世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3866
世界経済評論IMPACT No.3866

DEI経営の企業統治と内部留保問題

鈴木弘隆

(フリーランスエコノミスト・元静岡県立大学 大学院)

2025.06.09

国際要因としてのDEI経営の要請

 人権尊重経営時代とは,サプライチェーンでの構造的な人権構造の克服なくして,持続可能な社会は達成できないという危機感から「ビジネスと人権」における企業責任を捉える経営を実践していく時代であった。

 人権尊重経営とは実践的にはDEI(ダイバーシティ,エイクイティ,インクルージョン)経営であり,多様性と自由を尊重することで企業競争力を発揮できるというものだ。そのルーツ,歴史的背景もあり,欧米地域が牽引してきた。そのため,企業の取組みを後押しする政策も法律を含め欧米の影響が強い。今日,より多様な文化が社会を形作るアジアでもDEIの取組みが進んでいるが,多くの課題も指摘される。

 日本企業の場合,同調圧力に屈しない組織文化がDEI経営の実践に必要であるが,従業員はあえて周囲に自らを埋没させることで真の力を発揮できることもある。それゆえ,率直なフィードバックが組織に思わぬ軋轢を生む点に注意が必要である。以下,1.経営戦略,2.推進企業に求められるもの,3.実現を阻むもの,4.多様性を組織に活かすか,に関して中小企業が取り組む課題について概略する。

 1.経営戦略として,多様な人材を活かす環境を整えることは,新たなリーダーの発掘や相互信頼の醸成に不可欠である。それが企業文化の変革につながり,組織に競争力をもたらす。いまこそ日本企業はDEIの必要性を理解し,経営戦略として推進すべきである。したがって,日本企業には,同調圧力に屈しない組織文化が必要である。

 2.経済の不確実性の高まりにより,コスト削減を進めざるを得ない中でDEIへの取り組みが失速しつつある中,従業員はあえて周囲に自らを埋没させることで従業員本来の力を発揮することもできる。推進企業にはこうした職場環境を維持することが求められる。

 3.実現を阻むものには,経済の先行き不透明感の増大や,組織の変革によるコミットメントの衰え,またそれに伴うDEI予算の削減やリーダーからの注目度の低下が挙げられる。こうした状況下ではDEI推進へ企業の本気度が問われる。

 4.DEIは組織文化に最も影響を与えるとの考えがこの10年の潮流である。

 しかし多様性が高いほど,率直なフィードバックが組織に思わぬ軋轢を生む点に注意が必要だ。多様な人材を活かす組織環境の整備は,新たなリーダーの発掘や相互信頼の醸成に不可欠であり,それが企業文化の変革につながり組織に競争力をもたらす半面,組織内で軋轢を生む可能性がある。

「ビジネスと人権」視点からの軋轢

 多様な人材を活かすことで生じる軋轢はサプライチェーン内で国境を越えて生じる人権課題となる。「ビジネスと人権」の観点から,企業には社会的責任としてその解決が求められる。以下では,何故,企業は取引先での人権に責任を負うのか,また,多国籍企業の現地子会社等による途上国での人権侵害や環境破壊について,国際社会がその親会社に求める法的責任への対処法を概観する。

 「ビジネスと人権」は,国連ビジネスと人権に関する指導原則の起草過程を通じて登場してきた用語で,現在では,原材料調達から廃棄・リサイクル・再資源化までの取引先を含めた企業の事業活動とステークホルダー(労働者,消費者,地域住民)の関係におけるさまざまな人権課題を1つの問題群として包括的に捉える視点を指していた。

