世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1071
世界経済評論IMPACT No.1071

ロシアとドル:「新冷戦」か「歴史の始まり」か?

蓮見 雄

(立教大学経済学部 教授)

2018.05.07

 社会主義体制が崩壊して四半世紀が過ぎた。当時,「歴史の終わり」が語られ,自由と民主主義を世界に積極的に広げていくべきだという雰囲気が広がった。米国政府の高官たちのゴルバチョフ大統領との口約束にもかかわらず,NATOの拡大は続いた。同じころ,既に1970年代から始まっていた規制撤廃の流れが強まり,国境を越えて広がる金融市場の影響力が格段に増し,ドルの地位は揺らぎないものに見えた。

 一方,EUは,統合を深め,同時に東方に拡大していった。財・サービス・資本・人の自由移動と競争法によるその徹底,そしてユーロ導入は,金融のグローバル化を推し進めた。ニューヨークとロンドンを中心とするグローバルな金融市場が成立し,資源国や新興国の貿易黒字はドル建て債券の購入を通じて還流した。ユーロは,域内と周辺地域において決済,外貨準備,投資に広く利用されるようになった。とはいえ,後にユーロ危機に際して,EU諸国はドル不足に陥り,かえってドルの信用を高める結果となった。

 しかし,当時のユーロ導入と東方拡大の成功との自己認識は,EUの近隣諸国に対する積極策につながり,これらの国々がロシアにとっても近隣であることに対する配慮は次第に薄れていった。

 ロシアもまた,ドル基軸通貨体制に組み込まれていた。1990年代のロシアは,IMFなどから多額の金融支援を受けながらも,資本逃避が常態化した。1998年のデフォルトは,ロシアのトラウマである。当時,ドル預金は4割を超え,それ以外にもドルの「タンス預金」が蔓延し,ドルはルーブルの流通量を上回るほどだった。経済が回復する2000年代になっても,預金やローンの3割がドル建てで,それは2009年の危機の際に跳ね上がった。2000年代初めごろ,銀行部門の対外債務の9割以上がドル建てで,エネルギー企業も資金を国際金融市場でのIPO(新規公開株)に頼っていた。

 こうした中で,EUとロシアのあいだに位置する国々が望むならば,NATOやEUとの関係強化,さらには加盟の可能性をも否定しないという欧米諸国の姿勢に,ロシアは不信と苛立ちを強めていった。ロシアと欧米との関係は,少しずつだが確実に悪化し,ついにウクライナ危機に至る。ロシアはクリミア半島を編入し,欧米は金融を「武器」としてロシアに制裁を加え,それを次第に強化していった。

 「新冷戦」が語られるようになり,外交官の追放合戦など,それを裏付ける出来事は枚挙にいとまがない。2018年4月,米国は,昨年に成立した対ロシア制裁強化法を発動した。制裁のターゲットは,ロシアのアルミ王デリパスカとその支配下にあるUCルサールとEn+グループである。UCルサールの株価は50%以上下落し,ムーディーズとフィッチはルサール・キャピタル発行の証券及び格付けを取り下げた。これは,ルサール製品を取り扱うスイスの資源商社グレンコアにも影響が及ぶ。SWIFT(国際銀行間通信協会)からのロシアの排除は,2014年以来ささやかれている潜在的リスクである。

 スルコフ露大統領補佐官は,『国際問題とロシア』誌に寄稿し,ロシアの「西側への同化というロシアの大旅行」は終わりを告げ,「西欧文明の一部に,という見果てぬ再三の夢」に終止符を打った,と記した。

 今や,ロシアは,人民元に依存せざるを得なくなっている。ガスプロムネフチは,2015年から中国に元建てで原油を輸出し始めた。ロシアは,AIIB(アジアインフラ投資銀行)に警戒感を抱いていたものの,中国,インドに次ぐ第3の出資国として参加することを決断した。UCルサールは,2017年にパンダ債を発行し始めた。

 2008−09年の世界金融危機に対して,米国はQE(量的緩和)により危機を凌いだが,それはドル減価を招いた。大量のドル建て資産を保有している中国や新興国は不満を募らせ,通貨スワップや金準備の拡大など脱ドル依存を模索するようになった。中国は,2015年からCIPS(クロスボーダー人民元決済システム)を導入し,2018年3月には人民元建て原油先物取引を開始した。こうして,中国は,SWIFTやWTI原油先物への対抗策を打ち出し,人民元の国際化を目指す動きを強めている。ロシアが点心債(人民元建て債券)を発行するのも時間の問題だ,と報じられている。つまり,好むと好まざるとにかかわらず,ロシアは,こうした中国の動きに呼応するかのように,制裁下での生き残りをかけて中国依存を強めざるを得なくなっているのである。

 加えて,2009年,2014年と危機の度に,ロシアが金準備を増加させ,2017年には中国(の公式保有量)を上回った。米国の8,133tには及ばないが,中ロをあわせれば3,700tと米国の半分近くになる。金は紙幣と異なり国家の信用リスクに左右されず,金保有は自国通貨の信用力を高めるので,中ロの金融協力を進める上でも双方にとって安心材料となる。

 だとすれば,我々が目の当たりにしている欧米とロシアの対立は,「新冷戦」の始まりではなく,大西洋からアジア太平洋へのパワーシフトという新しい「歴史の始まり」へのロシアの適応を示す出来事の一コマなのかもしれない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1071.html)

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