世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日本の産業政策の新展開:過去の事例から現在の半導体産業まで
(岐阜聖徳学園大学 教授)
2023.09.04
日本という国はほんらい産業政策を得意としてきた。明治維新以降,歴史上の人物の劇的な登場も手伝って産業構造を首尾よく高度化することに成功した。具体的には繊維産業に代表される軽工業から機械金属などの重工業へと,付加価値の高い分野へじょじょに上昇させていった。それはいわゆる輸入代替工業化から輸出段階へ転換する過程だったが,そこには当時の国際事情から日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦という対外的な戦争をともなっていた。しかも世界大戦はさておき当時の特殊事情ともいうべき不平等条約の制約下でのことであった。不平等条約が解消されてからは,重商主義の局面へ入っていくものの,周知のように当時の日本経済は,関東大震災の発生により事後的対応に翻弄されるとともに日本国内の金融恐慌やアメリカ発の大恐慌,さらには第二次世界大戦の勃発というように激動そのものであった。
そして戦後になるが,代表的な産業政策として傾斜生産方式の採用を上げなければならない。周知のようにそれは,石炭と鉄鋼業に傾斜的に資源配分するというものだった。その背景にある理論はハーシュマン流の前方・後方連関効果である。つまり鉄鋼の使用から誘発される新産業から次から次へとさらなる産業が誘発される諸効果のことだが,いまでいうサプライチェーンにしたがって新規産業が創出されるプロセスをイメージするとよい。もとよりこれが日本で可能だったのは,先に述べた近代国家日本において工業国家としての生産基盤が具備されていたからだ。そうして日本は比較優位産業を従来の繊維産業や造船業からさまざまな耐久消費財からなる家庭電化製品,そして現在の花形産業である自動車へと首尾よく移行させていった。その過程においては,カリスマ的経営者の立志伝も華やかだ。旧松下電器(現パナソニック),ソニー,本田技研,および京セラなどは,当初は少ない人数で起業してもやがて大企業に発展し,グローバル次元のブランド企業へ成長した。ところが今では技術移転が進み,東アジア地域(中国,韓国,台湾)にライバル企業が多く出現するようになっている。
さてこのところにわかに注目されるようになったのが,半導体産業である。半導体とはもともと製造工業で使用される電子素子として真空管とトランジスタに代わるものとして登場し,いまでは集積回路をはじめほとんどの工業製品に組み込まれている。正確にいえば,ナノメートル単位にまで微細化したトランジスタと半導体との結合体である。今年刊行されたクリス・ミラー著『半導体戦争』(ダイヤモンド社)によれば,この分野で熾烈な技術開発競争――半導体の製造と微細化をめぐる競争――が展開されていて,アメリカとヨーロッパおよび東アジアを巻き込んでの国際競争状態にある。とくに世間の話題をさらっている代表的な人工知能(AI)であるチャットGPTに組み込まれている半導体において圧倒的シェアを誇るエヌビディア(米国)――この企業の強みは画像処理装置(GPU)のチップを設計したことにあるとされる――と,台湾のTSMC(台湾積体電路製造)がよく知られるようになった。後者は計算能力に秀でていて,半導体サプライチェーンにおいて製造に特化することで圧倒的なシェアを獲得した。なおメモリーチップを得意とする韓国のサムスン電子は,半導体サプライチェーンの設計から製造まで一貫して取り組むという戦略を採っているようだ。
そこで日本の産業政策との関係において最も注目されているのが,TSMCによる熊本への工場建設である。すでに第一工場が建設中であり,第二工場の建設候補地としても経済産業省と熊本県が同県への建設を熱心に誘致運動しているようだ。
ここにきて日本政府は総力を挙げて半導体産業を国家事業として位置づけようとしているように見える。朝日新聞(2023年7月6日)によればそれは全国規模であって,熊本のTSMC(1兆2000億円)だけでなく北海道にラピダスが約5兆円規模,東海地方にキオクシアが約1兆円,さらに投資額は示さないが北陸地方には東芝系列企業,東北地方には東京エレクトロン,中国地方にはマイクロン・テクノロジーと日立ハイテク,九州にはソニーと京セラなどがそれぞれ大規模投資を計画している。
もとよりこのような大規模な民間投資がおこなわれる背景には,経済学でよく知られるケインズ的乗数効果が期待されるだろうし,ルイス流の余剰労働移動説(これをさらに発展させたハリス=トダロの期待賃金モデル)――周辺の農村から都市工業部門へ大量の労働移動が見込まれて大きな雇用効果がもたらされ所得増につながる、という東アジアで共通に見られるモデル――の適用が含意されるであろう。加えて半導体サプライチェーンにおいても,前述の傾斜生産方式と同様にポジティヴな連関効果が期待できるのである。
関連記事
宮川典之
-
New! [No.3209 2023.12.04 ]
-
[No.2986 2023.06.12 ]
-
[No.2873 2023.03.06 ]
最新のコラム
-
New! [No.3215 2023.12.04 ]
-
New! [No.3214 2023.12.04 ]
-
New! [No.3213 2023.12.04 ]
-
New! [No.3212 2023.12.04 ]
-
New! [No.3211 2023.12.04 ]
世界経済評論IMPACT 記事検索
おすすめの本〈 広告 〉
-
構造主義経済学の探究 本体価格:3,500円+税 2018年1月
文眞堂 -
開発論の視座:南北貿易・構造主義・開発戦略 本体価格:3,000円+税 1996年1月
文眞堂 -
開発論の源流:新構造主義・幼稚産業論・学際的アプローチ 本体価格:3,300円+税 2007年3月
文眞堂 -
新時代の相互主義 地殻変動する国際秩序と対抗措置 本体価格:2,800円+税 2023年8月
文眞堂 -
点検 習近平政権:長期政権が直面する課題と展望 本体価格:3,200円+税 2023年7月
文眞堂 -
トピックスで読み解く国際経営 本体価格:2,800円+税 2023年9月
文眞堂 -
変質するグローバル化と世界経済秩序の行方:米中対立とウクライナ危機による新たな構図 本体価格:2,800円+税 2023年7月
文眞堂 -
MBAのナースたち:9つの事例にみるMBA取得者のその後 本体価格:2,700円+税 2023年9月
文眞堂 -
分析経営から創造的経営へ:脱・失われた30年への処方箋 本体価格:3,200円+税 2023年8月
文眞堂 -
香港日本人商工会議所の研究(1945~2019年):自由経済から一国二制度への対応 本体価格:4,800円+税 2023年7月
文眞堂