 「ビジネスと人権」ではその指導原則として「国家の義務」と「企業の責任」を明らかにしていた。特に,本稿と関わる「企業の責任」に関しては,1.サプライチェーンは国境を越えて広がっているため,企業に社会的責任として遵守が求められるのは国際的に認められた人権(世界人権宣言,自由権規約,社会権規約,中核的労働基準を成すILO条約等)であり,状況に応じて当事者グループの人権(ジャニーズ問題であれば子供の権利条約等)に関する追加的な基準を考える必要があること,2.自社と関わる労働者・消費者・地域住民の人権尊重はもちろん,自社とビジネスを行う行為体による人権侵害であっても責任の対象となること,3.企業の人権尊重を果たすためには人権方針,人権デューディリジェンス,是正・救済の実施が不可欠であることであった。尚,人権デューディリジェンス(DD)とは,企業活動の中での人権への負の影響を評価し,予防・軽減・是正するためのプロセスをいい,人権影響評価の実施,影響評価の企業体制・決定への統合,取り組みの追跡評価,情報開示を指していた。

 さて,なぜ企業は,自らの事業活動を越えて,取引先での人権尊重を確保するところまで,責任が求められるのか。国連における「ビジネスと人権」議論は,脱植民地化を経た1970年代から継続されてきたが,その焦点は徐々に重層化していった。当初は多国籍企業の現地子会社等による途上国での人権侵害や環境破壊について,その親会社に対して,法的責任を越えて,責任をいかに問うかであったが,90年代の企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)の広がりは,資本関係のない他社である取引先での人権侵害に対する責任を加えた。さらに,現在までには国連持続可能な開発目標(SDGs)を踏まえた議論が追加されていた。例えば,目標8「働きがいも経済成長も」のターゲットの1つに現代奴隷の根絶があるが,ILO等の最新の統計では世界人口の150人に1人が現代奴隷の状態にあると示されていた。すなわち,自社で働く労働者において現代奴隷がないことはもちろん,取引関係を通じて現代奴隷がない状態を確保していくことが,目標8の達成に不可欠であった。このサプライチェーンでの構造的な人権問題の克服なくして,持続可能な社会は達成できないという危機感から「ビジネスと人権」における企業責任は捉えられている(規範化されている)。

 2008年に,ハーヴァード大学教授ジョン・ラギーが提唱した「保護,尊重及び救済の枠組み」では,一般原則として社会的弱者を尊重,保護,救済することを目的とし,方法論として,非財務情報も開示し,女性と子供の人権も含む包摂的な世界を目指すSDGsと,人権擁護としての人権DDである環境,社会,統治を考慮した投資であるESG投資を用いていた。投資家は,人権DDのもとで,人権を尊重した投資を行う責任投資原則(PRI:Principles of Responsible Investment)に基づき,持続可能なSDGsを実践する企業へ投資し,投資先からリターンを得ていた。

 まとめると,人権尊重経営時代とは「ビジネスと人権」における企業責任を捉える経営を実践していく時代であった。では,2025年現在のビジネスと人権の国際潮流はどのようなものか以下で概観する。

2025年現在のビジネスと人権

 日本の人権DDの実施率は,ジェトロの2023年度調査によれば,大企業で52.5%である一方,中小企業では9.7%,小規模企業は4.9%にとどまっており,実際に企業の業績が振るわない際には,DEIは真っ先に予算削減の対象となることも指摘されるなど,人権DDの取り組みの浸透が今後の課題といえる。以下,1.サプライチェーン,2.日本大企業,3.世界的潮流,4.現状に関して,中小企業が意識すべき点について概略する。

 1.サプライチェーンに関しては,日本企業による人権尊重の取組を進める企業が増加する一方で,特に中小企業等,いまだ取組に着手できていない企業も少なくない。

 そのため,近年,欧米において企業に人権尊重の取組を求める法規制の導入・執行が進み,日本企業においても人権尊重に取り組む必要性がますます高まってきている。

 2.日本の大企業に関しては,グローバルサプライチェーンの広がりに応じて,企業が国内外の自社ビジネスに加え,サプライチェーン全体で人権尊重に取り組むことが求められている。特に,近年は,特に欧米諸国において,自主的取り組みでは不十分との判断から,法制化によって人権DDを義務付ける国が増えている。

