世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2094
世界経済評論IMPACT No.2094

トゥキディデスの罠とトランプの罠に陥りつつある国際社会

川邉信雄

(早稲田大学・文京学院大学 名誉教授)

2021.03.29

 バイデン政権になって,初の米中外交トップレベルの会談が,アラスカ州アンカレッジで本年(2021年)3月18日,19日の2日間にわたって行われた。米国からはブリンケン国務長官とサリバン大統領補佐官が,中国側からは楊潔篪共産党政治局員と王毅外相が出席した。

 米ソ冷戦時代,ソ連上空を経由することはできなかった。日本からアンカレッジ経由の北極圏まわりでヨーロッパに行くことが多かった日本人にとっては,この会談場所は馴染みの場所でもある。冷戦時代の象徴的なこの場所で,新冷戦の到来を思わせる米中外交トップ会談が開催されたのも,歴史のめぐりあわせかもしれない。

 報道によれば,アンカレッジ会談の冒頭から,米国側は中国の新疆ウイグル,チベット,香港問題,米国へのサイバー攻撃などを取り上げ,とりわけ人権問題を厳しく非難した。これに対して,中国側は新型コロナウイルスの感染拡大抑制,絶対的貧困問題の解決など,自国の成果を誇った。さらに,中国の「価値観は人類共通の価値観と同じで,平和,発展,公平,正義,自由,民主である」と主張し,中国には中国の民主主義があると述べた。さらに驚いたのは,両国の冒頭挨拶が済んだ後,退室しようとしていた報道陣をわざわざ呼び戻し,両国が自国の主張を繰り返したことであった。この場面は,それぞれ自国で繰り返し報道され,国内では高い支持をえている。まさに,会談は両国の懸案を解決するというよりも,自国向けの演出となった感がある。

 この会議では,バイデン政権がトランプ政権との違いを出すために,経済よりも人権問題を優先したように思える。トランプ政権が敷いた対中国強硬姿勢を崩すと中国に対して弱腰とみられてしまうという懸念から,外交儀礼を無視してまで強硬姿勢を前面に押し出さざるを得なかったのではないか。まさに,トランプの罠にはまった感がある。この背景には,同盟国との連携を強めると主張しながらも,やはり米国が国際社会を主導するという自負がある。他国に覇権を奪われてはいけないという米国の強迫観念が垣間見られる。この点では,バイデン,トランプ両大統領は同じ考えの持ち主ではないかと思われる。中国の習近平総書記も同様に強国主義をとっており,米国と同じような立場にある。両国とも,既存の覇権国の利益が,台頭する後発の覇権国の利益を脅かすようになることによって生じる,深刻な衝突の危険性が生まれるトゥキディデスの罠に陥ったのではないだろうか。

 確かに,米国は19世紀末から20世紀初めに生じた大量生産・大量販売・大量消費を生み出した第2次産業革命の中で,国際社会におけるパクス・アメリカーナの地位を得た。つまり米国は,第1次世界大戦,第2次世界大戦を通して,第1次産業革命を経験し世界をリードした英国をはじめとする西欧諸国の地位にとってかわったのである。

 ところが,中国が改革開放政策を推し進めた1980年代,90年代に,世界では第1次産業革命や第2次産業革命に匹敵するようなIT・デジタル革命の動きが起こった。その結果,世界経済秩序にパラダイム変化が生じたのである。第1に,米ソ冷戦時代とは全く異なる状況が生まれたのである。米ソ冷戦時代には,インドのネルー首相やユーゴスラビアのチトー大統領などの呼びかけにより,東西陣営のどちらかにも参加しない非同盟運動が生じた。この運動に参加した国々には植民地から独立したものが多く,期待は大きかったが経済的にも政治的にもそれほど大きな役割は果たせなかった。ところが,この運動に参加した国々のなかから新興経済国と呼ばれる経済力を持った国々が誕生し,それらの国々からも多くの多国籍企業が輩出され,政治的にも大きな力を持つようになった。その典型が中国でもあった。これらの非同盟国が今後どのような立ち位置をとるかによって,世界秩序に大きな変化がもたらされる可能性が生じている。

 第2は,IT・デジタル革命のもとに,グローバル化が急速に進んだことである。反グローバルの動きも生じているが,グローバル化そのものの流れを変えることはできない。というのは,多国籍企業の活動は地域あるいはグローバルなサプライチェーンを構築し,国家間の経済関係は複雑に絡むようになったからである。もちろん,国民国家の役割がなくなったわけではない。だが,トランプ大統領の対中国政策でみられたように,中国企業に対する締め付けは自国の企業の活動に大きな影響を与えことになる。

 こうした国際社会の現状をみると,第1次大戦,第2次大戦,米ソ冷戦時代のような対立構造は成り立たなくなる。最初から対立構造を作り出し,圧力をかけて問題を解決する方法は時代遅れと言える。国際法や人権など国際秩序の基本となるものについて,いかなる大国も自分勝手な解釈や判断は許されない。国際社会で議論をして共通の理解を深めることが必要となる。いまこそ国際社会は,対話と調整,場合によっては互いに譲歩することによって真の国際協調を実現し,トゥキディウスの罠やトランプの罠から解き放されなければならない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2094.html)

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