世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.779
世界経済評論IMPACT No.779

ASEAN50周年とトランプ・ショック

清水一史

(九州大学大学院経済学研究院 教授)

2017.01.09

 今年2017年にASEANは設立50周年を迎える。ASEANは東アジアで最も深化した経済統合である。世界経済の構造変化に合わせて発展を模索し,1976年から域内経済協力を進め,1992年からはASEAN自由貿易地域(AFTA)の実現を目指し,2003年からはASEAN経済共同体(AEC)の実現を目指してきた。そして2015年12月31日には,AECが創設された。ASEANの経済統合は着実な成果を上げ,また生産ネットワーク構築も支援してきた。現在では,新たなAECの目標(「AEC2025」)に向けて経済統合を深化させようとしている。

 ASEANは,東アジアの地域協力とFTAにおいても,中心となってきた。アジア経済危機後のASEAN+3やASEAN+6などの重層的な協力において,その中心はASEANであった。またASEANを軸としたASEAN+1のFTAが確立されてきた。そして東アジア包括的経済連携(RCEP)も,2011年にASEANが提案して推進してきている。

 しかし,トランプ氏の大統領就任は,ASEANにも大きな影響を与える可能性がある。トランプ氏は,「大統領就任初日にTPPからの脱退を通告する」と明言している。TPPの行方は,ASEANが進めるRCEPの進み方にも影響を与え,AECにも影響を与えるであろう。トランプ氏の大統領就任が世界の貿易体制に負の影響を与え,それがASEANの発展を阻害する可能性も考えられる。

 TPPの行方は,ASEANと東アジアの経済統合にも大きく影響するであろう。先ずトランプ氏当選以前の状況を見ておこう。第1に,TPPはASEAN経済統合を追い立ててきた。TPP確立の動きとともに,ASEANはAECの創設に向かってきた。第2に,TPPがRCEPの確立を追い立て,それがAECをさらに追い立ててきた。第3に,TPPの幾つかの規定が,AECを深化させる可能性も考えられた。たとえばマレーシアとベトナムにおける政府調達や国有企業の例である。

 TPPはASEAN各国にも大きな影響を与えると考えられた。第1に,参加国の貿易にプラスの効果があると考えられた。これまでアメリカとのFTAを結ぶことができなかったマレーシアやベトナムにとっては,TPPはアメリカとのFTAとなり,輸出に大きな利益が生まれると考えられた。第2に,アメリカを含めた生産ネットワークに参加することで,貿易と投資に大きな利益があると考えられた。第3に,ベトナムの場合のように,アメリカとの関係では安全保障にもプラスとなることが期待された。

 しかしながら,TPPが頓挫してしまった場合には,これまで述べてきたプラスの影響は,まさに逆になるであろう。TPPがASEAN経済統合に与える影響では,第1に,ASEAN経済統合を追い立てる力が弱くなるであろう。第2に,TPPがRCEP交渉を促す力が弱くなり,RCEPがAECを追い立てる力も弱くなる。第3に,TPPの幾つかの規定がAECを深化させる可能性は低くなる。

 次に,ASEAN各国にも大きな影響があると考えらえる。TPPに参加してきたベトナムやマレーシアには,今度は逆に,多くの負の影響があろう。TPPによって輸出が増える可能性がなくなり,アメリカを含めた生産ネットワークに参加することで貿易と投資が増える可能性も低くなる。TPP発効を見込んでベトナムへ投資した企業も,撤退するかもしれない。ベトナムにとっては,安全保障にも影響が出るかもしれない。

 他方,これまでTPPに不参加のタイやインドネシア,フィリピンは,TPP参加国から取り残される事態が避けられると考えるかもしれない。タイのソムキット副首相も「タイの立場としてはTPPが頓挫した方がメリットは大きいだろう」と言っている。

 しかしTPPが頓挫することは,あるいはトランプ大統領になって世界経済が保護主義的になることは,ASEAN経済全体に大きな負の影響を与えるであろう。これまでASEAN諸国は,世界の自由な貿易体制の中で,また貿易と投資の拡大の中で急速に発展してきたのである。

 TPPが進まない現在の状況の中で,ASEANとRCEPは,更に重要となる。ASEANが統合を深化し,RCEPを推進することは,東アジア全体の発展のためにも不可欠である。そしてそれは,ASEANの世界経済に占める地位を向上させ,ASEANの交渉力を向上させるであろう。

 現在の状況では,先ずはRCEP交渉を妥結させることが先決である。RCEPの交渉妥結が,TPPや他のメガFTAの存続と発展に大きく繋がる。RCEPを早期に先ず妥結する事,そしてレベルをできるだけ上げて行くことが重要である。TPPが進まない状況で,RCEPはFTAAPへ唯一の主要なルートでもある。RCEPを牽引しているのはASEANであり,その役割は重要性を増している。

 このような状況の中で,日本がASEANに協力し,ASEANと連携して行くことは,今後更に重要になってくる。日本は,メガFTAを進め,世界全体での貿易自由化と通商ルール化を進めなければならない。それは日本経済のためでもある。

 日本はTPPを国会で承認した。他の各国に働きかけて,少しでもTPPの実現に向けて進めて行くべきである。アメリカ抜きの12−1で進めることも,検討すべきである。同時に,RCEP交渉を進め,日本とEUのEPA交渉を進めることが重要である。

 設立50周年の今年,ASEANがAECを更に深化させる方向に進み,同時にRCEP交渉を妥結させる事を期待したい。また世界各国がメガFTAに消極的になりつつある今日,ASEANと日本がRCEP交渉を進め,メガFTAを進め続けることが不可欠である。

(追記)

 トランプ・ショックの影響について詳細は,世界経済評論IMPACT PLUS「鼎談:アジアの経済統合の行方とトランプ・ショック」を参照されたい。
 またAECに関しては,石川幸一・清水一史・助川成也編著『ASEAN経済共同体の創設と日本』(文眞堂,2016年11月刊)を参照されたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article779.html)

関連記事

清水一史

最新のコラム