世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
円安の功罪と経済政策
(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)
2025.01.13
円安による消費者物価の上昇
12月23日付の本コラム「日本の家計所得の構造変化」では家計の実質所得の停滞を指摘しましたが,その背景にはコロナ禍後の物価上昇があります。円安の影響を受けやすい食料,エネルギーを中心に消費者物価が上昇しています。月次の円名目実効為替レートは,近年のピークである2020年5月から2024年11月までに27.7%下落しました。一方,食料の消費者物価は,コロナ禍後のボトムであった2020年12月から2024年11月までに22.8%上昇しました。エネルギー消費者物価もコロナ禍後のボトムは同じく2020年12月であり,そこから20204年11月までに25.4%上昇しました。同時期に食料,エネルギーを除く消費者物価は4.7%の上昇に留まっています。2024年11月の前年同月比では+1.7%であり,日銀が目標とする2%インフレを下回っています。生活必需品である食料,エネルギーの物価上昇は,生活必需品への支出比率が高い中低所得者層にとって大きな負担となっています。
対外直接・証券投資と投資収益の増大
12月23日付のコラムでは,家計の財産所得の増大も指摘しました。NISAやiDeCoを活用した証券投資の増大が,財産所得増に寄与しているようです。特に,海外株式を中心にしたインデックス投信が人気を集めており,対外証券投資の増大を促していると見られます。実際,国際収支関連統計の対外資産負債残高を見ると,証券投資の対外純資産残高のGDP比は,2022年末の12.9%から2024年9月末には24.6%まで上昇しています。一方,直接投資の対外純資産残高のGDP比はコロナ禍以前から長期的に上昇しており,2024年9月末には46.3%と,証券投資純資産残高の倍程度の規模となっています。純資産残高の増大に伴い,2024年7-9月期には証券投資の収益の受取りと支払いの収支のGDP比は+2.4%,直接投資収益収支は+4.3%に上っています。日本の財・サービス貿易収支は赤字傾向が恒常化していますが,直接・証券投資収益の受取りによって経常収支黒字が維持されています。ただ,直接・証券投資の収益は,そのまま対外直接・証券投資の再投資に回る部分が多くなっています。結果的に,経常収支が黒字であっても対外直接・証券投資による資本流出が円安をもたらす構図になっています。さらに,円安が対外直接・証券投資の収益拡大の一因にもなっていると考えられます。直接・証券投資の収益拡大の恩恵は,対外投資を行うだけの資金がある大企業や富裕層に留まり,その余裕がない中小企業や中低所得者層は,円安によるコスト上昇に苦しんでいるようです。
容易でない金融・財政政策での対応
こうした状況に通常の金融・財政政策で対応することは,容易ではありません。食料・エネルギー価格の上昇の背景にある円安を止めるために日銀が利上げを急げば,景気が悪化する懸念があります。上に述べたように,食料,エネルギー以外の消費者物価の上昇ペースは日銀の目標を下回っており,大幅な利上げを正当化しにくい状況です。
与野党間で議論中の所得税の控除拡大は,高所得者層ほど減税額が大きくなり,格差拡大を助長します。かと言って控除拡大が小規模なものに留まれば,経済的インパクトも小さくなります。企業に物価を上回る賃上げを要請することは家計にとっては望ましいことですが,円安によるコスト上昇に苦しむ中小企業にとっては難題です。
一方,低金利を続け,政府債務の増大を招くような大規模な減税策や歳出拡大策を取れば,円への信認が崩れて資本流出が増大して一段と円安になり,中低所得者層や中小企業はさらに苦しい立場に追い込まれかねません。
政府が社会保障制度や税制の抜本的見直しを通じて,政府債務を増やさずに富裕層から中低所得層への所得再分配を行う一方,日銀は2%インフレの目標にこだわらず,景気動向に目を配りながら円への信認を維持できるような適正な金利水準を模索することが必要と考えられますが,その実現性となると悲観的にならざるを得ないようです。
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