世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
多様な文化・地域を生み出す日本社会の崩壊を招くインボイス制度
(高崎経済大学 名誉教授・(公社)日本地理学会 元会長)
2023.10.23
2019年10月に消費税率が10%に引き上げられた際,食料品など生活必需品は8%とする軽減税率が導入された。日本は付加価値税のため,製品やサービス収入を得るために必要な原材料・事務用品・運搬交通費などに消費税を払っており,納税の際には販売時に顧客から預かった消費税額(売上高の10%および8%)から原材料費など仕入時に支払った消費税額を差し引かねばならない(仕入税額控除)。10%と8%の複数税率社会で仕入税額控除を正確に把握するには,税額や税率を取引毎に記すインボイス(適格請求書)が必要となり,2023年10月にインボイス制度が導入された。しかし,この制度は多様性を持つ日本の社会構造崩壊のインパクトになるのではと懸念している。
複数消費税率社会でのインボイス制度導入は,理論的に問題なく欧州では定着している。これまで消費課税事業者であった大企業や専任会計担当者を配置する中小企業では,インボイス制度導入は大きな問題にならないであろう。問題は免税事業者の個人事業主・零細事業者・フリーランスが,課税事業者と取引する際,インボイスを発行できないことで取引停止などが発生することにある。しかし,インボイス制度を認知・理解していない免税事業者,領収書等の受取り・発行・整理など複雑・多大な事務処理が不可能な免税事業者が多く,多様な社会を構築している圧倒的多数が免税事業者のままである。
昨年来,大企業などは取引先事業者に課税事業者か免税事業者か,課税事業者への転換可否調査をしてきた。政府は免税事業者から仕入れた課税事業者に一定期間消費税の軽減措置を行い,一方的な取引変更は独占禁止法の適応対象とする。しかし,既に取引停止が始まっている。たとえば専属業務を持たずに様々な取引先のある個人事業主の場合,随時あった発注が入らない。大企業からすればインボイス発行業者に発注すれば事足りるが,小規模事業者は受注減により事業継続不可能となる。こうした団結権も訴える術もない個人事業主などは,日本社会から静かに姿を消すだけである。
9月末廃業の老舗や事業所が目に付くが,インボイス制度が直接・間接関係の廃業理由のものもある。永年,老夫婦が消費税額込みの売上で経営する安くてうまい飲食店では,消費税10%を納税する余裕はない。原材料費・光熱費などの仕入税額控除で納税額を減らすにはインボイス制度対応の事務処理時間・資力・体力を求められ,引き時と廃業に至る。こうして特色ある老舗が消滅し,全国チェーン店に転換していく。
組織に所属しないで自由に活動してきた知識人・文化人も執筆や芸能活動に打ち込めば打ち込むほど,インボイス制度に対応した事務処理時間はなく,免税事業者が多い。事務所を持ち課税事業者の知識人・文化人以外は,安い原稿料等でギリギリ生活をしてきたにもかかわらず依頼が減少し,ボランティア活動ばかり増え,収入は激減する。生活は困難を極め,多様な文化・知的活動が衰退し,文化・経済・政治全般の国力低下となろう。
他方で,小規模課税事業者も問題を抱える。たとえば学術誌を発行する小規模出版社の定期刊行物や数百部単位単行本を担う執筆者は大学研究者やフリーライターで,ほとんど免税事業者である。個々の執筆者には数千~5万円程度の稿料・印税でも,多数の著者・執筆者の仕入税額控除ができない出版社の消費税納税額は数千万円になる。当面は政府の減税措置で延命しても,従前の形態での発刊は難しくなり,発注者・執筆者とも活動の縮小・停止を迫られる。
地域文化や地域性創出を担ってきた人や組織の仕事がいつの間にか減少し,事業が成り立たなくなり,廃業が増えてこよう。貴重な意見や研究成果を広く社会に発信してきた研究者やフリーライターの発信力が失われるであろう。しかし,組合などの団結力も資力もない社会的弱者は深刻な状態にも,社会を動かす力を持たない。その結果,インボイス制度は問題を抱えながら粛々と執行され,国民に受容され,安定した制度となるであろう。
しかし,インボイス制度は,多様で特色ある文化・技術・産業を創出し,味のある地域社会を育んできた事業者を社会から排除し,その結果,強者の論理・資本の論理を優先させる画一化した地域社会に日本を変化させ,伝統文化も守れなくなるのではと懸念している。付加価値税型消費税は日本の国民性に合わないのではないか。最終消費者のみ課税されるアメリカ型の売上税の方が良いかも知れない。味のない日本にならないよう,インボイス問題を国民一人一人が真剣に考え,あるべきかたちに改革していくことが緊要の課題と考える。
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