世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1946
世界経済評論IMPACT No.1946

バルト三国からの人口流出

小山洋司

(新潟大学 名誉教授)

2020.11.16

 バルト三国はいずれも日本の県並みの小国である。帝政ロシア時代,相対的にはラトヴィアが最も発展していた。首都のリガは文化的に発展し,「バルトのパリ」と呼ばれた。いまは経済面ではエストニアがリードしている。

 共通点を挙げると,いずれも1940年にソ連に強制的に編入されたが,1991年に独立したこと,独立後に新自由主義的政策を採用したこと,2004年にEU加盟し,その後ユーロを導入したこと,そして独立後の1992~93年に脱集団化と農地改革(返還原則に基づき,昔の所有者やその子孫に農地を返還する)を実施したことである。EU加盟後,EU新規加盟国の市民は,EU諸国の労働市場に直接参加できるようになったので,バルト三国からの対外移住も進んだ。

 近年,違いがかなりはっきりしてきた。ラトヴィアとリトアニアでは人口減少が著しいのに対して,エストニアではそれほどでもない。2004年から2018年にかけてラトヴィアとリトアニアでは人口はそれぞれ16.6%と18.5%も減少した。人口減少は対外移住によるところが大きい。とくに2008年グローバル金融危機以後,人口流出が非常に激しく,両国では危機感を持って受け止められている。その違いをもたらしたものは何かを考えてみたい。

 エストニアはバルト海で隔てられているが,フィンランドと距離的に近いだけでなく,同じ言語グループに属しているので,エストニア人はソ連時代からヘルシンキ放送を視聴し,西側の事情を把握していた。1960年代以来,ヘルシンキとタリン(エストニアの首都)との間でフェリーの定期運航があり,フィンランドからの観光客がエストニアを訪問した。科学文化に関するフィンランドとソ連との間の協定に基づき,エストニアの専門家がフィンランドを訪問した。これは限定された人々の交流であったが,人的ネットワークづくりに役立った。独立後,とくにEU加盟に向けてフィンランドはエストニアを積極的に支援した。エストニアは積極的に外国直接投資を受け入れ,フィンランド・スウェーデンの経済圏に組入れられたと言われる。IT産業が盛んである(スカイプはエストニア人が発明した)。

 リトアニアの歴史社会学者ゼノナス・ノルクスはポスト社会主義の新規EU加盟国を世界資本主義の中で位置づけているが,彼によると,エストニアは準コアであるのに対して,ラトヴィアとリトアニアは準周縁国である。両国は低付加価値の産業内分業に従事している。両国ではソ連時代に職業訓練を受けた高技能労働者のための仕事はなくなった。そういう人々の中で先進国へ移住する者も多いと考えられる。

 バルト三国はEU加盟後,ユーロ圏入りを急いだ(エストニアは2011年,ラトヴィアは2014年,リトアニアは2015年)。ロシアの経済圏から抜け出し,EUの経済圏入りを確実なものにするためであった。マーストリヒト収斂基準を満たす必要があり,とりわけ財政に関する基準を重視し,赤字縮小に努力した。バルト三国は2008年のグローバル金融危機により大きな打撃を受けた。歳入が大幅に減ったにもかかわらずに,歳出を大幅に切り詰めるという緊縮策(企業では給与の3分の1削減や夏の無給休暇,等)を実施した。エストニアはそれ以前に財政黒字があって余裕資金をプールしており,それを放出したので,緊縮策はそれほど過酷ではなかった。それに対して,ラトヴィアとリトアニアではそのような余裕はなく,緊縮策は過酷であった。ユーロ導入は国際金融面では大成功であったが,社会に大きなストレスを与えた。

 農業では,全就業人口に占める農業従事者はエストニアでは1990年の16.6%から1999年には6.2%へと激減した。ここでは,コルホーズやソフホーズの公式な解体以前に,農村における「中産階級」(技師や専門家)が素早く動き,「返還」原則には基づかず,1989年の農場法(ソフホーズやコルホーズの空いている土地を農民に長期に貸与する)に基づいて家族農場を設立し,規模拡大させた。離農し,他の産業に移る人も多かった。それに対して,ラトヴィアとリトアニアでは農業従事者はそれほど減らなかった。同じ期間にラトヴィアではその割合は15.5%から15.0%へとわずかに減少し,リトアニアではむしろその割合は17.6%から20.1%へと増加した。両国では農業にとどまり,小規模で自家消費のための農業生産をするという,生存最低生活を送る農家が多い。

 所得格差を表すジニ計数を見ると,どの国でもソ連時代,それは非常に低かったが,独立し,市場経済移行をする中で人々の所得格差が拡大したので,ジニ係数も高まった。その点では共通している。しかし,エストニアではジニ係数は1993年に0.36に達した後徐々に低下し,2017年に0.316である。それとは対照的にラトヴィアとリトアニアではジニ係数がゆっくり上昇し続けた。ラトヴィアではそれは2009年に0.375に,リトアニアでは2015年に0.379でピークに達した。一見すると,それは不思議であるが,ラトヴィアとリトアニアにおける過酷な緊縮策および生存最低生活を送る農家の多さを反映していると考えられる。

 グルーバル金融危機以後の両国からの急激な対外移住は先進国との所得格差によるプル・プッシュの要因よりも,ハーシュマンの『離脱・発言・忠誠』の理論モデルを用いて説明する方が適切だと主張する学者も多い。たとえば,リトアニアの研究者ゲネリテは,グローバル金融危機とその後の緊縮策の実施がリトアニア国民の生活の質の低下をもたらし,そして,国内の経済的格差と生活の質の低下という認識が多くの国民に「発言」ではなく,「離脱」(つまり,対外移住)の意思決定をさせたと主張している。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1946.html)

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