世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1240
世界経済評論IMPACT No.1240

記憶に残る金言集:OECDの国際会議場から

安部憲明

(外務省経済局政策課 企画官)

2018.12.31

 プロ野球の総集編は,この夏の猛暑を一瞬忘れさせたあの鮮やかな放物線を映し出す。しかし,直前の空振りこそが,値千金のホームランの伏線だったとしても,ダイジェスト番組からはカットされるのが通常だ。テレビの前で,一杯飲みながら,「ああ,ポイントはそこじゃない」などと勝負のアヤを独り言つ。

 会議の議事録に残らない発言を拾い集めたら,要点をキレイにまとめた報告書よりも,物事の本質を伝えてくれるだろう。巧まずして口を突く,台本にない一言は,原稿の読み上げ合戦に堕しがちな国際会議のスパイスだ。この1年,経済協力開発機構(OECD)の最高意思決定機関である理事会のやりとりを振り返りながら,心に突き刺さったことばを拾い集めてみた。

 「大使各位,我々は自転車に乗っている。現下の朝野の期待に応えるためには,漕ぎ続けなければならない。さあ,虫眼鏡を外して,大局と戦略を語ろうではないか」——2期10年を務め,3期目も半ばを迎えるアンヘル・グリア事務総長は,いまや,OECDという組織の代名詞だ。OECDは,国際機関としての有用性や影響力,正統性を高め,国際経済ガバナンスにおける存在意義をかけて,公共政策の森羅万象にわたる実証分析や政策提言に意欲的に取り組んでいる。あたかも中小企業の経営社然とした,グリア氏の豪腕ぶりには,株主である加盟国や,社員たる身内の事務局からも苦言が呈されることが多いけれども,この一言は,結果重視の「押し相撲」で勝負するグリア氏が,各国大使からの「手続無視,加盟国軽視」の批判に,議長席から腰を浮かせながら発した反駁の一句だ。

 「多国間主義なんてものは,時間も労力も費用もかかる無用の長物だ。例えば,WTOの紛争解決手続。あんなもん,誰かの役に立っていますか。それにつきあわさているこの瞬間にも,米国の利益は確実に損なわれているのですよ。私の80年の人生で学んだのは,2国間交渉こそが,結果を出す最良の方策だということだ」——米国のウィルバー・ロス商務長官のことば。今年5月末にフランスが「多国間主義のテコ入れ」をテーマに主催した閣僚理事会の開幕セッションで,堂々とこう言い放ち,各国の閣僚や聴衆に,いきなり冷や水を浴びせた。レトリックだけではない。米政府は,会議中に,いずれも出席するカナダ,メキシコ,欧州連合(EU)からの鉄鋼・アルミニウムへの追加関税を発表したのだ。火薬の匂いが,会議場に漂った。

 「一方的措置や貿易戦争の脅しは,人々にとって分かり易いから,短期的には象徴的には国民の気持ちを満たすかもしれない。世の中には,自分は選挙に勝ったのだ,今までのルールを変える,見ていてくれ,と大見得を切る指導者もいる。しかし,私自身は,自分に任務を託してくれた人々を馬鹿だとは思わない。2国間の貿易戦争を挑む者は,結局は,国内の価格上昇や失業者増の憂き目を見ることになるだろう。なぜなら,国際貿易は,もはや2国間で成り立っておらず,(英語で)“モノはカリフォルニアでデザインされ,中国で組み立てられる”のが実態なのだから」——ロス米商務長官が,フランスが主催する閣僚理事会を挑発した30分後,厳粛な面持ちで登壇したエマニュエル・マクロン大統領の基調演説の一節だ。紅潮した顔を上げ,フランス外交が伝統とする国際協調を滔々と訴えかけた。同時に,現在の多国間体制には大いに改善の余地があることも認め,特に,WTO改革に向けた方策を欧州連合(EU)米日中の4者が議論し,G20とOECDに作業を流し込んでいくことも提案した。注目の演説を,大統領府がホームページへの掲載に丸々2日を要した事実は,マクロン大統領が用意された原稿を離れ,多くをアドリブで語ったことを裏書きする。翌週のG7首脳会議(カナダ・シャルルボワ)をも見据えながら,パリの会場を越えて,世界の聴衆に向けての大熱演だった。

 「その答がわかったら,私はとっくにノーベル賞をとっているわ」——キャサリン・マンOECD前チーフ・エコノミスト。卓越した見識で伝統ある最右翼のOECD経済総局を統率し,血筋であるドイツ製の精密時計のように最新の統計データと理論を駆使しながら,現下の経済情勢を絵解き,将来を見通す。「世界最大のシンクタンク」と呼ばれるOECDでも,「包摂的成長」は,近年の究極テーマのひとつだ。経済成長における参画と結果の分配における平等,生産性の向上といった,異なるどころか,往々にして矛盾すると考えられる要請を両立させる経済学上の難問である。「誰も取り残さない」と言えば聞こえはいいが,言葉を換えれば,出来の悪い社員を雇いながら,会社の収益を上げるためにはどうすべきか,という経営者にとっては切実な悩みだ。いつも明快な見立てを示してくれるマン氏ならば,と包摂的成長の「万能薬」を求める数名の大使からの質問に,ついつい苛立ちを隠せなかったのだ。米国人の彼女が,帰国し再び教壇に立ちながら,母国に横溢してやまない反グローバル化の風潮を,今頃どう見ているだろう。

 「世界銀行は〈ザ・バンク〉,国際通貨基金は〈ザ・ファンド〉といった具合に,彼ら金貸し業者の商売は,これからも安泰だ。それと引きかえ,われわれOECDの生命線は,何だろう。思うに,各国の試行錯誤を元手にして,磨き抜かれた制度と政策を世界に貸し出すこと。これしかない」——ニック・ブリッジ前英国大使。英国は伝統的に,気鋭の財務官僚をOECD大使に送り込む。1972年生まれ,40歳前半の年齢は,各国大使の中でも圧倒的に最年少で,電話の後ろではいつも赤ん坊が泣いているとか,合宿形式の大使会合では,冷たい波が洗うノルマンディーの海に独り飛び込んだとか,OECDが訴えるライフ・ワーク・バランスを「先ず隗より始めよ」とばかりに,帰国して早々に育児休暇を取ったとか,多彩な逸話の持ち主だ。JETプログラムで島根で教え,在京英国大使館で勤務した経験もある。「イギリス人が,貴殿の話に,いかにも分かった,という顔で肯きながら『インタレスティング』という時は,真逆のことを意味しているから注意してください―この5年間,OECDでの経験は,実にインタレスティングだった。」と英国紳士としてのユーモアで離任挨拶を締めくくった。最近,気候変動担当大使で職務復帰した,との消息が耳に入ってきた。

 こうした片言隻語の数々は,確かに,忙しい人に読ませる議事録にはなじまないものだろう。しかし,心から発せられる言葉は「記録」には残らないかもしれないが,最も忠実に真実を映し,幸運にもその瞬間に立ち会った者の「記憶」にしっかりと刻印されるものだ。現場の醍醐味は,ここにこそある。

 除夜の鐘に重ねつつ,もう一杯だけ飲みながら,あの人の信条の奥底に発するあの声と表情,あの場,あの瞬間に動いた会議場の空気を振り返ってみよう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1240.html)

関連記事

安部憲明

最新のコラム