世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1079

工学は存在しなかったものを生み出す

鶴岡秀志

(信州大学カーボン科学研究所 特任教授)

2018.05.21

 「工学は存在しなかった物を生み出す。科学は長い間存在していたものを発見する」(David Billington,プリンストン大学の環境工学教授)。

 日本の製造技術の衰退を要約したような言葉である。東京の大学の学食から油まみれの作業着を着た学生が消えたバブルの頃から,工学部の理学部化が始まった。先進国として高度な科学技術に挑戦するという名の下に,結果論だが,学術論文本数が研究助成金獲得の必要条件になっていった。確かにノーベル賞に値する研究を輩出した。他方,韓国と中国との熾烈な価格競争に晒されてモノ作り技術は衰退していった。論文にならない工学研究の不人気はモノ作りを支える土台を壊してしまった。気づいた時には製品開発能力だけではなくソフトウエア(今はAIという)開発まで中国に遅れを取る有様である。なお,皮肉にもエンジニアが行うソフトウエア開発はコンピューター・サイエンスという分野に属する。

 安倍内閣になってからこのような状況を打破するために,科学技術系助成金は基本的に企業との産学連携の形になっている。しかし,少し大きな助成金の中身は企業の名義を借りての理学的研究がほとんどである。大学と研究機関は科学研究担当,他方,工学担当の企業の共同参画は名目ということがまかり通っている。研究者は論文を何本か出せてハッピーだが,報告書をよく読めば工業化に繋がる成果がないことが判る。しかし,審査する方もこのシステムで研究費を得ているのであからさまに指摘しない。「3年後に実用化技術を目指す…」という新聞用語は99%実現されない。大型プロジェクトのずさんさは最近の日経新聞で報じられている(「国の肝いり研究迷走」日経新聞(朝刊),2018年4月18日)。

 研究開発として科学と工学の両輪を使う発想が抜けている。「火星に移住する」というような50年単位で挑戦しなければならない課題も,地道な工学的技術の進歩積み重ねが必要である。部品不良で危機に陥ったアポロ13の映画に出てくるが,部品のすり合わせ不足で形状の異なる二酸化炭素除去フィルターを使用したため,緊急時に互換性がないという危機的状況を生じた。明らかな工学的問題である。しかし,理系人も人の子であるから3Kは避けたい,しかし,研究はやりたいということでPCの前に座ってできる研究に傾いていく。必然的に3Kの工学研究分野は大学から消えていく。我が国特有の現象ではなく,先進国では一般的な現象で,豊かになると3Kをやりたい若者が大幅に減ってしまう。

 欧州よりは泥臭いものに価値観を見出す米国でも80年代前半から工学部の人気は落ちてきた。金曜日にNightclubにいけない大学院工学部で歯を食いしばるより理学部の方がCoolである。現在はリッチで華やかなAI分野も,20世紀末まではヨレヨレ衣装でスナック菓子を抱えた変人エンジニアの仕事と見做されていた。しかし,米国は優秀な留学生を使って工学の不人気を補った。数字を見るまでもなく,米国の主要大学のキャンパスを訪問すれば一目瞭然である。結局,米国は留学生と移民の力で経済活力の土台である技術イノベーションを進めていると言っても過言でない。

 翻って我が国では移民に頼るわけにもいかず,日本人自身が頑張るしかない。幸い,戦争や大震災のような危機に陥ると頑張る民族である。今こそ,AIで浮かれているマスコミを無視して近未来の産業経済危機を唱えよう。大学を再編して大幅に整理統合を行い,戦前の大学(旧帝大と有力私立)と専門学校方式に戻すことで地力を復興させる必要がある。助成金応募に論文数や評価点数(Impact Factor)を採用しない。加えて,大学で勉強しない学生は,父兄の非難を物ともせず落第させよう。さらに,我が国の理工系博士の大きな割合を占める「論文」博士を廃止して,大学院教育を米独蘭型(Ph.D.式)に転換する。これらの方法は米国方式なので優秀な外国人が実力を発揮するためのインフラとしても価値が出るだろう。このような改革には即効性がなく,既得権の破壊なので多くの人が無茶と思うだろうが,「戦争に負けた」的切り替えをしないと,次の破壊的災害や経済危機が発生した時に立ち直ることができない。

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