世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1419

ナイジェリア:ブハリ政権の経済政策とビジネスの進展

久米五郎太

(城西国際大学大学院 特任教授)

2019.07.22

 ナイジェリアで2015年に成立したブハリ政権はこの5月末に第二期を迎え,組閣が進んでいる。2月の大統領選挙では,オバサンジョ大統領時代に副大統領・民営化委員会担当の地位にあったアティク・アブダカルと争い,ブハリが10%以上の大差で優位を得た。二人とも北部出身のイスラム教徒だが,選挙結果は副大統領候補の出身地域も反映し,北部と西部がブハリ,それ以外はアティクと国がほぼ二分された。軍人出身のブハリはすでに76歳。1970年代に石油大臣を勤め,その後クーデターで1983年から85年の間軍政を布いたこともある古くからの政治家である。その経済政策は国の関与を重視し,為替レートを厳格に管理し,民営化には総じて慎重である。

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 ブハリ政権第一期では外貨不足の下での複数為替レートの適用に当たって,輸入禁止品目を増やす一方で,主要な輸入企業には輸出企業・外資企業に比べて優遇的なナイラ・レートを適用,公定レートに比べブラックマーケットのレートはさらに下がった。こうした措置は資源配分の歪みや腐敗を生むと,外資企業には不満が多い。IMFは3月の4条協議では複数レート間の幅の収斂を評価しつつも,単一レートを勧めている。生産活動だけでなく消費のレベルでも輸入依存が非常に高いナイジェリアにとって,それが政治的に可能なのであろうか?

 ナイジェリアは長期の間為替レートの推移や為替政策の運用に悩んできた。1980年代後半のババンギダ大統領時代には,IMFからの融資借入に国民が反対したにも関わらず,政府が自らのイニシアティブで構造調整計画を実行したことがある。財政支出の削減が教育・医療分野にも及び,また為替レートの切り下げが頻繁かつ大幅だったため,国民の不満が高まり,計画は途中で取りやめになった。2000年には公的債務リスケジュールの条件としてIMFとスタンドバイ借入協定を結んだが,インフレ率や為替レートに関するコンデイショナリティを満たせず,翌年IMFは協定延長を中止した。爾来ナイジェリアはIMFから借入を行わず,経済計画のモニターを受け,4条協議を行うに留まっている。

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 ブハリ政権でもうひとつ注目されるのは,製造業・農産加工業などの保護育成を打ち出し,なかでも繊維産業再生を目指していることである。一時は雇用数で第二の産業であった繊維産業が何故衰退したのだろうか。米 Foreign Affairs誌2017年3月号は閉鎖された繊維工場の写真を掲載,これによりナイジェリアにかつて近代的な繊維産業が存在したことを初めて知った人もいよう。1950−60年代から英国などの外国の資本や技術により綿紡工場が建設され(中心は綿花生産地に近い当時の北部州首都のカドナ),80年代半ばの最盛期にはナイジェリアには175の工場で25万人が働き,綿花生産から紡績・織布,さらには鮮やかなプリント,そして大消費地カノには卸売市場というサプライ・チェーンが存在していた。KTL,UNTL,アレワ紡などの大紡績工場がカドナに位置し,そのひとつアレワ紡績は日本の十大紡績会社が北部州政府の開発公社と共同で直接投資した会社である。その事業には日本輸出入銀行が円借款を供与し,工場には日本製の設備・機械が据え付けられた。経営管理・技術の指導には日本人があたり,会社の操業状況は良好で,長年にわたり配当を続けた(「双日歴史館」参照)。

 しかしその後の資本・人の現地化や自由化政策(輸入禁止から関税賦課へ)の導入がナイジェリアの繊維産業全体の運命を大きく変えた。1995年にはナイジェリアがWTO入りし,MFA(多国間繊維協定)で設定したクォータを2005年から撤廃すると,中国からの輸入品が大量に流入した。ナイラの為替レートの大幅減価により(ナイラの対ドルレートは1985年からの30年間で約200分の1に),輸入品の価格が上昇し,機械の更新・近代化が遅れ,多くの繊維工場は老朽化し,ついには閉鎖,売却の対象となった。国営電力網からの供給不足を補うための自家発電のコスト高(高価なデイーゼル燃料の使用)に道路などのインフラの未整備も加わり,繊維業だけでなく製造業全般が衰えていった。

 ナイジェリアが今の時代に製造業を興し,繊維産業を再生させるにはグローバルな視点,とりわけサプライチェーンを考えねばならない。ターゲットを絞った優遇策や先進国による製品の優先的な引き取りも有効であろう。

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 ナイジェリアでの日本企業の活動の歴史はかなり古い。1960年の独立直後にはプリント布の輸出や亜鉛鉄板などの軽工業の投資が行われた。貿易インバランス是正を目的とした円借款は,ビアフラとの戦争終了を待たずして,貸付契約の準備が進められた。前述のアレワ紡績の案件の他に,鉄道の近代化・復旧プロジェクトでは,英の宗主国時代に建設された鉄道網の英国仕様を日本仕様に直し,日本から機関車・車両などが供給された。日本の通信機器メーカーによるマイクロウェーブ網の設備供給・建設も行われた。有望市場であったナイジェリアでは商社・メーカーが意欲的にビジネスを拡大,円借款の担当者として意気に感じた時代であった。

 それから半世紀がたった。インフラや石油関連の分野では,日本企業に加えて,,韓国,中国,インドさらには地場の新しい企業が工事やプラント建設を担い,民営化・投資により事業に参加するケースも増えている。

 最近のニュースを拾ってみよう。鉄道の近代化では,中国の技術と融資によりラゴスーイバダン間とアブジャーカドナ間が完成し,さらに北部のカノと南部のラゴス・ポートハーコート間の計画もある。高速道路網の建設も中国その他の外国企業や地場企業が進めている。最大の懸案たる電力不足は,2005年にアンバンドリング(発・送・配電の分離)による電力公社の民営化が行われ,ラゴス火力には韓国電力が出資し,改修が進み,日本企業が発電所を増設し,設備容量を倍にする計画も出ている。配電網の整備も進んでいる。日本企業がかつて建設したポートハーコートの石油化学コンビナートはインド企業が買収し,肥料工場が日本企業により新たに建設された。ラゴスではダンゴテ・グループによる日産65万バーレルの大規模製油所の建設が進み,数年後には石油製品の自給が可能になる。ラゴスには新しい高層ビル地区建設の計画もある。自動車の分野には日本企業が強い関心を示し,本田が二輪車・四輪車を組み立て,日産も委託生産を行っている。

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 ナイジェリアの人口は2050年には4億人強,米国を抜き世界第3位になると予測されている。若年層の比率が著しく高いこの国は他の国を上回る早さで成長を続け,教育を充実させ,雇用を創出していかねばならない。広大な国だけに地域毎に歴史と地理,宗教と部族,石油資源賦存と収入配分などに大きな差異があり,政治的な不安定性や地域間の対立が醸成され易い。北部はかつてのイスラム王国の伝統が残り,軍を主導(中心はハウサ/フラニ族),南部はキリスト教徒で石油を有し(イボ族など),そして南西部(主にヨルバ族)は王国の歴史を有し,キリスト教とイスラム教が併存し、商業が盛んである。ボコハラムのテロ、牧畜民と農民の争いなどもある。こうした多様な国情と独特の事業環境を深く理解しつつ,多くの企業が積極的にビジネスを展開しているナイジェリアの将来性に大いに期待したい。

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