世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
世界で関心が高まる中央銀行デジタル通貨とデジタル円の見通し
(慶應義塾大学総合政策学部 教授)
2022.09.19
世界の中央銀行のおよそ9割が中央銀行デジタル通貨(CBDC)に関心があり,研究,概念実証,またはパイロットテストを実施している。とくに,金融機関の間で利用されるホールセール型CBDCよりも,一般の市民や企業が利用する一般利用型CBDCへの関心が高まっている。国際決済銀行(BIS)の調査によれば,中央銀行の6割が今後1~6年以内にリテール型CBDCの発行可能性を想定する。その理由として,新興国では,銀行口座を持たない市民にも金融サービスを提供する「金融包摂」,「決済の効率性」「金融の安定性」を挙げている。また先進国でも「金融の安定性」を重視している。
リテール型CBDCへ関心の高まりは,フェースブック(現,メタ)が2019年にリブラ計画を発表したことがきっかけであった。しかし,現在では暗号資産やステーブルコイン利用がもたらすシステミックリスクや,電子決済サービスを提供する少数の大手テクノロジー企業による市場濫用行為への懸念が主因となっている。さらに,コロナ禍により現金利用が一段と減少したため,現金に代わる安全な決済手段の提供が必要だと考える中央銀行が増えたこともある。またユーロ圏では,CBDCとしてのデジタルユーロを発行することで,加盟国の煩雑な国内決済システムを統一し域内経済の効率性を高めたいという追加的な動機もあり,欧州中央銀行(ECB)が近い将来デジタルユーロを発行する可能性が高まっている。
現金選好が強い日本
日本では,現金利用が多い上,ネットバンキングサービス,クレジットカード,多様な電子マネーによる決済手段が普及しており,市民のCDBDへの関心は低い。民間の決済手段を使うとポイントの付与などのメリットもあることや,現金利用による犯罪からの被害が少ないことも,CBDCに魅力を感じない人が多い理由のようだ。
日本では,現金はモノ・サービスの支払いのための安全かつ低費用でしかも流動性の高い決済手段であり続けている。民間最終消費に占めるキャッシュレス利用の比率は,2010年の13%から2021年には32%に上昇したに過ぎない。現金の発行残高は名目国内総生産(GDP)の2割にもなり,世界でも稀にみる高さである。現金保有の機会費用が低いことも背景にある。銀行の預金金利が実質的に0%に長く据え置かれており,クレジットカード,電子マネー,銀行サービスの利用には高い手数料がかかる。低インフレで現金価値が安定していたことや,高齢化も現金需要からの転換も難しくしている。
しかし,この状態は日本経済にとって効率的ではない。店舗,レストラン,銀行などは,警備費やセキュリティ関連の設備投資などで現金取扱に伴う費用を負担しているからだ。本来,こうした資金はより生産的な目的に活用できたはずである。
期待されることら(KOTORA)送金サービスの開始
日本では今年10月から個人間の少額送金サービスの効率化が進みそうだ。昨年,みずほ銀行,三菱UFJ銀行,三井住友銀行,りそな銀行,埼玉りそな銀行が共同で,市民の現金利用を減らし,少額決済インフラを開発するために,株式会社ことらを設立した。10万円以下の個人間送金をより速く安価に実現する。人口1億2500万人が住む日本は,約8億もの銀行口座があり過度な銀行依存社会だ。多くの人が複数の銀行口座を持っており,様々な取引目的に使用し,複数の銀行で資金を保管している。個人間の大半の送金はATMやネットバンキングで行われており,高い手数料を支払っている。
ことらの送金インフラは低い手数料で利用できる。送金者と送金先がことらに対応したアプリをダウンロードすれば,電話番号や預金口座番号や電子メールアドレスの入力だけで送金できるし,メッセージも一緒に送れる。税金や保険料の支払い,医療,電子商取引などのサービスにも使える。重要な点は,決済効率が向上し,小売業者は独自の決済アプリを開発する費用を節約できる。現在のデジタル決済市場は,ICカードやスマホの電子マネー決済を使用した多数のプリペイド,ポストペイド,およびデビット決済方法などが併存しており,異なるアプリ間や銀行口座への送金は容易でなく決済市場の分断が起きている。ことらインフラはこうした分断を減らし,銀行とノンバンクの間の連携も実現可能だ。
