世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2263
世界経済評論IMPACT No.2263

「孫子第三篇」に見る危機管理の「失敗の本質」:彼を知らず,己を知らざれば,戦う毎に必ず殆し

平田 潤

(危機管理システム研究学会 理事)

2021.08.23

 筆者は中国の古典‐特に春秋戦国時代の「論語」を初め「荘子」,「墨子」といった政治・哲学的な書物の1ファンとして,これまで座右の銘的に読み続けている。

 こうした世界レベルの名著には,それぞれ古代の不朽の箴言がちりばめられているが,決して単なる理想論,ましてや机上の空論等ではなく,当時の社会の現実・困難に正面から向き合った,生々しい経験に裏付けられている。

 なかでも「孫子」は今から約2500年前に書かれた兵法書ではあるが,優れた戦略眼,的確な分析と行動指針が示されており,現在に至るまで,経営やビジネスでの,時代を超えた指南書として多くの人に読まれ,かつ尊重されている。

 筆者が考える所では,「孫子」が時代を超えた有効性を持つ理由として,

  • ①「孫子」の各篇が,作戦/攻防といった軍事だけでなく,政(治),経(済),人(事),情報を巻き込んだ,統合的オペレーションを重視し説いた,内容であり,
  • ②「孫子」が提示する戦略は,必ずしも「正しい」という性格のものではなくて,「より的確で」,「より柔軟で」「相対的にましな」選択を行うことを求めている(つまり勝利の方程式というよりは,「負けない」ための戦略の色彩が強い)。
  • ③かといって「孫子」の指針は,経営TOP等にとって一見簡単明瞭で,実現可能にみえても実際には容易ではない。‐「故に曰く勝ちは知るべし,而(しか)れど為すべからず(第4篇)」(勝つ方法がわかっても,いざ実行となると別問題)。その理由は,自らの組織に問題・課題が存在(内部統制・ガバナンス)する故であることが多い。孫子の警句では,「彼を知る」と同様に,「己を知る」ことの難しさを示す場合が実に多いと思われる。
  • ④さらには「孫子」が時に例示する「失敗の事例」から学ぶことは,更に難しい。「学ぶ」とは「羹にこりて膾を吹く」「リスクゼロを掲げる」とは全く異なる。「孫子」を愛読する経営TOPもまた,往々にして,自らの失敗には,組織の保全・責任回避の観点から,また他の(組織)の失敗に対しては,対岸の火事視して,貴重な失敗事例から真に学ばず,結局,忘却の蓋をしてしまうことが非常に多い。
  • ⑤個人レベル・企業(組織)レベル・政府/国家(レベル),いずれにしても戦略の巧拙を最も問われるのが「危機管理」である(結果が明白に顕れてしまう)。これまでに起こった様々な危機管理の失敗については,多くの場合,「孫子」が戒めている「選択の誤り(消極的な無作為の場合も含まれる)」の結果であることが多いというのは,厳しい歴史が示す現実といわざるを得ない。

 例えば,有名な「故に曰く彼を知り,己を知れば,百戦して殆うからず(第3篇)とは,全てのビジネス・経営の戦略としてまさに「王道」を説いたものであろう。

 しかしながら後段のあまり引用されない「彼を知らず,己を知らざれば,戦う毎に必ず殆し」については,実に耳の痛い言葉であり,とくに「危機管理」失敗の「本質」を言い当てた鋭い警句とも感じられてしまう。

 すなわち,政府でも企業でも組織でも,深刻な危機に際して,トップマネジメントが,彼(危機・リスクの実体・本質・そのパワー)をよく理解しないまま(専門家や機関等を適切に活用せず)危機の規模・ダメージの程度,波及のスピード等について楽観・軽視した認識を続け,一方で己(危機に第一線で対応する現場の実情,人的・物的資源や装備,資金手当て)の状況を,十分把握していないまま,①総論的で明確さを欠く,或いは複雑で実行には時間がかかる,そして後追い的な施策・指示を,②短絡的・天下り的に,③かつ優先順位をつけずに,「政策(方針)」として出した場合,現場は,実行段階での様々な調整や確認を余儀なくされ,混乱/疲弊し,危機が迅速に収束するどころか,かえって後述する新たな「政策危機」を引き起こしてしまう,という事例が,後をたたない。

 筆者はかつて,80年代欧州諸国の経済危機(英国病・イタリア病・オランダ病),タイ・インドネシア等東南アジア各国を襲ったアジア通貨危機(及びIMFの改革策),市場経済移行段階のロシアなど,6か国の事例につき,「構造危機」と「政策危機」という座標軸を設定して分析を行った(「長期不況はなぜ繰り返すのか」2004年東洋経済新報社)。

 その際に各国が直面した「構造危機」に対応するための「危機管理」政策の失敗が,事態をより悪化させる「政策危機」を引き起こしていたこと,を検証している。

 すなわち,政策危機とは,「構造危機(①長期にわたるマクロ経済不均衡や,②既に有効性を喪った経済政策(理念)の長期に及ぶ護持,③経済・金融市場における非常に強い内的・外的ショック)」の深刻化に対応して,適用・処方された政策が新たに(二次的に)招来した危機)を意味する。端的に言えば,「危機管理政策の失敗」がもたらした新たな困難を指すものである。

 そして上記6か国の事例から,「政策危機」のパターンについて,

  • A.「構造危機」が未知の原因・分野で発生したため,迅速な政策対応が困難
  • B.(危機の過小評価)などによって,初期段階での的確な「初動対応」欠如―後になって膨大な時間・コストのロスが発生―
  • C.「構造危機」の本質を見誤る(また問題解決の先送りを図ったり,平時のオペレーションで漫然と対応する,さらには的外れの施策を持続する)ことで,ミスマッチを助長・拡大させる)。
  • D.「危機管理」政策の失敗
  •  ①限界ある伝統的政策の漫然とした適用・対応
  •  ②中途半端な改革策を実施し,現場が混乱する
  •  ③一貫性を欠き,優先順位もあいまいな政策を導入する
  •  ④政策の対象(現場)へのショック・副作用を軽視し,混乱と組織の疲弊を引き起こす

といったパターンが見て取れた。

 Aはやむを得ないにしても,危機管理当事者としては,B,C,Dはできるだけ回避すべく,不断の努力を行う必要があろう。「孫子」のスピリットが不朽な所以である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2263.html)

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