世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2124
世界経済評論IMPACT No.2124

フランス型中央集権国家推進のエリートたちの憂愁

瀬藤澄彦

(帝京大学 元教授)

2021.04.19

 マクロン大統領は選挙公約通りENA(国立行政大学校)の改廃とISP「公共サービス機構」大学校の創設を発表した。筆者は1997~2000年までパリ・ベルシー経済財政省に出向,以下実体験も含めて実情を披露したい。ENA批判ばかり報道されているが,その果たした役割は大きい。世界史のなかでいち早く中央集権統一国家を成し遂げたフランス共和国。その経済は第2次大戦後の「栄光の30年」の後,官民が調整し合う「協調経済」,国家が民間部門に介入する「国家資本主義」,資本主義と社会主義が同居する「混合経済」,あるいは大戦間,フランス銀行総株主4万のうち上位200株主の支配する「200家族」経済などと形容されてきた。このような政府行政官庁の中枢を担ってきたのが選りすぐられたエリート国家公務員である。日本の高等学校卒業に相当するバカロレア試験合格の後,さらに少数の学生がプレパと呼ばれる準備クラスを経て全国選抜試験を勝ち抜いたさらに少数の学生だけが入学する約200のグランゼコール(高等大学院)を卒業したエリート国家公務員である。第2次大戦後できたENA,フランス革命の時に創設されたXと呼ばれるポリテクニック(理工科大学院),ENSエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範大学校),エコール・デ・ミーヌ(パリ鉱山大学院),国立土木大学院,エコール・サントラル(工学大学院),シアンス・ポの名前で知られる政治学院,これらの国立系に加えて民間のフランスでは強大な財政力を有する商工会議所支援の商業系のビジネス・スクールが注目されている。パリ経営大学院(HEC),経済学商業大学院(ESSEC),パリ高等商業大学院(ESCP),などが特に有名で,これらの大学院はフィナンシャル・タイムス紙が行うMBAランキングでは世界の上位の座を常に占めている。最近ではパリ南フォンテヌブローの他,シンガポールとアブダビにもキャンパスを持ち政府・民間から独立中立を保ちながらブルー・オーション戦略など独自の経営戦略理論を構築してビジネス・スクール・ランキングでは2016年,世界一になったインシアード(INSEAD)を挙げなくてはならない。

 経営学は米国発の学問で欧州は後れを取っているというが,フランス式の官僚的でヒエラルキー型の経営モデルはフランスの鉱山大学教授で経営学者でもあったH.ファヨールとその弟子の経営理論に影響を受けているとされる。彼は19世紀からあの科学的労働システムを築きあげた米国のフレデリック・テーラーと並んで正に近代経営学の父と言われる。米国でも注目された「産業管理経営一般」のなかで経営の機能を次のように5つに定義した。それは予測・組織化・指揮命令・調整・管理であり,経営管理の本質は権威の中央集権化と指揮の統一であるとした。これがフランスの官僚エリートのあり方のモデルであるともいわれている。

 前IMF専務理事,現ECB(欧州中央銀行)総裁のクリスティヌ・ラガルドは自叙伝のなかで告白している。ENA選抜試験コンクールを2回程,受けたが不合格したが,それは恋愛の方に時間を取られたためといっている。ジャック・アタリなどは小学低学年から家庭教師をつけて学習することが必要で,所得階層の財政的余裕がなければならず,エリート教育競争は低学年でその勝敗が決まってしまう。

 しかしエリートとは19世紀フランスの社会学者フレデリック・ル・プレ(Frédéric Le Play)によれば,勇気,正義感,慎重,沈着の4つの基本的な人徳と,慈悲,希望,信念の3つの神学的な才能に恵まれた指導者のことである。彼はこのような秀でた上層部の人間を選抜された階層の指導者と呼んで政治的指導者とも区別した。エリートの存在についてはまたピエール・ブルデュ(Pièrre Bourdieu)のように社会構造のなかにある序列と支配の構造システムによるものであるとする見方もあれば,レイモン・アロン(Raymond Aron)のように元々,上部のヒエラルキー階層で育ち特権的な立場を有する人々であるとする見方がある。アロンによれば5つのエリート集団が存在する。政治リーダー,国家官僚,経済的指導者,大衆リーダー,軍事幹部層であり,このエリート集団が統一していれば独占的権力に,複数に分散していれば民主主義的なリベラルな権力になるとする。フランスではENAやポリテクニックを頂点としてエリートの存在がフランス独特の国家主導型協調経済を生み出してきたのである。

 財務省国庫総局の徴税役人を揶揄した『おバカさんたちの晩餐』(Dîner de cons)というコメディ風の映画が大ヒットしたが,徴税を司る財務省官僚を皮肉たっぷり描いたものであった。その一方で官僚に対しては第3共和政時代の教師が与えていた献身的で有能で厳格で正義感に溢れたような尊敬に値するという感情もある。しかしながらグローバル化の嵐のなかで中央行政の政府の仕事の中身が揺さぶられていた。フランス政府は2001年1月に画期的といわれる「財政法関連行政法」(LOLF)を導入。以来,国家公務員も戦々恐々とするようになった。この米国流の評価制度を入れた法律によってフランスの行政官庁も成果重視主義に移行しつつある。少し前に『エナルクたちの脱走』(désertion des enarques)と題する本が出版され話題になった。それは今や「官僚たちの夏」の時代から「官僚たちの秋」の時代がやってきたというのである。国内では構造改革の掛け声に押されて規制緩和による権限の縮小,地方分権化による中央から州県市町村に加え都市連合体などへの権限委譲,欧州統合の深化に伴うブラッセルEU委員会やフランクフルトの欧州中央銀行への通商政策や金融政策などの重要な政策決定権の移行,そうでなくても通りに出れば政権の政治色に関わらず頻発する労組や学生のデモ,それに加えて環境団体や市民の反グローバリズムの示威行動,そして国の外では新興国の台頭で従来の国際的な枠組みのシステムでは決着がつかなくなりつつある。要するに官僚の権限と出番が少なくなりつつある。欧州の秋空のように暗い憂愁の季節の到来である。ENAを始めとするエリート層の環境は激変しているが,その活躍する舞台は国内から国際舞台にも移りつつある。このような状況のなかでパリの官僚たちは,早い時期から民間企業に天下ること,国会議員になること,ユーロ官僚になること,国際機関に勤務することなどを志向するようになった。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2124.html)

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