 3.世界的潮流に関しては,世界に広がるサプライチェーンの中で労働者の権利を含む人権を尊重していこうという気運はこれまで以上に高まっている。近年では,欧米各国を中心に,人権尊重の取り組みに関する法制化が進んでいる他,貿易協定・通商規制の中にも労働条項が組み込まれるなど,各国における政策も広がりを見せている。

 4.現状に関しては,上述のとおりアジアでも,欧米に影響を受けDEIの取組みが進む一方で,多様な文化が社会に根差した課題も指摘される。また企業の課題としては,DEIは企業都合により真っ先に予算削減の対象となることも指摘される。

 DEIの予算不足は,日本企業に限って言えば,中小企業を含めて内部留保で賄うことが可能である。しかしながら,内部留保を活用しない最大の要因は企業が中長期的な持続的成長の事業プランを確信できていない点にある。以下で概観する。

 現預金の積み上がりは,企業規模を問わず見られる事象だが,近年はとりわけ中小企業で顕著になっている。2012年度末から2016年度末にかけて,大企業では現預金が17兆円増加したのに対し,中小企業では21兆円増加している。結果,2016年度末の企業全体の現預金のうち,6割弱が中小企業の保有分となっている。

 中小企業は経営資源の制約によって大企業に比べて海外展開が難しく,投資有価証券に資金が回りにくいため,現預金への資金滞留が起こりやすい構造になっている。また,業種別で見ると,2012年度末から2016年度末にかけて,35業種中30業種で現預金が増加している。基本的に,利益剰余金の増加額と現預金の増加額は比例関係にあり,人件費や税,配当,設備投資,海外投資等として活用されない,いわゆる余剰資金が現預金として積み上がっている状況がうかがわれる。

 問題なのは,内部留保の積み増しが,人件費や配当等の抑制によって一部実現されており,さらに内部留保増加によって得られたCF(キャッシュフロー)が設備投資に十分に回らず,多くが現預金に蓄積されていることだ。しかも,これらの事象は,一部の大企業だけでなく,中小企業も含め,多くの業種で共通してみられる。一言で言えば,日本企業全体に蔓延する後ろ向き感の強い内部留保の積み増しである。現預金の積み上がりは,企業規模を問わず見られる事象だが,近年はとりわけ中小企業で顕著になっているが,最大の要因は企業が「中長期的に持続的事業成長するイメージ」を持てていないためと考えられるが,予算から中長期的事業成長へと繋げていく企業統治が求められている。

[参考文献]
  • (1)上野剛志(2018) , 「まるわかり“内部留保問題”:内部留保の分析と課題解決に向けた考察」,ニッセイ基礎研所報,Vol. 62,pp.121–133.
  • (2)エリン・メイヤー(2024), 「フィードバックと多様性:従業員の本音を引き出し,組織に活かす」『DEI経営の実践』, DAIMONDハーバード・ビジネス・レビュー, 2024年4月号, pp.47-61, ダイヤモンド社.
  • (3)木内遼(2025), 「責任あるサプライチェーン等における人権尊重の取組」『世界経済評論』, Vol. 69, No.2, pp.6-14, 文眞堂.
  • (4)貴田守亮(2024), 「経営戦略としてのDEI」『DEI経営の実践』, DAIMONDハーバード・ビジネス・レビュー, 2024年4月号, pp.17-25, ダイヤモンド社.
  • (5)小林有紀・鴨下真美(2025), 「ビジネスと人権における世界的潮流とILOの取り組み」『世界経済評論』, Vol. 69, No.2, pp.24-31, 文眞堂.
  • (6)佐藤暁子(2025), 「海外におけるダイバーシティ, イクイティ, インクルージョンの現状: 人権を基盤とする事業活動に向けて」『世界経済評論』, Vol. 69, No.2, pp.32-40, 文眞堂.
  • (7)菅原絵美(2024), 「ジャニーズ問題を「ビジネスと人権」の視点から考える」, 『月刊ヒューマンライツ』, No. 431. 一般社団法人 部落解放・人権研究所, 2024年2月10日発行.
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3866.html)

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