世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4079
世界経済評論IMPACT No.4079

世界秩序と国際関係理論:中世,近世,近代の帝国主義の歴史と現代の相剋

鈴木弘隆

(フリーランスエコノミスト・元静岡県立大学 大学院)

2025.11.17

世界秩序と時間軸

 世界秩序における国際政治学者の時間軸は,経済史家より短期的かつ西洋中心的である。他方,帝国主義の歴史である中世のパクス・ロマーナ,近世の5大国体制,近代のリベラルな世界秩序は,近年,西洋以外の地域からも類似の秩序が台頭しつつある。本稿では,長期的な時間軸で,世界秩序の共通点,あるいは相違点の蓋然性を概観する。

中世ヨーロッパの封建制度の歴史とテクノ主権主義との類似点

 デジタル時代の現代におけるポピュリズムの新たな形態であるテクノ主権主義も,パクス・ロマーナ期の封建制度と分類を一にする。農奴を支配し,レントを上納させる点で,パクス・ロマーナ期の領主は現代の巨大テック企業と共通点がある。

 田所(2025)によると,ローマ帝国が支配した地中海を取り巻く世界では,何百年にもわたって共通の制度の下,活発な交易がなされていたことが広域的秩序の事例として挙げられる。イタリアの一都市国家に過ぎなかったローマは,紀元前3世紀頃までにイタリア半島全体を支配し,北アフリカを支配していたカルタゴとの戦争に勝利して地中海の制海権を確実なものにした。そして西ローマ帝国が滅亡する5世紀に至るまで,地中海沿岸を支配し,パクス・ロマーナ,つまりローマが支配する広域的秩序を実現したのである。

 ローマ帝国は東方においてはペルシャ帝国と,また,北方においては,ライン川の対岸のゲルマン系諸民族「蛮族」との間で,しばしば軍事的衝突を起こしていた。だが,そもそも一都市国家に過ぎなかったローマが帝国に発展できたのは,征服した諸民族をローマ市民として同化することに長けていたからである。「蛮族」も傭兵としての義務を果たせばローマ市民権を得ることができ,武将や文官として活躍することも稀ではなく,現代でいうところの,包摂的で多文化主義的な社会となっていた。

 ローマ帝国の五賢帝時代と呼ばれる紀元2世紀の最盛期を過ぎると,帝国は政治的・社会的退廃が進み,統治の質が大幅に低下した。市民も国家が提供する「パンとサーカス」にしか興味のない愚民に成り下がっていた。それでも帝国はそれまでに蓄積した経済的,政治的,そして文化的な資源を食い潰しながら数百年間存続したが,末期にはゲルマン系民族の大規模な流入があり帝国領内で独自の王国を持つようになった。我々が学校で教わる西ローマ帝国滅亡の476年までには,帝国内はゲルマン系諸部族の王国が内在するモザイクと化しており,その一体性をすでに喪失し,帝国の東部では,6世紀にユスティニアヌス帝の下で東ローマ帝国が15世紀まで存続したほどである。7世紀からはイスラム帝国が宗教的求心力で驚くべき成長を遂げると,ローマ世界の統一性の命脈は完全に尽きた。こうして,地中海世界の一体性は失われ,ローマ帝国下の広域的秩序は過去のものとなった。無数の人々がビジネスや文化的交流をすることのできた大規模な公共空間は,多数の小さな支配と従属の関係の寄せ集めへと分解した。そしてキリスト教会が共通の規範的な枠組みとして,かろうじてヨーロッパの一体性を支える役割を果たしていた。

近世ヨーロッパの勢力均衡の歴史と権威主義との類似点

 主権国家体制としての国際秩序を確立したウェストファリア条約(1648年)後の18世紀中頃には5大国体制による勢力均衡が図られた。これは,現代の中露の権威主義体制と比較対象となる。以下では,帝国主義の歴史を概観する。

 細谷(2012)によると,17世紀前半のヨーロッパは,宗教戦争に彩られていた。1618年に30年戦争が勃発すると,カトリックとプロテスタントの間で際限のない殺戮が続けられ,ヨーロッパ大陸は混沌としていった。そのような混乱の中,イングランドの思想家ホッブズは,著書『リヴァイアサン』において,絶対的な権力を有する国家によって安定した国内秩序を確立することを求めた。この時代,フランスのブルボン家とオーストリアのハプスブルク家が,ヨーロッパ大陸での覇権的な地位をめぐり対立し2極的な秩序の基本構造を作っていた。

 これが17世紀半ば以降に徐々に変化する。1648年のヴェストファーレン地方のミュンスターとオスナブリュックでの講和条約(ウェストファリア条約)によって,30年戦争は幕を閉じ,多極的な勢力均衡による秩序が生まれた。イギリスの外交史家であるM・S・アンダーソンは,18世紀を「勢力均衡の黄金時代」と位置付けた。

 イギリスの国際政治学者マイケル・シーハンは,18世紀の勢力均衡を「勢力均衡システムは戦争を防ぐことはなかったし,実際のところそうすることがその目的に含まれていたわけでもなかった。しかし,それによって,限定戦争の時代が到来したのである」としている。つまり「18世紀の戦争はまさに政治の延長であった」のだ。そのような現実から,プロイセンの軍人クラウゼヴィッツの戦略思想が生まれる。クラウゼヴィッツは著書『戦争論』の中で,「戦争は,異なる手段を持ってする政治の継続に他ならない」と論じた。戦争が常態であるこの時代において,質が高く強大な軍事力こそが,国家の安全と繁栄を保障していたのだ。

