世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2128
世界経済評論IMPACT No.2128

デジタル貿易をめぐるルール形成の行方:第12回WTO閣僚会議の議論

三浦秀之

(杏林大学総合政策学部 准教授)

2021.04.19

 2021年3月31日に,主要7カ国(G7)による貿易相会合が,議長国英国の提案により史上初めて開催された。英国が同会合を開催した狙いとして,EUを脱退した英国が通商政策において存在感を出すこと,そして多国間主義を標榜する米国のバイデン政権が発足したことに伴い通商問題に関する国際協調を演出することを企図したと言われている。英国は,同会合における重要課題として,WTO改革,貿易を通じた気候変動対策・環境問題への貢献,医療関連物資のサプライチェーン強靭化,デジタル貿易の促進をめぐる問題,そしてデジタル貿易を挙げていた。議長声明では,新型コロナウイルスで大きな打撃を受けた経済の復興において,2019年にダボスで開かれた世界経済フォーラムで安倍晋三首相(当時)が提唱した「信頼ある自由なデータ流通(DFFT)」に基づきデジタル保護主義への反対,また消費者及びビジネスの保護,国境を越えた円滑な物品及びサービスの移動を可能にするデジタル貿易に関するルールを策定することの重要性について一致したことを示した。その上で,デジタル貿易はWTOの新たなルール形成における重要分野であり,第12回WTO閣僚会議(MC12)までに実質的な進捗を達成することを目指すことが表明された。こうした中で,本稿では,デジタル貿易のルール形成をめぐり,昨年9月21日に執筆した「デジタル貿易をめぐるルールの重要性」の延長で,デジタル貿易をめぐりどのような議論がなされているのか,あらためて概観してみたい。

 2017年12月の第11回WTO閣僚会議(MC11)において,電子商取引に関する共同声明が発出され,有志国グループが将来の交渉に向けた探求的作業を開始した。そして,2019年1月の非公式閣僚会合で,電子商取引に関する共同声明が出され,交渉開始の意思が確認された。主要国のデジタル貿易をめぐる考えには差異があり,日米などがデータの自由な流通を訴える一方,個人情報保護などの信頼性を重視するEU,国家主導によるデータの管理を主張する中国をはじめとする途上国など,デジタル貿易をめぐるルール作りでは温度差がある。その結果,デジタル貿易をめぐるルール形成において,日本が提唱したDFFTというコンセプトは,各国のバランスを取って編み出されたものであったといえる。「データの自由な流れ」という点は米国に,「信頼」という用語はEUにアピールすることを意図していた。そのため,2019年のG20大阪会合の機会に発出されたDFFTの推進を謳った「デジタル経済に関する大阪宣言(大阪トラック)」では,米国,EUのみならず,中国,ロシア,ラテンアメリカ,東アジア諸国を含む24か国が参加に合意したことは意義深い。

 一方,途上国は,市場を開放しデータを共有することで経済的利益を生み出すという観点を必ずしも共感しておらず,DFFTに対して消極姿勢を示していた。特に,インド,インドネシア,南アフリカの3カ国は,大阪トラックに署名しないという選択をした。これら途上国が宣言に参加しなかった背景には,(1)データをめぐる問題はWTOで議論されるべきであり,大阪トラックのようなプルリ協定は電子商取引に関するWTO作業プログラムの下で行われている多国間交渉を阻害する,(2)多国間協定は,データ・ガバナンスのための政策空間を狭める,(3)サーバー設備等の国内設置を求めるデータローカライゼーション規制がDFFTによって損なわれる可能性がある,という懸念によるものであった。

 こうした各国間の立場の違いが,WTO164加盟国のうち,現在86の有志国が参加しているWTO電子商取引交渉においても対立構造を生み出している。特に,中国を含む途上国では,データ保護主義的な国内法の整備が進められている。ただ,中国が加わる通商協定で電子商取引に関する規定が入るのは初めてとなるRCEPが昨年11月に締結している。RCEPに電子商取引を入れることを主張したのは日本である。公共の政策上及び安全保障上の理由で制限を課すことを妨げないという条件付きながら,TPP3原則のうち,電子情報の越境を妨げない「データフリーフロー」及び「データローカライゼーション要求の禁止」という規律を導入している。ただし,ソースコードの開示要求の禁止がRCEPに盛り込まれず,また,デジタル分野の紛争処理手続きの決着も中国の反対で先送りになっている。こうしたことから,実際これらの規定が実効力を持つのかは現時点では不明瞭である。しかしながら,中国がこうした規定を含むことを認めたことは意義深い。

 コロナ禍の中で難しい交渉環境の中で,昨年1年間で,電子商取引に関する円滑化,自由化,信頼性,横断的事項,電気通信,市場アクセス,適用範囲及び一般的規定に関して広範かつ建設的な議論を行われ,電子署名及び電子認証,ペーパーレス貿易,電子的な送信に対する関税,公開された政府データ,インターネット・アクセス,消費者保護,迷惑メール,ソースコード等については,少数国会合において良好な進捗が得られたという。その上で,昨年12月7日に,同交渉会議の共同議長国である日本が,豪州及びシンガポールと共にこれまでの交渉の進捗を反映し,交渉の次の段階の基礎となる統合交渉テキストを作成し発表している。また,今年3月16日に開かれた交渉会合では,オーストラリアのジョージ・ミナ大使がクリーン・テキストを夏前に提出する意欲を示している。

 日本は国内のデジタル化の進展が遅れていると言われているが,先駆的なデジタル貿易のルールを盛り込んだTPP,日米デジタル貿易協定,日EUEPA,RCEPなどを締結し,WTO電子商取引交渉においても共同議長を務めるなど多角的自由貿易体制を維持すべく積極的な役割を担おうとしている。デジタル経済が拡大し,コロナ禍の中でデジタルトランスフォーメーションが加速する中で,今後のMC12に向けて,各国の国内事情に寄り添いながら,妥協点を探ることが求められる。同時に合意の末に導かれたルールの実効力をいかに高めるか検討する必要がある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2128.html)

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