世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2831
世界経済評論IMPACT No.2831

キャピタル・フライトは幻惑なのか?

高屋定美

(関西大学商学部 教授)

2023.01.30

 キャピタル・フライトという言葉が最近,目につくようになってきた。昨年10月の国会審議でも立憲民主党の櫻井周(シュウ)議員が,日本からのキャピタル・フライトの可能性についての質問を出している。ちなみに,政府の回答は「様々な要因に左右されるものであり,一概にお答えすることは困難である」という通り一辺倒のものであった。

 筆者が初めてキャピタル・フライトという言葉を目にしたのは,1980年代の中南米債務危機の際であった。深刻な債務危機を経験し疲弊した途上国経済に対して,さらにキャピタル・フライトが追い打ちをかけた。さらに90年代後半の東アジア通貨危機でも巨額の資金流出が東アジア諸国の経済に大きなダメージを与えた。

 国際経済学者であり,金融史家でもあるキンドルバーガーは1937年に出版した著作の中で,異常なほど巨額の資本流出をキャピタル・フライトと呼んだ。しかし,どのような取引が異常であり,どの規模の資本流出をキャピタル・フライトと呼ぶかの明確な基準はいままでも確立されていないといえる。

 貯蓄不足に直面しやすい途上国経済の場合,原罪とも呼ばれる「外貨(一般的には基軸通貨)での対外借り入れ」がおこなわれやすい。そのことがキャピタル・フライトの要因にもなり得る(回転ドア仮説と呼ばれる)。そのため,外貨での対外借り入れが殆どない国の場合には,キャピタル・フライトによる問題は起こりえないと考えられてきた。

 1990年代後半にアルゼンチンで起きたキャピタル・フライトのケースでは,固定レート制を採用していたアルゼンチン経済は輸入増,輸出不振を経験し,さらに海外からの投資も活発となっていた。ただし,インフレが高まる中で固定レート崩壊を予想する投資家は,ドルへの資本逃避を行った。しかしアルゼンチン政府は固定レート制をなかなか放棄しなかった。国内ではドル建ての住宅ローンが多く,アルゼンチン通貨の減価は住宅ローン負債を抱えた国民の負担増となり政治的混乱を招くことを政府は怖れた。そこで政府はIMFからの支援を依存しようとしたが,支援条件の財政再建に国民が反対したため,金融市場ではアルゼンチン国債の売却が進められたため,国債暴落が起きた。それだけでなく,ペソの暴落と高いインフレを予見した国民が預金の取り付けを行ったため,預金封鎖をおこなった。さらに,緊縮財政予算をまとめられなかった政府はIMFからの支援も取り付けられず,結果としてデフォルト宣言を出すことになった。

 アルゼンチンのケースではやはり外貨による対内投資と,外貨とリンクした国内融資が問題となり,さらに外国人投資家だけでなく国民もキャピタル・フライトを行おうとした。ただ,このケースは固定レート制の固執への教訓と,中進国であっても外貨による対外ファイナンスに過度に依存した結果として想起されることが多いが,自国民も資産防衛のために海外にキャピタル・フライトを行うこと,そして自国の金融市場を混乱させることは,よい教訓として残るであろう。

 昨年2022年9月の英国では,投資家によるポンド売りにより急激なポンド安に見舞われた。その背景に,金融市場からのトラス政権が打ち出した経済政策への懸念,特に財政再建への不安があったことは周知のことではある。それに加え,英国経済においても外国人投資家に依存した経常赤字のファイナンスがあった。途上国だけでなく先進国であっても対外借入に依存する場合には急激な自国通貨下落を経験することを知らしめたことになる。

 最初に戻るが,では将来の日本の場合にキャピタル・フライトは起きないのであろうか。巨額の財政赤字を抱え,長期にわたる非伝統的金融緩和が維持されている日本経済は,経常収支黒字は継続されており,海外投資家に対外ファイナンスを依存しているわけでない。また,国内の個人金融資産2005兆円(2022年9月末)が存在しており,金融市場の安定性は確保されている。もし個人金融資産が日本からキャピタル・フライトをしようとしても2005兆円分の行く先が海外で見つかるのかという議論も成り立とう。

 しかし,日本経済が経常収支赤字を継続的に出すようになった時にも,そのように考えられるかといえば,そうともいえない。日本経済が経常収支赤字のファイナンスを必要とすれば,政府の安定財政が懸念されたアルゼンチンや英国の例にも近くなる。また,「貯蓄から投資」へのスローガンのもと,個人金融資産は徐々にグローバル化して,国際分散投資されている。そのため,個人といえども自身の資産を海外資産にシフトするハードルは下がっており,日本に住む個人でも資産防衛のため海外にキャピタル・フライトする動機も手段ももつことは十分考えられる。

 杞憂であればいいのだが,政府財政への信頼と,持続的な経常収支赤字の回避という使い古された道ではあるが,将来,日本からのキャピタル・フライトを防ぎ,円の対外価値の暴落を防ぐ道なのであろう。その使い古された道を忘れずに王道を進むことを忘れないでいたい。

[参考文献]
  • Kindleberger,C. (1937) International Short-Term Capital Movement, Columbia University Press
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2831.html)

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