世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4018
世界経済評論IMPACT No.4018

花蓮堰止湖の氾濫:“他山の石”,日本への参考

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2025.10.06

氾濫による犠牲

 台湾東部に位置する花蓮県馬太鞍渓上流の堰止湖の氾濫により,14人が死亡,34人が負傷,31人が行方不明となった(9月25日午前9時時点)。航空機からの撮影によると,約9100万トンあった堰止湖の貯水量は,氾濫により約2300万トンまで減少した。すなわち,約6800万トンの湖水が大量の土石流となり,泥沙や倒木が住宅区に流れ込んだ。緊急の救援活動が直ちに始まったものの,多くの犠牲者を出す事態となった。

堰止湖の形成から氾濫まで

 2024年4月3日に発生した地震により花蓮県馬太鞍渓では周辺の山体が崩壊し,同時に地質の軟弱化が生じた。ここに2025年7月25日の台風6号が上陸し,さらなる崩落が生じ,堰止湖が形成された。7月~9月の2カ月の降雨により水位は湖の最高位置の上限に達し,堰止が限界に達した。

 9月23日午後2時50分に堰止湖の湖水は渓流に沿って氾濫した。第1波の土石流は3時5分に「馬太鞍渓橋」に到達し,堤防の負荷限度の4倍に達する濁流により,橋は流失した。その後,4時頃には第2波の土石流が押し寄せ,光復郷内に流入した。家屋の一階部分は土石流に呑み込まれ,氾濫発生から120分後には最高水量に達した。犠牲者の多くはこの時に遭難したと思われる。

 この堰止湖の高さは約200メートル,堰止の幅は約2300メートル,長さは約600メートル,容積は約2億立方メートル,容水量は3.4万個のオリンピックの標準プールに相当する。体積は約8.5個の東京ドームに相当する。

 堰止湖の約6800万トンの貯水が流出したことで,下流の馬太鞍渓が氾濫し,花蓮県光復郷の「佛祖街」では全犠牲者数の3分の1が集中した。氾濫前の9月21日には中央災害応変センター(政府災害対策本部に相当)が氾濫警戒警報を発し,翌22日の午前7~8時頃には「紅色警報」(最高緊急措置)発令の可能性も発表された。「強制撤退(退避)」対象地域は1837世帯の6810人だ。この数字は,淹没(水没)想定区域図を事前に作成し算出されていた。避難経路も予め明確にしていた。また,緊急の連絡先として,村長などは住民の電話番号も把握していた。しかし,事前の予測通り,14人の犠牲者はこの地域内で発生してしまった。今後,退避が計画通り行ったのかなど確認と検証が必要となろう。

 9月24日に実施された花蓮県地方検察署の検証では,果たして,責任の所在が中央政府の監視制御と通報体制にあるのか,あるいは地方政府の避難計画の実施に問題があったのかに焦点が当てられている。

 翌日になると,雨量も少なくなり,救助活動が進展,空難救援担当の空中勤務総隊はヘリコプターから懸垂下降し,女性1人と男性6人を救った。6歳の女児のケースでは,天井の瓦を壊し,1階の棟梁にしがみついているところを救助した。残念ながら同居していた祖父母は行方不明のままである。

氾濫前の回顧と災害対応

 空中撮影により存在を発見された堰止湖には,7月27日に陽明交通大学の専門家が先遣され,カメラによる監視活動を展開した。

 8月12日には台風18号が発生,最終的に台湾とフィリピンの間のバシ海峡を通過し,台湾への直撃は無かったものの,台湾東部に大雨をもたらした。それによって,馬太鞍渓堰止湖は警戒レベルが一気に高まり,氾濫警戒区域も今般被害が大きいかった花蓮県の光復郷,鳳林鎮,万栄郷に拡大した。中央災害応変センターは,花蓮県政府に対し,安全な場所に自主避難,川岸の低い所に接近しないよう通達する指示を出すなど注意喚起を促した。

 さらに,13日には内政省が花蓮県の山区に450ミリリットル,湖水が堰止の最高点まで残り40メートルの箇所に達する降雨予報を発し,中央災害応変センターも農業省,経済省に対し,馬太鞍渓と堰止湖の水位を監視するよう指示を出した。

 9月22日午前7時,農業部林業自然保育署(林保署)から人命に関わる最高レベルの「紅色警報」を発令し,前述の1837世帯,6810人に強制退避を指示した。避難方法は,内政部の指導方針に従い,「親族・知人宅への避難」「避難所への避難」「高所への避難」の3種類だ。また,中央政府は,花蓮県における避難作業を始め,マンパワーが不足する事態を想定し,軍に対する動員命令を発出した。

不適切だった行政の対応とは

 中央政府,国防省は21日に一級警戒を発し,副参謀長が各軍種に指令する任に当たった。第4戦区(台南県,屏東県,高雄県),第2戦区(花蓮県など)も一級警報を開始した。また,地方政府が一級警報を発表した日時について,台風18号が通過したバシ海峡に近い屏東県政府は21日,高雄県政府と台南県政府は22日である。唯一の花蓮県政府はこの時点で二級警報,一級警報を開始したのが23日の氾濫後の午後6時だ。明らかに重大ミスである。

 また,花蓮県知事は18日から日・韓を視察旅行中で,19日には豪雨災害に関する警戒が出されたにも関わらず,知事は帰国しなかった。22日には林業保護局が郷・村の住民約1800名に緊急退避の指示を行った。被害の深刻化を危惧した劉世芳内政相が花蓮県知事に電話連絡し,批判を恐れた同知事は22日の夕方にようやく帰国した。知事不在時の間,副知事(消防署出身)が指揮にあたったが,その対応も遅かったことが指摘されている。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4018.html)

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