世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
身動きが取れない米国の金融政策
(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)
2025.07.28
上昇に転じた耐久財消費者物価
7月15日発表の6月分米国消費者物価指数は,全体で前月比+0.3%,エネルギー,食品を除いたコアで同+0.2%と,事前の市場予想から大きく違わない結果となりました。トランプ関税の影響は,消費者物価にはまだ明確には現れていないようです。ただ,耐久財消費者物価の前年同月比変化率のマイナス幅が2024年8月の−4.2%を底に縮小し,今年5月には0.0%,6月には+0.6%となってプラスに転じたことは注目されます。消費者物価指数における耐久財のウェイトは10%程度ですが,60%以上を占め,物価の基調を決めているサービス物価に先行する傾向があります。また,非耐久財物価と比べて細かい揺れ動きが少なく,趨勢がつかみやすいという面もあります。こうしたことから,物価の先行きを探る上では重要な指標と言えます。耐久財物価の動きからすると,消費者物価インフレ率にはトランプ関税の発動以前から下げ止まりの兆しが見えていたようです。
雇用・賃金情勢に大きな変化は見えない
金融政策にとっては,インフレ率と共に雇用情勢も重要です。失業率は2023年4月に3.4%と1969年5月以来の低水準まで下がった後,緩やかに上昇し,2024年7月には4.2%となりました。ただ,その後は上昇が止まり,4.0~4.2%に留まっています。直近値の今年6月も4.1%でした。6月17,18日開催のFOMC参加者の経済見通しによれば,中長期の失業率予想値は4.2%となっており,現在の失業率の水準は米国の労働市場が全体的には概ね需給均衡状態にあることがうかがわれます。
また,名目GDPとの相関が強い民間非農業部門の賃金総額(=就業者数×平均労働時間×時間当たり賃金)の前年同月比増加率は,2023年10月から5%前後で推移しています。6月には+4.5%と5月の+4.9%から減速しましたが,現行統計の起点である2006年3月からの年率平均増加率+4.1%を上回っています。雇用情勢に大きな変化の兆しは見えていません。
トランプ大統領は強硬姿勢を取り続けやすい
インフレ率と需給ギャップをもとに政策金利の適正水準を判断する方法として,米国の経済学者ジョン・テイラーが提唱したテイラー・ルールがあります。失業率を需給ギャップの代わりに用いて,以下の式によって米国の政策金利であるフェデラル・ファンズ金利の定期性水準を推計してみました。
政策金利適正水準=−0.5*失業率+1.5*消費者物価中央値6カ月前比年率+1.5
この式は,6月のFOMC経済見通しにおける中長期予想値(失業率=4.2%,個人消費支出価格インフレ率=2.0%,政策金利=3.0%)と整合性が取れるようにパラメーターを調整してあります。なお,消費者物価インフレ率は個人消費支出価格インフレ率よりもやや高くなる傾向があるため,中長期予想に相当する値を2.4%としてあります。この式に直近値の6月の値(失業率=4.1%,消費者物価中央値=3.7%)を代入すると,政策金利の適正水準推計値は5.0%となり,足元の実際のフェデラル・ファンズ実効金利4.33%を上回ります。パラメーターの設定やインフレ率の指標の選択次第で推計値は変わりますが,少なくとも足元の政策金利が経済情勢から見て高すぎるとは言えないようです。その点では,トランプ大統領が利下げが遅すぎるとパウエルFRB議長を非難することは的外れでしょう。さらに,上に述べたように,インフレ率が下げ止まりの様相を呈し,雇用情勢に大きな変化が見えない中,昨年12月以来の追加利下げの見通しは立ちません。7月29,30日のFOMCでの利下げ見送りは確実視され,7,8月分の雇用統計で失業率が大幅に上昇することなどがなければ,9月16,17日のFOMCでも利下げ見送りになりそうです。
利下げ見送りが続く間,トランプ大統領は,パウエルFRB議長を非難し続けると見られます。ただ,足元でインフレ率や雇用情勢に大きな変化が見えていないことで,トランプ大統領は関税交渉において,米国経済への影響を気にせずに,強硬な姿勢をとり続けやすいと言えます。その分,FRBとしては関税の影響を見極めるまでにさらに時間がかかり,身動きが取れない状況が続きそうです。景気の悪化が顕著になれば,FRBは利下げに動くことが予想されますが,トランプ大統領は景気が悪化したのは利下げが遅れたせいだとしてパウエルFRB議長への非難をやめないでしょう。
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