世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1389

トルコ出身の傑出した学者から得られる分析視角:アセモグルの着想

宮川典之

(岐阜聖徳学園大学 教授)

2019.06.17

 今回のコラムは,ややもったいぶったタイトルにした。私の専門は国際経済学と開発経済学の両方をカバーしつつ歴史上の出来事や現在起こっていることを論じ,一定の評価を試みるというタイプのものである。その意味において,トルコ系のある学者に教えられることが多い。

 それはMIT(マサチューセッツ工科大学)教授のダロン・アセモグルである。かれはアメリカ新制度学派として,括目に値する発想を明らかにした。否,それだけではない。計量経済学やマクロ経済学の分野においても,注目される存在になっている。私の専門に関連したところでは,とくに南北アメリカの政治経済の発展経路の違いに関する独特の認識がある。かれによれば,南北アメリカにおいて,歴史上の出発点の違いから二つの地域におけるその後の経路は大きくかけ離れることとなった。一方においては圧倒的な発展経路が準備されたのに対して,他方においては甚だしい遅れが表面化することとなる。とくに後者は大航海時代の流れに沿うかたちでスペインがかかわり,一連の征服事業を成し遂げたうえでエンコミエンダ制という準封建制度をこの地域に植えつけた。それはカトリックの布教と引き換えに土着の先住民を奴隷化して,貴金属の採掘労働と征服者向けの農産物の強制的栽培をやらせることであった。その結果この地域においては,最上位の特権階層がすべてを取り仕切り,大部分を占める先住民は生死の境をさまようといったぎりぎりの生活を強いられた。このような政治構造的性質を,アセモグルは「収奪的制度」と呼んだ。つまりそのような格差事情が時を超えてこの地域に根づいてしまい,いまなお根本的に払拭できないままにあるからだ。そうした事情を「経路依存性」という見方で捉えるのである。現在中南米地域では「移民」キャラバンが深刻な現象となっているが,それの史的源泉はそこに求めることができる。

 それとは逆に北アメリカのばあい,収奪的性質は見られない。なぜならそもそもの政治的出発点が異なっていたからだ。周知のように北アメリカを植民地化したのは,スペインではなくてイギリスである。信仰する宗教も違った。プロテスタンティズム,これである。じつはイギリス人入植者も当初は,スペイン人が成就したように先住民の酋長を捕らえて貴金属のありかを白状させてかれらを奴隷化しようとさかんに試みたが,酋長の資質や先住民人口の小規模性など諸条件が異なり,入植者自らが自営的農業者として開拓することを余儀なくされた。その結果この地域においては収奪プロセスは進行せず,プロテスタンティズムの信仰を基礎とした開拓精神が広がっていった。つまり北アメリカのばあい,準封建制度ではなくて,政治経済面において個人の「自由」がじょじょに開花してゆく。言い換えるなら資本主義の精神および民主主義,これである。この種の進行プロセスを,アセモグルは「包摂的制度」の構造化と呼んだ。またこれは「多元主義」を呼び込むことにもなる。

 ところで歴史過程を方向づける出来事がそれぞれの地域に見出されるはずだ。それは「決定的岐路」と呼ばれる。たとえばイギリス本国においては,1688年の名誉革命が,フランスでは1789年のフランス革命がそれぞれ該当する。それを契機に両国では「多元主義」が根づいていった。

 では日本のばあいはどうだろうか。江戸時代末期のペリー来航がそれに該当する。つまりこの国ではそれが「決定的岐路」となり,幕末から明治維新へと一気に近代国家日本が進行した。わが国についてもう一つ例を挙げるなら,第二次世界大戦後にGHQによって進められた「財閥解体」と「農地改革」が重要である。なぜならそれによって,国民の生活水準の平準化(中流階層の増進)と「包摂的制度」が進行することになったからだ。

 また現在の独裁国家もしくは権威主義国家についてみると,中南米の事情と同様に当時の列強による植民地化が「決定的岐路」となって,「収奪的制度」を呼び込んだところが多く見られる。一握りの特権階層と大多数の貧困大衆との間に見られる圧倒的格差現象がそれだ。

 最後に現代中国の国家資本主義を基礎にした興隆に見られるように,アセモグルの着想だけでは説明できないところがあることも付け加えておきたい。

関連記事

宮川典之

経済学

最新のコラム