世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
19世紀の香港封鎖の歴史と関税紛争への示唆
2025.06.09
関税を巡る米国トランプ政権の政策が,国家間の「関税紛争」として時事的に大きく注目されている。本稿では関税と国家主権の関連につき,史実から若干の考察を行いたい。
関税および自由貿易,国家主権で連想されるのは,やはり中国の香港における歴史である。1842年に中国(清朝)と英国間に締結された『南京条約』によって,香港島はイギリス領となり,中国本土と香港の間には新たに税関が設立された。すべての外国商船はこれらの税関において関税(tariff)が課されることになったが,中国と香港の商船は関税支払い義務から除外されていた。そのため,香港の商人はこの制度を利用し,中国本土にアヘンや貿易品を持ち込む外国商船の荷を,香港で現地の商船に積み替え,中国本土に無税で運び込むことを頻繁に行った。加えて,密輸活動もさらに活発化することになった。そのため,1868年に広東の釐金(りきん)局(地方税の徴収機関)は,九龍半島の北部とマカオに関所を設置してアヘン密輸への審査を強化した。その後,広東における貿易関連機関である常関(Native Custom)は,収税機関である釐金局の施策に倣い,貿易関連の関所を増やした上で商船や商品への検査をより厳しく行うことにしたが,アヘン等の密輸は収まらず,清朝政府は香港封鎖(Blockade of Hong Kong)に至った。
香港封鎖は密輸の封じ込めには役立ったが,関税をめぐって広東と香港,ひいては中国とイギリスの紛争も引き起こした。イギリスは封鎖を打破しようとし,広州のイギリス領事ロバートソン(Daniel Brooks Robertson)と洋関総税務司ハート(Robert Hart)の斡旋によって,1886年に九龍関(九龍における税関)の一元的な設立という形で,中国(清朝)とイギリスは合意に至った。
関税紛争の解決をめぐる協商においては,関税自主権の欠如のために,中国(清朝)側は絶対的な劣勢に陥ったが,関税権益を守るために自身の正当性を強調する姿勢は一貫しており,イギリス側は,密輸取締に対する清朝(広東)側の決意を理解し強圧的な姿勢では協商に臨またなかった。しかし,常関と釐金局による徴税の不正が貿易秩序へもたらす弊害も懸念されており,イギリスは解決提案の主導権を握っていた。一元的な税関としての九龍関の設立についての合意は,紛争と妥協の長いプロセスを経たものであり,その過程で,調停者としてのロバートソンとハートが,中立的な姿勢を持ち,協商を進めさせたことが,合意に至るキーファクターであった。
香港封鎖に関する歴史は,関税紛争の解決に示唆を与えている。主権国家間(上記の事例では,中国とイギリス)の関税を巡る権益が,ある程度均衡すると双方に認識されることが,国家間の公正な取り決めの最低条件として必要,という点である。(イギリスによる香港の植民地化自体の是非については大きな論点であり,植民地体制の解消には,さらに100年以上の歳月を要しているが。)そして現代に目を転じると,米国トランプ政権が提示した関税措置を巡る国家間交渉においても,やはり米国と交渉相手国との権益がかなりの程度均衡する,と当該国双方の政治家,行政官および国民によって認識されることが,合意にあたって不可欠であろう。その際,交渉の範囲(scope)は,グローバル化された現在においては貿易収支の均衡ということに限定されず,直接投資拡大,国内雇用の創出,技術移転の有無,さらには安全保障上の合意など,多岐にわたり得るため,多少時間がかかるであろうが,いくつかの受諾可能な交渉範囲と想定されるシナリオを米国と(日本を含めた)交渉相手国の双方が提示した上での交渉進展が望まれる。
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