世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1398

ベトナムにとっての米中貿易摩擦

細川大輔

(大阪経済大学 特任教授)

2019.07.01

 米中貿易摩擦は長期にわたる新冷戦の様相を呈してきた。そのため,中間財を中国へ輸出し完成品に組み立て,米国に輸出するという東アジアのサプライチェーンが大きく変容しようとしている。中国の代替地として東南アジア,特にベトナムが注目されている。

 5月30日付日本経済新聞のオピニオン欄でも,「漁夫の利」を得るベトナムが大きく取り上げられた。記事では同時に,米国への輸出拠点としてのしあがるにつれて,米国の標的となるとのベトナムの「憂鬱」にも言及している。本稿では,米中貿易摩擦の自国への影響をベトナム政府と産業界がどのように見ているのか,やや詳しく検討したい。中国に接する中小国の地経学が見えてくるからである。

 米国経済統計局が発表した2019年第1四半期の輸出入統計によると,米国の中国からの輸入額が前年同期比13.9%のマイナスであった一方,ベトナムからの輸入は同40.2%の急増であった。その最大品目は繊維・縫製品であり,さらに履物,木材・木工品等の労働集約的な日用品であることから,中国からの輸入をベトナムが代替していることを窺わせる。

 一方ベトナムからの報道によると,このところ海外からの巨大投資案件が認可待ちになっているらしい。香港縫製企業の10億米ドル超の案件,米国のエネルギー関連では複数の数十億ドルにのぼる案件が俎上にある。また韓国からの電子機器メーカー5億ドルの案件など目白押しである。注目されるのは,中国が2019年第1四半期の直接投資認可額で7億23百万米ドルとなり最大の投資国となったことである。これまでベトナムへの投資国上位は日本,韓国,シンガポールであり,中国は毎年徐々に順位を上げてきたが,ここにきてついにトップに躍り出たのである。ベトナムが参加するTPPの発効に加え,EUとのFTA締結が見込まれることから,ベトナムに生産拠点を持つことで対米,対EU関税を回避しようとの動きはすでににあったものの,最近の米国との貿易摩擦の先鋭化で急増したとみられる。

 以上の事実を,ベトナムの産業界一般は,米中摩擦が自国に有利に働いたと受け止めている。5月以降主要国の株価が軒並み大きく下落しているのに対し,ベトナムの株価のみ高値を維持していることからも推察できる。また,米国が中国のファーウェイを制裁しているため,ライバルの韓国サムソンのスマホが有利になり,その組立工場が集中するベトナムが利益を受けるとの論調もある。

 しかしながら,日経新聞が指摘するとおり,対米輸出の急増がいずれ米国の制裁を招くのではないかと危惧する慎重な意見もある。ベトナム政府は,米中貿易摩擦によってベトナムのGDPは今後5年間で6兆ドン(約279億円)減額する可能性を明らかにした。すなわち,短期的には輸出増につながるものの,長期的には輸出減を引き起こす可能性があると警告している。米国市場から締め出された中国製品がベトナムへ流入し,対中貿易赤字が急増する兆しがあるためである。また,中国人民元の切り下げという伏兵もある。中国景気の低迷,資金の海外逃避などにより5月に入ってから人民元は切り下がりはじめ,最近は1米ドル7元直前で張り付いた状態になっている。その結果ベトナム・ドンの切り上げに繋がり,中国への輸出にブレーキがかかり始めている。中国はベトナムにとり主要な輸出先であり,特に野菜や果実の農産物輸出の70%以上が中国向けと言われている。

 中国からベトナムへの直接投資が急拡大していることについては,ベトナム手工芸・木工産業組合の会長が,「対米輸出関税を回避すべくベトナムに進出する中国企業とは,国内で様々な面での競争が激しくなる」と予想している。また,多くの経済専門家は,中国製品のラベルをベトナム製と付け替えるためだけの工場進出を危惧している。確かにラベルをベトナム製に張り替えた中国製品がベトナムの関税で摘発され,監視が強化されているとのことである。

 さらには,中国からの工場移転はベトナムへの中国からの機械設備の輸入を拡大させることから,対中貿易赤字のさらなる拡大につながる。また悪いことに,これまでの経験から中国は時代遅れの生産設備と技術を持ち込んでおり,環境破壊を招いていると非難されている。工場には中国人労働者が大量に流入し地域住民との軋轢を引き起こしており,中国からの投資に安全保障上の懸念を表明する識者もいる。ベトナムにとり隣国中国との経済関係拡大には複雑なアンビバレンスが存在する。

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