世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1130

「インド太平洋」は新しい経済のフロンティア

平川均

(国士舘大学 教授)

2018.08.13

 「インド太平洋」という名称が頻繁にメディアに登場するようになった。この名称は単なる地域概念ではない。世界経済と政治の大きな変化を反映して生まれたものである。

 2017年11月,来日したドナルド・トランプ米大統領と安倍晋三首相の首脳会談は,安倍首相の提案する「自由で開かれたインド太平洋戦略」を日米共通の外交戦略とすることで一致した。トランプ大統領はその後,ベトナム・ダナンでのAPEC-CEOサミットで講演し,この地域を「アジア太平洋」に代えて「インド太平洋」と呼んだ。「自由で開かれたインド太平洋戦略」は,日本の2017年の外交青書やODA白書の中で重要政策として明記され,この構想の起源は2016年8月のナイロビで行われた第4回アフリカ開発会議(TICAD Ⅳ)での安倍首相の基調講演に求められている。翌17年4月発表の外務省の2017年度開発協力重点方針は,第1の重点政策に「『自由で開かれたインド太平洋戦略』の推進」を掲げ,これにより「アジアとアフリカの『連結性』を向上させ,地域全体の安定と繁栄を促進する」としている。第3の重点政策には「途上国とともに『質の高い成長』を目指す経済外交,地方創生への貢献」が掲げられている。本年6月には,首相は,インド太平洋地域のインフラ整備に今後3年間で官民で約500億ドルを投融資する仕組みをつくると講演している(日経新聞2018年6月12日)。

 アメリカ軍の名称にも「インド太平洋」が現れた。本年5月30日,マティス米国防長官はハワイで「米太平洋軍」(US Pacific Command)の新司令官の任命に併せて,同軍を「米インド太平洋軍」(US Indo-Pacific Command)へ名称変更した。長官によれば,「インド洋と太平洋の連結性が強まっていることを考慮しての変更である」。この名称変更は,アメリカが安全保障戦略でインドとインド洋への関心を強めていることを明確に示している。

 フィリピンの国際関係戦略研究センター(CIRSS)の本年3月のある論説は,「『インド太平洋』の用語が,少なくとも5カ国で『アジア太平洋』に徐々に置き換わりつつある」という。2017年の日本とアメリカの外交戦略での合意に続き,同年9月にはインドが「Act East Policy」として「インド太平洋戦略」に合意している。オーストラリアの「インド太平洋」は2009年の防衛白書に遡ることができる。その後,2013年,2016年,2017年の白書にもこの名称が明記されている。本年1月にはインドネシアも「2018年優先対外政策」に「インド太平洋戦略」を明記した(Adducul 2018)。

 名称としての「インド太平洋」の誕生では,2007年8月の安倍首相のインド国会での講演「二つの海の交わり」が挙げられている。この講演で安倍首相は,太平洋とインド洋を自由と繁栄の海とする「拡大アジア」構想を述べた。アメリカとの関連では,2011年11月,オーストラリアの議会でのオバマ大統領の講演が「太平洋からインド洋までの」国々との新たな同盟を訴えている。こうした日米の基本認識が2017年の日米首脳会議で「自由で開かれたインド太平洋戦略」として共有されたのである。

 ただし,「自由で開かれたインド太平洋戦略」は近年,中国の権益の拡大に対するけん制戦略の色彩をますます濃くしている。本年2月に公表された上記ODA白書は「インド太平洋戦略」の下でのODAの活用を明記し,それは「ODAを活用することで途上国に巡視船などを供与し,海上交通での安全確保を図る」ものだと報道されている(ANN News, 2018.2.23; VOA World, 2018.2.24)。開発協力と軍事支援との境界が曖昧になりつつある。昨年12月に発表されたトランプ政権のアメリカ国家安全保障戦略(NSS)は,アメリカのパワーに挑戦し,安全保障と繁栄を脅かす国家として中国とロシアをあげ,「中国がインド太平洋地域でアメリカにとって代わろうとしている」と明記している。アメリカの外交問題評議会(CFR)のある論評は,インド太平洋枠組みが対中政策であり,はっきりと冷戦と結びつけている,と危惧を示す。カーネギー国際平和基金のある研究者も,トランプ大統領の進める「インド太平洋戦略」がゼロサムの対中敵視戦略であり「アジアに不安定を生み出す」と,その危険性を指摘する(Swain 2018)。本年2月には日米豪印の4カ国が中国の一帯一路に対抗するため共同のインフラ計画を話し合ったとも報道され(Reuters 2018.2.19; Times Now News.com 2018.2.19; 日経 2018.2.20),それはこの7月末のポンぺオ米国務長官によるインド太平洋地域のインフラ整備支援ファンドの立ち上げの指摘(日経新聞 2018.7.31)と関わるものかもしれない。

