世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ドイツ産業供給網 バルカン諸国を視野
(国際貿易投資研究所(ITI)客員 研究員・元帝京大学経済学部大学院 教授)
2025.07.21
コロナ・パンデミック,ウクライナ戦争,ユーロ為替相場の上昇,地中海沿岸諸国の相対的に好調な経済などによって,欧州における企業の国際経営戦略の条件は大きく変化しつつある。ドイツ経済は2年連続で縮小した。新政権による歳出拡大への期待も米自動車関税の導入以来,急速にしぼんだ。欧州連合(EU)に対する上乗せ関税発動は先送りされ,交渉待ちの状態となっている。
ドイツ経済研究所(IW)のマクロ経済研究所のミヒャエル・グレムリングは「関税戦争は企業の通常業務に多大な負担をかけている」とし,「トランプ氏の気まぐれな政策はドイツにとって最悪のタイミングで発動されたため,ドイツ経済はまさに試練の時を迎えている。マクロ経済の総需要面では外国需要,とくにEU域外の世界需要にほかのどの国よりも依存するドイツ経済の困難さは容易に想像される。
こういう情勢のなかでドイツ企業が中東欧や南東欧を介して米国に輸出を試みるシナリオが意識されている。もともとドイツは中東欧との間でこれら諸国のEU加盟を通じて密接な供給網(サプライチェーン)を構築してきた。さらに近年では,国内におけるコスト高や中国企業の中東欧進出などの影響を受けて,中東欧に対する投資がドイツ企業の関心を集めてきた。南東欧でEU未加盟のアルバニア,ボスニア・ヘルツェゴビナ,コソボ,モンテネグロ,北マケドニア,セルビアの6カ国,いわゆる西バルカン諸国の場合は,まだ対米貿易黒字は10億ドル弱程度と少ない段階にある。こうした環境を生かしてドイツ企業は中東欧や南東欧を介して米国へ輸出する,あるいは同地域での米国向けのモノの生産を増やすため投資を強化することを意識するようになってきた。なお,米国がEUからの輸入品に対して一律に追加関税を課す場合,すでにEUに加盟している中東欧を介して輸出を試みるメリットは小さくなる。一方で南東欧(西バルカン)は,EUに加盟していないため,そうしたリスクに晒される恐れが小さい。とはいえ南東欧の場合,一部の国を除くと産業化が遅れていることから,ドイツ企業による迂回輸出や現地生産の強化に対応できる能力に乏しいという意見がある。中長期的な中東欧シフトもドイツの産業空洞化を促す方向に向かうと言う懸念もあるが,トランプ大統領による関税政策は,ドイツ企業の国外進出を促す要因になるだろう。そもそもドイツ企業は,これまでも生産に最適な立地を模索し続けてきた。近年のドイツでは労働コストが急速に膨らんでおり,ドイツは企業にとり魅力的な立地ではなくなっている。またEUによる強い産業規制もドイツ企業にとっての逆風となっている。そのためドイツ企業の国外進出は,最終需要地である米中での現地生産の強化を中心に今後も進むとも考えられるが,これまでドイツとの間で密接な供給網を構築してきた中東欧や南東欧での生産の強化もドイツ企業の国外進出の選択肢として真剣に考えられている。しかし一方でこれらの動きはドイツの産業空洞化を促すものであるという意見もある。ドイツには「対中デリスキング」を推進できるような余裕など存在しない。ドイツ企業が中東欧を介して米国に輸出したり,また中東欧で米国向けのモノの生産を増やしたりする動きは,ドイツの産業空洞化を促す反面で,中東欧の設備投資の増加,資本形成につながる。同時に中東欧には,EUの復興基金からのインフラ投資向け予算配分が予定されている。南東欧にも同様の支援が見込まれるためこれらの地域は内需主導による比較的高い成長が見込まれる。とりわけウクライナと国境を接するポーランドやルーマニア,スロバキアでは,戦況次第でウクライナの復興需要が急速に盛り上がるため,ヨーロッパ中からヒト・モノ・カネが集中するとも考えられる。一方で,これらの生産要素は有限であるので,中東欧にヒト・モノ・カネが集中すれば,中東欧以外のヨーロッパの経済が供給制約に苛まれることになる。
そもそもヨーロッパの中心であるドイツやフランスの景気は,政情不安や財政再建で低迷を余儀なくされる公算だが,こうした供給制約の観点からも下押し圧力がかかる可能性がある。ドイツ経済は長い伝統を誇る「マイスター制度」に代表されるように,元来,製造業中心の経済であるが,天然資源に乏しいため,資源国の動向に生産活動が大きく影響されてきた。また,これまでの経済成長において国内中小企業が重要な役割を果たしてきたが,これも周辺新興諸国に代替されるようになり,多くの中小製造業が苦しい経営を強いられている。なおドイツには,従業員数500人以下の中小企業が250万社存在する。加えて「メイド・イン・ジャーマニー」を代表してきたダイムラー・クライスラーやフォルクスワーゲン,シーメンスといった大企業も精彩を欠いている。改革論者として著名なWHUオットー・バイスハイム経営大学院のユルゲン・バイガント教授は,「ドイツ製造業は国際競争力を完全に失った。コスト削減に走り,付加価値の高い商品を開発できないままである。お家芸であった自動車産業に限ったことではない。『創造的破壊』がまさに求められている」と指摘する。このようななか,ドイツ産業界は「第3の道」を模索しつつある。すなわち,行きすぎたアングロ・サクソン型経営を見直しつつ,かつてのドイツ的経営の長所を発掘し,新たなドイツ的経営を再構築しようとするというものである。同氏は次のように考え方を披露する。「私は経営者と従業員によるドイツ式の『共同決定方式』に賛同したこともなければ,また『ハイヤー・アンド・ファイヤー』(雇用のみならず解雇を自由に決定できる)を前提としたアングロサクソン・モデルもドイツにふさわしいとも思わない。中庸の道があるはずだ。その意味で,日本にドイツが注目する意味はあるだろう。ここ10数年間のドイツ産業界において高業績を続けている企業というと,有名なところでは自動車部門ではSAP,BMW,ポルシェと言われ,そのほか化学製薬会社のアルタナ,トラクター製造のクラアスが挙げられる。もちろん,第3の道という言い方はやや曖昧であるが,これらの企業に共通するのは,まじめで創造的な経営姿勢である。エコノミスト経済学者としてこのような曖昧な表現は慎まなければならないが,まさしく中庸であり,新しいモデルのヒントが隠されているように思われる」。
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