世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2059
世界経済評論IMPACT No.2059

日本人学者のオリジナリティ:経済発展論のケース

宮川典之

(岐阜聖徳学園大学 教授)

2021.02.22

 経済学全般についてはさておき,ここでは,筆者が専門としている経済発展論もしくは開発経済学の分野において,これまで筆者が認識してきた学問上のオリジナリティを有する日本人学者について触れておきたい。ただし括弧内の大学名は,在職当時のものである。

 開発論自体,いわゆる社会科学の独立したひとつの学問分野として一般的に認められるようになったのは,おそらく1950年代以降のことだ。それは,開発途上国の経済発展問題を正面からあつかう一学科目としてである。そこでまず世界的に知られるようになった学者のひとりに1960年代の赤松要(一橋大学)を挙げることができる。かれの理論は「雁行形態論」として知られる。むしろ赤松理論を世界にひろめたのは愛弟子小島清であった。しかしながらある時期までは,アメリカ人経営学者レイモンド・ヴァーノンの「プロダクト・サイクル論」の方が世界的には知られていた。赤松流の「雁行形態論」がしだいに有名になってゆく背景に,日本経済に代表される東アジアのキャッチアップ過程が顕著に観察されたことがある。小島は赤松理論を,ヴァーノン流の自生型プロダクト・サイクル論に対して,キャッチアップ型プロダクト・サイクル論として区別して捉えた。それはまさしく韓国や台湾などのキャッチアップ過程と符合するかたちで,世界に積極的に迎えられる理論となったのだった。いまでは東南アジアや南アジアの新興国のキャッチアップ過程を説明する有力な理論として,確固たる地位を獲得している。

 次に取り上げたいのは,1970年代に,開発戦略論において輸入代替工業化と輸出指向工業化とをさらに局面ごとに細分化して捉えた村上敦(神戸大学)である。世界的には前段の赤松のケースと同様に,むしろハンガリー系経済学者ベラ・バラッサの方が有名である。村上とバラッサに共通した発想は,輸入代替工業化も輸出指向工業化もその対象とする財貨の種類と市場を区別する必要性に求められる。つまり労働集約的財もしくは資本集約的財いずれなのかという問題,および戦略対象となる市場を国内と海外いずれに求めるのかという問題,これである。この問題も新興国の動向に照らし合わせて評価することができる。つまり1960年代から1970年代にかけて,労働集約的財の輸入代替工業化から引き続き資本集約的財の工業化へ輸入代替過程を深化させたのがラテンアメリカ諸国だったのに対して,韓国や台湾は労働集約財の輸入代替過程からそれを海外市場向けの輸出指向工業化へ切り替えたのだった。その結果,東アジアの方がラテンアメリカに比して経済パフォーマンスが良好となった。そして1980年代になると,ラテンアメリカでは累積債務問題が表面化し,失われた10年を経験する破目となる。開発戦略面からこれら両地域の経済パフォーマンスの違いを説明したのが村上とバラッサだったが,初出の論考をチェックしてみると村上の方が先であった。

 最後にもうひとり日本人学者を挙げておきたい。それは近年歴史学の分野で注目されている「勤勉革命」という着想を展開した速水融(慶應義塾大学)だ。この術語は「産業革命」に対抗して考案されたものである。ほんらい農業経済学者としての一面をもつ速水は,近世の日本農業の特色を「勤勉革命」という術語で言い表した。通常の経済学的発想では農業生産性を向上させるのに機械化(農業分野では新規の農機具や家畜の導入など)が手っ取り早いが,日本近世には農業労働力の強化(労働集約化)が進行したのだった。それには灌漑など農業インフラの整備も含まれるが,そのような人的努力によって農業生産性は増進したとされる。その一連の出来事を「勤勉革命」と速水は呼んだのである。速水の着想に触発されて同様の術語を使用したのが,オランダ人歴史学者ド・フリースである。むしろ世界的には1990年代に,ド・フリースによって「勤勉革命」という術語はひろめられたともいえる。しかしこのケースにおいても,前述のように速水の論考の方がド・フリースよりも先であった。そして現在,速水の先見性については,杉原薫(京都大学)の尽力によって,まさしく小島清が1960年代に赤松の「雁行形態論」をひろめたように,世界にひろめられようとしているのである。

 かくしてここで紹介した3つのケースにおいては,世界的に知られるようになった主要学説も日本人学者の方にオリジナリティが認められるのである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2059.html)

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