 だが,ここで注意したいのは,今世紀に入って中国,インドなどの新興国が大きな成長の潜在力をもって発展し続けているという事実である。振り返るなら,東アジア経済の成長は,世界銀行に1993年の『東アジアの奇跡』を刊行させた。この報告書が指す「東アジア」地域は,実質的に「北東アジア」に「東南アジア」を含んだ拡大東アジアであった。成長に伴って新しい「東アジア」概念が生まれたのである。今世紀に入るとBRICsが注目され,アジアの成長圏は西方へ拡張する。成長のフロンティアがアジア太平洋から,インドを核としてASEAN地域を加えたインド太平洋へ広がった。西方の新興大国へ関心が広がり,経済共同体を目指すASEANも含んで,再び新しい地域概念として「インド太平洋」が生れたのである。中国の海洋進出に伴う安全保障問題は無視できない。だが同時に,成長する地域としての「インド太平洋」を忘れてはならない。

 アメリカはオバマ政権時代の2011年,アフガニスタンからの撤退を念頭にヒラリー・クリントン国務長官(当時)が,インドのチェンナイで「新シルクロード計画」(NSI)を提案している。それは中央アジアの安定を目的としており,例えば,トルクメニスタンのガス田の共同開発があり,パキスタン・インド両国のエネルギー需要への貢献が目指されていた。また2013年には米印戦略対話を発足させ,「インド太平洋経済回廊」の建設で協力を約束していた。それは,インド太平洋概念の実体化に向けてこの地域の潜在力を顕在化させるために,ダイナミックな東南アジアと南アジアの間の開発と投資を加速させるという構想である。回廊建設ではASEAN連結性マスタープランとAPECの新連結性ブループリントが組み込まれており,アメリカの「ソフト」インフラと,中国と日本の「ハード」インフラ供給が構想されていた(Wallar 2015)。インドを主要なプレーヤーとする,以上の2つのプロジェクトは2017年5月,トランプ大統領によっても引き継がれている。ただし,それは一帯一路構想を打ち出した中国をとりわけ意識しての決定であった(Eurasian Business Briefing, 2017.5.26)。

 日本のインド太平洋戦略における経済支援は,2015年4月に中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立にヨーロッパ先進国を含む57カ国の参加が明らかになった時から本格化する。安倍首相は「質の高いインフラパートナーシップ」を打ち出し,投資と開発協力の一体化を推し進めた。東南アジア,中央アジアの発展途上国向けの大規模なインフラ整備計画を発表し,2016年5月のG7伊勢志摩サミットでは「質の高いインフラ投資の推進」を採択する。2017年度のODA白書の主要なポイントは,「日本の経済協力ツールを総動員した支援量の拡大・迅速化」を謳った。G7サミット,世銀,IMF,OECDなど国際機関への働きかけも強力に行なわれるようになっている。アメリカが発表した上述のインド太平洋インフラ整備ファンドも同様の性格を持つ。

 「インド太平洋」の地域概念は,アジア地域におけるアメリカの相対的な衰退と中国の台頭による安全保障問題がとりわけ強く意識されるようになっている。しかし,中国と競う形でのインフラの整備と開発の競争も同時に進行している。競争を通じて,インフラ整備も質的な側面に関心が広がる。アフリカを含むインド太平洋地域の新興国はインフラ整備に意欲的である。安全保障の軍事的色彩をできる限り薄め,経済協力の側面を前面に出すことが求められている。つまり,対立に替え競合と協力の場に「インド太平洋」地域を向かわせる努力が要る。「インド太平洋」は新しい経済のフロンティアなのである。

[参考文献]
  • Adducul, Lloyd Alexander M. (2018) The Indo-Pacific Construct in Australia’s White Papers: Reflections for ASEAN-Australia Future Strategic Partnership, Center for International Relations & Strategic Studies, CIRSS Commentaries, Vol. V, No.6. s
  • Swain, Michael D. (2018) Creating an Unstable Asia: the U.S. “Free and Open Indo-Pacific” Strategy, Carnegie Endowment for International Peace, March 2.
  • Wallar, James (2015) Indo-Pacific Economic Corridor: Opportunity for U.S., Indian, & ASEAN Statesmanship, cogitASIA Policy Blog, September 2.

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