世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1898
世界経済評論IMPACT No.1898

国の興亡を決める国家戦略計画の有無

三輪晴治

(エアノス・ジャパン 代表取締役)

2020.09.28

成功する国家戦略計画

 戦争をするからには「勝てる戦争」をしなければならないが,これまでの歴史から考えると,戦争に勝つには三つのことが必要になる。

 第一は,「国家戦略計画」であり,これは,「政治戦略」,「総合戦略計画企画」,「外交戦略」,「軍事戦略」,「経済財政戦略」からなる。平時の国家の戦略発展計画でも同じで,これに「産業・技術戦略」が加わる。歴史的情報を基にし,これらの計画を全体として整合性をとり,この戦略展開の筋道に沿って行動すると戦争に必ず勝てるというものでなければならない。「普遍的価値の追求」という「大義」を明確にする。そしてこの戦略計画の実行をするにあたり,外交部と軍部が一体となり,「脊髄」としての「国家安全保障会議」において統合したものにし,「脳」としての総理がこれを「国家戦略計画」として決定する。

 第二に重要なことは,「国家戦略計画」を実行する組織のなかの「エグゼキューション」としての総理という統帥権の存在であり,強いリーダーシップである。外部からの工作による扇動に動かされないようにするためにも強力な統帥が必要になる。

 第三には,「普遍的価値観」を持った「大義」が必要である。国際紛争,戦争には「普遍的価値」の追求という「大義」で国内を一心にし,世界にアッピールしなければならない。

 「国家安全保障戦略」では最初に「外交戦略」が来る。外交戦略とは,客観的に軍事,経済,政治的な力の要素を分析評価して,国家間の力関係を考え,そのバランスを正確に把握しつつ,常に勝ち組に入り込み,自らの国力に応じた利益を主張し,同時に他国との共通利益の増進を考えて,敵を孤立させ,或いは取り込み,未然に紛争の芽を摘むための戦略である。これに対して「軍事戦略」は,最悪事態に関わるシナリオを複数予測し,万が一の場合にはどの国と戦争を構える恐れが最も高いかを検討し,仮想敵国に応じてシナリオを考え,作戦の概要を構想するものである。両者は連続しており不可分の関係にある。

 日清戦争の時は,日本軍にはまだ「戦略体系」というものは無く,制度も整っていなかったが,伊藤博文総理は,「参謀本部」を置き,陸海軍を一体化し,外交と軍部を統括し,陸奥外相,川上陸軍中将という有能な人を得て,国家全体を率いることにより,日清戦争で勝利をおさめた。これで清のくびきから朝鮮は独立することができた。

 日露戦争では,桂太郎総理が,「大本営」を設置し,大山巌滿州軍総司令官,山縣有朋元老,児玉源太郎満州軍総参謀長,乃木希典将軍,東郷平八郎提督,小村寿太郎外相という多くの人材を得て,一体となってロシアにあたり,勝利した。黄色人種の国が白人の国を負かしたということでアジアの諸国に大きな希望を与えた。

大東亜戦争の教訓

 日露戦争後は,ロシアという大国に勝ったために,その驕りから本当の世界が見えなくなった。統帥権が一人歩きし,陸海軍の一体化は破られてしまい,軍部と外交部と政府とは繋がらなくなった。先ほど述べたように,大東亜戦争では,日本の国家戦略は,国家安全保障戦略,防衛戦略,軍事戦略がバラバラに作成され,その全体の整合性を取ることをしなかった。実際には,軍部と外交部は別々に予算獲得のための防衛戦略書,軍事戦略書を作り,その予算申請書が実際の戦略計画になり,しかもそれぞれの戦略計画としての全体の整合性をとることはなかった。結果として負ける戦争をしてしまった。

 日本は,「主観・自我」がまかり通り,「客観」がいつも外にはじかれてしまう。「部分最適化」「セクショナリズム」が日本の風土になってしまった。日本では「全体最適」という思考が弱い。また反対意見を言うものを抹殺し,村八分にする。産業界においてもこうした風土がある。

 1941年10月東条内閣が発足したが,陸軍を押さえて対米戦争を回避したいという宮中の意向が陸軍出身の東条への大命降下となった。つまり同年9月近衛総理のもとでの御前会議で了承された「対米英蘭戦争準備」を白紙に戻して考えよというものであった。しかし,外交部と軍部が乖離し,陸軍が独走して暴走したために戦争に突入することになった。総帥としての東条英機総理は,「陸軍が統帥権を握ってしまい,陸軍の独走を抑えることができなかった」と手記に残している。

 ある人によると,「日本では,政府が外交部と軍部のそれぞれの戦略計画を関連付け統合させた「国家戦略計画」を作ることは無かった」という。国家戦略計画は,どんな国にするかのという「普遍的価値」を入れなくてはならない。当時は,この大東亜戦争の「大儀」は,欧米諸国に支配されてきた「アジア諸国の開放」のための戦争であるとの考えがあったが,これがその時の「国家戦略」の中に位置づけられることはなく,結果的に真珠湾を奇襲攻撃して,日本の「侵略戦争」ということになってしまった。日本は敗戦国になったが,戦後多くのアジアの諸国は植民地を脱し,独立できた。そうしたアジアの国々は日本に感謝している。

 しかし日本が戦争に突入してしまったのは,外部からのコミンテル工作の仕業かもしれない。アメリカでもルーズベルト大統領の周りには共産主義者の工作員が数人いたと言われている。現在でもアメリカの議会,政界には多くのコミンテルの工作員が潜入しているようだ。今アメリカのトランプは,この中国共産党を倒そうとしている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1898.html)

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