役は「麻薬王クン・サー」のような中国から移ってきた国民党残党組から,1970年末までにはミャンマーの少数民族諸勢力に移っていった。当時,世界に流通するアヘン・ヘロインの8割がこの地帯から出ていったという。その後1990年代にアフガニスタンがアヘン生産で圧倒的首位に台頭する頃を境目に,ゴールデントライアングルの薬物生産の主役はオピオイドから徐々にメタンフェタミンへシフトしていった。国連薬物犯罪事務所(UNODC)のWorld Drug Report 2021によれば,過去10年間で世界の違法メタンフェタミン押収量は10倍に増えた。東アジア・太平洋地域では2013年にヘロインとメタンファタミンの需要規模が拮抗し,それ以降はメタンフェタミンが優勢になったという。

 B. Lintner and M. Black (2009, Merchants of Madness: The Methamphetamine Explosion in the Golden Triangle. Silkworm Books)によれば,ミャンマー北東部シャン州の一地域を支配するワ族武装勢力(ワ州連合軍[UWSA]という少数民族諸勢力のなかでは最大の3万人規模といわれる軍隊をもつ事実上の自治区)が2000年代に入り資金源ビジネスとしてアヘンからメタンフェタミンへシフトしたという。閉鎖的経済政策を続け財政余力のないミャンマー中央の軍政が地方に展開する部隊に「自力更生」を強いたこともあり,一部国軍関係者とそのクローニー実業家たちが薬物取引に関与し,辺境の生産地域からの密輸ルートを保証する潤滑油になっていったという構図がある。

 ワ地区で生産されるメタンフェタミンはまずタイへ密輸出され,「ヤーバー」と呼ばれるカラフルな錠剤の形でバンコクなどの都市部の闇市場へ出回った。その後,「クリスタルメス」「アイス」などの名前で知られるさらに強力な覚醒剤が東アジア・太平洋地域へ拡散するようになった。後者の闇価格はミャンマーではグラム当たり16ドルだが,オーストラリアでは300ドルにもなるという(英エコノミスト誌2018年12月15付記事)。

 2010年代にシャン州の中国国境地帯からマンダレー方面へ伸びる幹線道路網が中国支援によって拡幅・補修されたことが,皮肉にも密輸環境を向上させた面があるかもしれない。近年国境地帯(例えばコーカン族自治区ラカイン)に登場しているカジノ施設が,薬物取引による利益のロンダリングに利用されていたとしても不思議ではない。

 UNODC(2021)によれば,2015~19年にかけてミャンマー各国境で押収されたプソイドエフェドリンなどの前駆体(原材料)の量は456kgだったが,同期間に東南アジア地域で押収されたメタンフェタミン総量を生産するのに必要な前駆体は約65トンに上ったはずだという。この数字の大きな乖離は,ミャンマーを起点とする覚醒剤ビジネスがいかにスムーズに国境を越えて営まれているかを物語る。辺境紛争地域がハイリスク・ハイリターンの薬物ビジネスの磁場となり,組織犯罪グループが国境を超えて有機的にネットワークでつながるのに対し,関係国取締当局は協調能力が足りないどころか,現場では腐敗インセンティブのほうが強いのだろう。

 ところで,ワ地区のリーダーたちは,覚醒剤ビジネスに参入した当初,中国などから原材料を密輸入して覚醒剤を大量生産し,製品はすべて輸出して外貨を稼ぐという「輸出加工」戦略を描いていたという。しかし,生産量が拡大して産地からこぼれ出るメタンフェタミンの小売価格が低下するにつれ,シャン州内で需要が拡大した。州都のラショーではヤーバーの錠剤4個が75セントで手に入るという。鉱山労働者やトラック運転手らにも容易に手の届く値段だ。シャン州のケシ栽培労働者やヒスイ採掘労働者の多くは賃金の何割かを現金ではなく覚醒剤の錠剤で受け取っているという話もある(英エコノミスト誌2020年7月18日付記事)。クーデターによる混乱が長期化するなか,薬物禍がミャンマー国内全般に波及していくことが懸念される。

 UNODC(2021)によれば,2020年に東南アジア地域で押収されたメタンフェタミンの量は前年を上回っており,コロナ禍がミャンマーの薬物ビジネスを阻害している兆しはないという。半世紀以上の歴史をもつミャンマーの薬物経済問題の解決には,究極的にはシャン州やカチン州の少数民族武装集団との政治的妥協によって国内和平にこぎつけ,国境周辺での不正ビジネスの国際協調管理に結び付ける必要がある。だが今のところ,その方向への道のりが再び遠のいてしまった。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2299.html)

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