ことらインフラは,ユーザーがダウンロードしたアプリをAPI経由でJ-Debitと呼ばれる既存の即時決済サービスシステムに接続する。J-Debitは日本電子決済推進機構が運営するインフラで,金融機関のキャッシュカードを使って購入した商品やサービスの代金を即座に支払う仕組みだ。すでに1000を超える銀行や金融機関がJ-Debitシステムを使用しているため,多くの利用が期待できる。J-Debitは,全銀システムの下で高価な銀行間取引を通じて個人間送金を行う現システムよりも高速で安く,関連するさまざまな金融活動の革新を促進する可能性もある。
日本銀行が実施中のCBDCの概念実証
日本銀行はCBDC(デジタル円)の概念実証を実施中である。2022年3月にフェーズ1を完了し,現在はフェーズ2を実施中である。概念実証は日銀内部でのみ行われているが,フェーズ2が終了すると複数の銀行や金融機関を交えてパイロット段階に入る予定だ。CBDCの実用化が現時点で想定していないが,政府が将来発行を決定した場合に備えて,技術的な知見とスキルを充実させために実証を行っている。
フェーズ1では,オンライン決済のCBDC台帳について3つの設計パターンを検討した。パターン1とパターン2は金融機関および(または)ユーザーの口座を使用する。パターン3はトークンを用いる方式である。パターン1は中央銀行が全ての金融機関とユーザーの残高・取引を記録しユーザー間の口座振替でCBDCを移転する中央集中管理システムであるが,パターン2では中央銀行が金融機関の残高・取引を記録する台帳を管理し,各金融機関が顧客ユーザーの残高・取引を記録する台帳システムを想定する。パターン3では,中央銀行が全てのトークンを管理する台帳を運営し,それぞれのトークンに一つのIDを割り当て,さらにユーザーIDと紐づけしCBDCを移転する仕組みである。
処理パフォーマンスがピーク時に1秒間で処理する取引件数が10万件以上,取引指図1件の処理時間を数秒以内とする仮定を置いた場合,パターン1の処理時間が他のパターンよりも優れていたと結論づけている。パターン2の課題は,口座残高データ(記録)を更新する複数の取引指図が行われると,先着の処理が完了するまでその後の取引を処理できないように,記録がロック(つまりデータベースサーバー上でデータ処理が一時停止)されてしまうことにある。先着のプロセスが完了すると,記録のロックが解除され後の取引処理が実行されるので処理の遅延が発生する。サーバのCPU使用率も増加するのは,記録のロックが解除されたら直ちに後続の取引処理ができるようするため記録の状況を常に監視しなければならないからである。
パターン3の課題はサーバのCPU使用率が100%まで上昇してしまう。これは取引指図1件ごとに,複数のトークンについて保有者IDの更新処理が行われるため,処理件数が大きく増えるのが原因である。
上述の結果パターン1が最適にみえるが,取引指図の投入件数が大幅に増加するとリソース制約を受ける可能性はある。また,安全性やサイバーリスク耐性の観点から全ての処理と機能を集約させる中央集中管理システムが適切か検討の余地もある。これらの結果にもとづき,フェーズ2では,より複雑な周辺機能を加えて,それらの技術的な実現可能性と処理パフォーマンスへの影響の可能性を調査していくという。
将来的にはことらとデジタル円の紐づけが可能に
日本の人々によることらインフラの利用が増える一方で,パターン1または2のような口座形式の台帳システムの実用化の可能性が見えてくると,日本銀行がデジタル円を発行する際にはことらインフラへの接続も検討できるかもしれない。そうなればデジタル円へのアクセスや24時間365日スマホを使用してCBDCを利用しやすくなる。さらにデジタル円を無料で発行し,現金よりもデジタル円を使用することの利点について人々の理解を促すことに成功するならば,現金からデジタル円に転換が進み,日本経済は決済効率をさらに改善し,関連するイノベーションを促進できる可能性がある。こうしたことから,日本銀行が一般利用型CDBCに関する知見を積み重ねていくことは重要である。さらに,既存のクロスボーダーの送金コストが非常に高いことを考えると,CBDCを使用した国境を越えた支払いの効率を考慮するCBDCを模索することも有望な選択肢である。
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