世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2063
世界経済評論IMPACT No.2063

勝ちに不思議の勝ちなし:リンカーンの政治的資質と選挙手法

安部憲明

(外務省経済局国際貿易 課長)

2021.03.01

 「勝ちに不思議の勝ちあり,負けに不思議の負けなし」とは,故・野村克也監督の名言である。

 米歴史家ドリス・カーンズ・グッドウィンは,第16代米国大統領リンカーンの政治評伝『Team of Rivals』で,1860年5月の共和党指名選でのリンカーンの大逆転劇を活写する。いずれの相手候補も,予期せぬ敗北に首をかしげ,当時の世論はこの勝利を奇跡と呼んだ。しかし,リンカーン陣営は,この勝ち戦を「不思議」ではなく「必然」として手繰り寄せたのだ。本書を読み解けば,地の利,人の利,ライバルたちの失策,そして本人の政治的資質と巧みな手法,の4つの勝因が浮かび上がる。

 第一は,党大会の開催地シカゴが地元州にあるという「地の利」である。リンカーン陣営は現場に先乗りし,会場の入場券を偽造して地元有権者を大量動員し,強敵スワード追撃の雰囲気を高めたとされる。今でいう「宣伝戦」や「心理戦」の一種かもしれない。

 第二は,「人の利」だ。リンカーンのような地方弁護士は,夏冬の巡回裁判で生計を支えたが,地方行脚で寝食を共にした同志の信頼と忠誠心ほど,ここぞという時に頼りになる武器はない。僚友たちは勝利の瞬間まで,相手陣営への密使や多数派工作,リンカーンが待つ州都スプリングフィールドとの間の情報伝達に奔走した。地元オハイオ州の基礎票すら取りこぼしたチェイス陣営,名門ブレア家による「即席」選対本部の人間的結束に欠けたベイツ陣営とは対照的だ。

 第三は,ライバル候補の失策である。全国区のスワードと野心に燃えるチェイスの両人は,思想信条や立ち居振る舞いのアクが強い。恨みを抱く宿敵も多く,昔の「脛の傷」が土壇場での致命傷となった。また,両者とも,奴隷制について,共和党内の「現状維持・拡大反対」の最大公約数的な主張を超えて「廃止」の急進論を唱えたことが災いし,中道穏健派から疎まれた。

 第四は,何にも増して,リンカーン本人の卓越した政治的才覚である。『Team of Rivals』の著者は,本書の冒頭で,「この単純にして複雑,狡猾にして公明正大,優しいが鉄の意志を持つ指導者(plain and complex, shrewd and transparent, tender and iron-willed leader)」と,互いに矛盾する形容詞を連ねてリンカーンの人物像を描き出す。選挙戦やその後の政権運営で発揮されたこの多面的人格は,さらに次のように因数分解できるだろう。

 第一は,中庸の徳。当時,草創期の共和党は,ホイッグ党,自由州志向派,奴隷制には反対する民主党の一部,移民・入植支持者の「寄せ鍋」集団だった。奴隷制反対,北部商工業を基盤に産業保護・育成,西方拡大・大陸横断鉄道と太平洋航路整備といった政策綱領において小異を捨て大同についてはいたものの,選挙戦は様々な争点を巡り仕掛けられた地雷原を往くが如くであり,一触即発でいつ分裂してもおかしくない状況だった。リンカーンは,党内の多数支持を得るために,敵を作らないことを上策とした。極論を慎み,目立たず,最有力馬スワードへの批判勢力でもあるチェイスとベイツの支持州を潜在的な味方につける「二番手戦術」に徹した。

 第二は,その時々の情勢判断力と実行力である。党大会中も,長引く投票手続きの中で相手陣営に離反や分裂の動きを察知するや否や,切り崩しにかかった。勝敗のカギを握り,ベイツの票田と見られたインディアナ州,ニュージャージー州及びペンシルバニア州の選挙人の猜疑心や敵愾心につけ込んだ。自前の選挙マシーンがフル稼働し,第二回投票以降は作戦通り,下位2名の脱落票を確実にモノにした。ただし,票欲しさのあまりに将来の手足を縛る約束はせず,激戦州の有力者からの処遇の求めにも,今後然るべく考慮する,との言質しか与えていない。

 第三は,リンカーン個人の人間的魅力である。「丸太小屋」のエピソードで知られる幼少期の刻苦勉学で培った純朴な知性,法曹として磨いた倫理観,人生を肯定するユーモアのセンスに溢れ,「口を開く途端に面相の悲哀が消え,表情が輝き躍動する」話し方,相手に正面から向き合う謙譲と実直さに,後日,融和と協力を求められるライバルたちも,つい鎧の紐が緩みがちになる。

 かくして,リンカーンは,3人のライバル候補を巧みに退けつつ,同時に,党の分裂を防ぐばかりか,求心力を高めるという離れ業をやってのけ,共和党指名を獲得した。この勝利が決して「まぐれ」でなかったことは,大統領としてその後に成し遂げた国家統合と国民融和という偉業で証明される。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2063.html)

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