世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
デジタル化の普及とともにスタートアップの淘汰も:新型コロナウイルスの影響
(拓殖大学国際学部 准教授)
2020.05.11
新型コロナウイルスの影響は長期化する様相をみせている。アジア主要国では中国,韓国,台湾で状況は改善し,タイやベトナムなどでも改善傾向がみられているものの,その他主要国では依然として感染拡大が続いている状況にある。新型コロナウイルスがもたらす影響については,今後,長期的,構造的にどのような変化をもたらすのか議論されている。変化を巡る論点にはどういったことがあり得るのか,アジアを中心に考えてみたい。
人の移動に関連する産業には長期的・構造的な影響
新型コロナウイルスは,各国で行動制限によって消費,投資が減退し,実体経済の収縮をもたらしている。4月14日に発表されたIMFの世界経済見通し(WEO)では,第2四半期までに終息する前提でも3.0%減と世界大恐慌以来のマイナスとなり,それ以上,長期化する場合には一段の下押しがあるとしている。アジア地域をみると,対外経済依存度が高いタイ(6.7%減),シンガポール(3.5%減),マレーシア(1.7%減)などがマイナス成長に陥る見通しである。これら3カ国は輸出依存度(タイ:67%,シンガポール:176%,マレーシア69%,2018年)とももに,観光産業への依存度(GDPに対する観光収入比率:同12.9%,5.6%,6.1%)が高い点が特徴で,今回の危機の影響を強く受ける構造にある。
今回の危機は幅広い産業に影響を与えているものの,最も大きな影響を受ける産業は観光産業や航空関連産業など人の移動に関する産業と考えられる。例えば,ベトナムは2020年第1四半期の実質GDP成長率(速報値)を発表しているが,同成長率は前年同期比3.8%増となる中,ホテル・食品サービスは同11.0%減,輸送・倉庫は同0.9%減とマイナスとなっている。
人の移動がパンデミック以前の状況に戻るまでには相当の程度の時間を要することが見込まれるとともに,遠隔会議などデジタル化が進めば,構造的に人の移動が減少する契機ともなり得る。
デジタル化普及の契機となるか,一方でスタートアップの淘汰も
新型コロナウイルスはデジタル化を推進する契機となる可能性が議論され,2002年末から2003年に発生したSARSによって,中国では電子商取引が拡大し,アリババなどの成長につながったと指摘されている。今回の新型コロナウイルスでは,東南アジアやインドなどデジタル関連ビジネスが拡大しつつあった国で,電子商取引やフード・デリバリー,遠隔会議,遠隔教育,遠隔医療などが一段と普及する契機となる可能性は指摘できる。
一方で,アジアのスタートアップは近年,急成長を遂げてきたが,多くの企業は現時点では十分な収益が挙げられておらず,成長期待に基づくベンチャー・キャピタル(VC)投資によって成長資金が支えられてきた面がある。少し古いデータではあるものの,Wong(2017)によると,2016年時点でシンガポールのスタートアップ530社の内,雇用数も多く,成長を持続している企業は43社(8.1%)に留まると分析している。また,Startup Genome(2020)によると,50カ国1,070社のスタートアップを対象とした調査(3月25日~4月17日実施)で,41%の企業で手元資金が3カ月分以下と経営が厳しく,74%の企業が人員削減を行い,資金調達交渉を行っているスタートアップの72%で交渉遅延やキャンセルなどが生じていると指摘している。
また,KPMG(2020)によると,アジアにおける2020年第1四半期のVC投資額は165億ドルと2017年第1四半期以来の低水準となり,件数は837件と2014年第4四半期以来の水準まで低下している。
VC投資が収縮すると,資金調達に課題を抱えるスタートアップが淘汰されていく可能性も否定できない。スタートアップの中でも,観光関連のスタートアップは大きな影響を受けているとみられる。アジアではインドのOYOやインドネシアのTravelokaはユニコ―ン企業(評価額10億ドル以上)として知られるが,OYOは全従業員の25%の賃金カット(4~6月)等,Travelokaは10%の人員削減を余儀なくされていると報道されている。
政府によるデジタル・インフラ整備を促進?
今回の危機では,政府のデジタル・インフラの整備も注目されている。新型コロナウイルスでは感染源の特定が拡大防止に重要な役割を果たしているとされるが,そうした課題をデジタル技術で解決しようとする取り組みが行われている。インド政府は4月からAarogya Setuと呼ばれるトレーシング・アプリの配信を行っており,アプリをダウンロードすると位置情報から感染者との接触履歴から非感染者に感染リスク情報が通知される仕組みが導入されている。インド政府によると,4月24日時点で7,000万人以上がダウンロードしているとしている(インドの人口は13.5億人)。当初は,自主的な登録に基づいて運用されていたが,感染拡大を受け,5月1日にインド内務省は全ての公共・民間部門の機関に対して,従業員への同アプリ導入を義務付けた。シンガポールにおいても,3月からTrace Togetherと呼ばれるトレーシング・アプリが導入されており,110万人が導入している(シンガポールの人口は570万人)。シンガポール政府によると,収集する情報には位置情報を含まず,他のユーザーとの接触情報が収集され,プライバシーに配慮した内容となっているとしている。これらの取り組みは,プライバシーの保護との兼ね合いが難しい問題であるが,感染拡大を早期に予防する上でデジタル技術を用いて解決する取り組みとして注目される。
また,アジア主要国は相次いで景気刺激を打ち出しているが,その内容は雇用維持支援策や個人への現金給付などが主たる内容となっている。こうした中,注目されているのがインド政府によって整備されてきたデジタル・インフラである。インドでは,マンモハン・シン前政権時代にインド版マイナンバーであるアダールが導入され,モデイ政権時代には国民皆銀行口座制度のもとアダールに金融機関口座を紐づける政策が採られてきた。こうしたデジタル基盤はIndia Stackと呼ばれ,小野澤(2020)によると,インド政府が行った現金給付は同システムを用いられている。途上国において,デジタル・インフラを用いて迅速な現金給付が実施された事例として注目される。
こうしたインドの先進的な事例は,今後,政府によるデジタル・インフラ整備の重要性を認識する機会となり,同様のインフラ整備を喚起することが考えられる。フィリピンでは,低所得者に対して現金給付を行っているが,その中で,フィリピン統計庁(PSA)は,フィリピン識別システム(PhilSys:Philippine Identification System)の重要性を訴えるリリースを行っており,フィリピンではドウテルテ大統領の任期である2022年までに全ての国民と在住外国人のID登録を完了する方針である(坂田,2020)。
こうした政府によるデジタル・インフラ整備が進展すれば,各国で政府主導で個人認証システムが整備されていくことを意味し,同インフラを用いた政府によるサービス提供やデジタル関連ビジネスの普及の基盤となっていくことが期待される。
[参考文献]
- KPMG, 2020, “Venture Pulse Q1 2020 Global analysis of venture funding”.
- Startup Genome, 2020, “Startup Genome: 41% of global startups have less than 3 months of cash”.
- Wong Poh Kam, Ho Yuen Ping, Ng Su Juan Crystal, 2017, ”Growth Dynamics of High-Tech Startups in Singapore: A Longitudinal Study ”, NUS Enterprise.
- 小野澤恵一,2020,「政府が国民IDを活用した直接現金給付を発表」,2020年4月8日付けジェトロ・ビジネス短信
- 坂田和仁,2020,「新型コロナウイルス対策で国民ID活用強化を発表,統計庁」,2020年4月24日付けジェトロ・ビジネス短信
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