世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.584

「働」という和製漢字の気高さ

本山美彦

(京都大学 名誉教授)

2016.02.01

1 取り戻したい「はたらき」の尊厳さ

 近年のIT技術の採用によって,労働の喜びが労働現場から急速に失われてきています。経済学はそもそも,労働のもつ人間としての喜びを見出そうとしてきたものでした。しかし,現在,労働者が単なるコストとして位置付けられるようになったことへの危惧感が現役の経済学者に希薄になっているような気がしてなりません。

 まだ間に合う。悲惨な事態が社会を覆う前に,経済学の方向性を先人たちが追い求めてきた方向に向き直させることが大切だと思います。

 そこで,「労働」という言葉のすばらしさから話の紐を解きましょう。

 「労働」という言葉は,国字,つまり和製漢字です。「峠」という字と同じです。これは,日本の豊かな感性の表れだとの思いで,私は「働く」という字が好きです。

 昔から,「働く」という字はありましたが,もっぱら,「はたらく」と,いう「ひらかな」が使われていました。和製漢字を使い出したのは,比較的最近で明治に入ってからだという研究があります。

 「つとめる」,「せいだす」,「わざを見せる」等々,人の役に立つ意味が込められているのです。

 なんて素晴らしい日本人の心がこの言葉にこめられていることでしょう。

 たとえば,女性の労働。男子並みの賃金を獲得することが女性の権利・義務だと,いまは,多くの人に理解されています。もちろん,不当な賃金差別は是正されるべきでしょう。しかし,労働のすべてを賃金に換算してしまう「ものの見方」は,人の「はたらき」の喜びを無視してしまっているのではないでしょうか?

2 生活の中心であった昔の女性たち

 それに比べて,昔の女性の「はたらき」は,生活と一体のものでありました。柳田國男『明治大正史 世相編』には,生活と一体であった女性の「はたらき」が称賛されていました。

 「女は男とともに正式に働いた。女性が労働に携わると家庭が壊れはせぬかという心配はむしろ杞憂である。機(はた)の上手な八丈島の女性の働きは男の仕事の補充ではなかったのである」。「海女の働きは驚異であった。……朝起きると洗濯や炊事をなし,それから田畑に出て,昼からは海に行って鮑や海草類を採取し,夕には家に帰って家事・裁縫,子供の世話から,村の寄合いや工事に至るまで夫を代表して出るという非常な働きに堪え,海に出ている夫を助け一家を支えて居るのである。夫は始終海にいて世間がわからぬというので,婦人が村会に出席している所さえもある。一体に海浜の女性は非常に労働に従事した」。

 仕事,家事,子育て,さらに集落の会合と,なにからなにまで,朝から夜寝るまではたらいていた女性にとって,「生活すること」と,「はたらく」とは分けられない営みとしてあったのです。これを男性社会が,女性に苛酷な労働を押し付けていたと取るべきでしょうか? 現在の閉塞社会を打ち破る芽は,昔は確かにあった人間の「はたらき」を復活させることではないでしょうか。「職業婦人」の範疇を超えた「生活婦人」の復活を私は夢見ます。

 現在は,労働が危機にさらされています。ITのとてつもなく速い技術進歩によって,あらゆる部門で「生きた」人間の労働が失われています。

 それだけではありません。製品のライフサイクルが極端に短くなり,製品価格の値崩れだけでなく,労働者の熟練の機会を奪ってしまっています。

 バランスの取れた経済社会の構築方法を一刻も早く見出すことが非常に重要になっています。

 最近,私は『人工知能と21世紀の資本主義』(明石書店,平成27年12月,2刷,28年1月,税込み2,808円)を出版しました。「はたらき」がテーマです。

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