 1713年,イギリスとフランスとの間で講和条約(ユトレヒト講和条約)が結ばれる。イギリスは,ブルボン家出身のスペイン国王をフランスの王位を継がないことをもって承認した。他方で,イギリスはスペインからジブラルタル及びメノルカ島,そしてフランスから北アメリカのニューファンドランド島,ハドソン湾などを譲り受けて,巨大な海洋帝国を築き上げた。イギリスの海洋支配の幕開けである。1714年には,オーストリアもまたフランス及びスペインとラシュタット講和条約を締結し,戦争を終結させた。ここに,スペイン王位継承戦争が終結した。

 これによりヨーロッパ大陸では多極的な勢力均衡の体系が作られつつあり,他方で海洋においてはイギリスが圧倒的な海軍力によって覇権的な支配を確立する,この二重性が,第一次世界大戦に至るまでの国際秩序の基調となる。

 こうして,18世紀前半にはヨーロッパの勢力均衡の体系を作り上げた5大国,すなわちフランス,イギリス,オーストリア,ロシア,プロイセンが揃った。5大国が国際秩序を作り上げるシステムが,第一次世界大戦勃発まで200年ほど続いていく。この200年こそが,ヨーロッパの栄光の時代であった。

近代ヨーロッパの自由民主主義の歴史とリベラル国際秩序との類似点

 冷戦期の「封じ込め秩序」と「リベラルで民主主義的な秩序」は,グローバルな国際秩序の観点から,現代のリベラル国際秩序の比較対象といえる。

 現代のリベラル国際秩序は「長い平和の時代」と比較し,リアリズム的要素が剥落したかに見えたが,ロシアによるウクライナ侵攻や,アメリカの同盟国に対する防衛費負担増など安全保障の観点から,再びリアリズム的な要素が加わった点で,冷戦期のリベラル国際秩序と共通点が見られる。以下では,帝国主義の歴史を概観する。

 細谷(2012)によると,19世紀の「ヨーロッパ協調」の時代は,カースルレイ英外相が言うヨーロッパの「第一級の大国」,すなわち5大国によって世界全体の政治が動かされていた。それは,ヨーロッパの栄光の時代であり,かつヨーロッパ帝国主義の時代でもあった。

 ところがこの5大国体制が,20世紀の幕開とともに崩れていく。19世紀後半から20世紀初頭にかけて「新興国」の急速な台頭で既存の国際秩序が流動化していった。その「新興国」とは,ドイツ,アメリカ,日本の3か国である。そして,当時圧倒的な海軍力で「パクス・ブリタニカ」の名の下に覇権的な影響力を世界各地に浸透させていたイギリスに対し,3か国は自らの国力にふさわしい地位を求めて国際秩序を修正しようと試みたのだ。

 その後,第一次・第二次世界大戦を経て,大規模な戦争が起こらない「長い平和」の時代を迎えた。1949年4月の北大西洋条約調印による大西洋同盟,そして1951年の日米安保条約に基づく日米同盟と,冷戦時代の西側同盟を支える2つの重要な同盟関係が成立した。この2つの同盟は冷戦時代の勢力均衡を維持していく礎石となる。高坂正堯がかつて「勢力均衡は近代ヨーロッパに国際社会が成立して以来,国際関係を規定してきた第一の原則であったし,勢力均衡の存在しないところに平和はなかった」と述べたのは,そのような現実を直視してのことであった。

 同時に,これらの諸国の間で,基本的な価値を共有していたということも重要な要素であった。例えば,北大西洋条約においては,その前文で,「締約国は,民主主義の諸原則,個人の自由及び法の支配のもとに築かれたその国民の自由,共同の遺産及び文明を擁護する決意を有する」と記されている。また,1960年1月に調印された,日米相互協力及び安全保障条約,すなわち新安保条約では,その前文で同様の価値が示されている。すなわち,「日本国及びアメリカ合衆国は,両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し,並びに民主主義の諸原則,個人の自由及び法の支配を擁護することを希望する」である。

 1989年にベルリンの壁が崩壊し東欧諸国の民主化が進み,1990年には東西に分断していたドイツが再統一した。また,1991年にはそれまで異なるイデオロギーを掲げ,世界に普及させようとしていたソ連が崩壊した。これら一連の変動は,国際秩序の性質にも大きな影響を及ぼした。アイケンベリーが述べるように,冷戦期の国際秩序が「封じ込め秩序」と「リベラルで民主主義的な秩序」という2つの要素で支えられていたとすれば,冷戦後の世界とは前者が消失し,後者がグローバルに広がることを意味する。それが冷戦終結時に多くの人が感じた予感であった。

世界秩序における時間軸の導入

 第二次世界大戦終結80周年を迎え,国際秩序においても相当の研究の蓄積ができ,それに伴い国際政治学における時間軸の導入が求められよう。今後は,歴史と現代の相剋の中で,世界秩序が,どのような政治力学に基づき,時間的経過を経て,どのような軌跡を辿るのか,具体的には,世界秩序の統合的あるいは地域別の帝国主義の発展段階説ともいうべきものに対応する国際関係理論における国際秩序観の形成が待たれる。

 帝国主義の歴史を概観すると,中世,近世,近代の世界秩序と類似の世界秩序が近年,ヨーロッパ以外の地域から台頭しつつあるが,ヨーロッパの帝国主義と同じ道を辿るのか,全くの別物であるか,または,その折半であるか,今後の国際政治の動向に注視していく必要がある。

[参考文献]
  • 田所昌幸(2025),『世界秩序 グローバル化の夢と挫折』,中公新書.
  • 細谷雄一(2012),『国際秩序 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』,中央公論新社.
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4079.html)

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