世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3114
世界経済評論IMPACT No.3114

金融緩和と円安は日本経済を救わない

榊 茂樹

(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)

2023.09.18

雇用者1人当たり報酬の実質的減少

 9月8日に発表された日本の4-6月期のGDP2次速報によれば,実質GDPは前期比年率換算+4.8%と,1次速報時の+6.0%から下方修正されたものの,1-3月期の同+3.2%を上回る堅調な伸びを記録した。また,GDPデフレーターは+6.3%と1-3月期の+5.6%に続いて高い伸びとなった。表面上,足元の景気は強く,むしろ過熱化しているようにさえ見える。しかし,日本の多くの人々は,景気が強いとは感じられていないのではないだろうか。

 この点を明らかにするため,公表されているデータを少し加工してみよう。まず,GDP統計の中で発表されている雇用者報酬を労働力調査による雇用者数で割って雇用者1人当たりの報酬を求める。さらにそれを家計最終消費支出デフレーターで割って実質化する。雇用者報酬は給与,賞与,諸手当,社会保障の企業側負担などを含み,家計の所得の主たる源となっている。それを最終消費支出デフレーターで割り引いたものは,家計の実質購買力の指標と捉えられる。その値は4-6月期には前期比年率換算+0.4%と6四半期振りのプラスとなったが,コロナ禍後のピークだった2021年10-12月期を2.2%下回っている。さらに,過去10年で最低だった2015年4-6月期から見ても0.6%の増加に留まっている。個々人が景気回復を実感できないのも当然だろう。

 政府は,賃上げを促すことで実質雇用者報酬の回復を図っている。雇用者報酬は,企業から見れば労働コストの指標となる。上で算出した雇用者1人当たり報酬を国内で産出される付加価値の価格であるGDPデフレーターで割って実質化すると,過去3四半期はGDPデフレーターの急上昇で下がったものの,こちらも過去10年で最低だった2015年4-6月期と比べると2.6%高い。企業側の労働コスト負担は増しており,その点では賃上げの余地は乏しいようだ。

家計最終消費支出デフレーターの上昇

 家計の実質購買力の観点では厳しい環境である一方,企業の労働コスト負担は増しているという状況は,家計最終消費支出デフレーターがGDPデフレーターに対して相対的に上昇していることに起因する。2015年4-6月期から直近までにGDPデフレーターが5.5%上昇したのに対して,家計最終消費支出デフレーターは7.6%上昇した。両者の差は,円安や海外インフレによる輸入物価の上昇によって最終消費支出の物価が押し上げられた一方,国内で産出される付加価値の物価であるGDPデフレーターは上がりにくいことから生じている。

 昨年から米欧などでインフレ抑制のために大幅に利上げをしてきたのに対して,日本銀行が金融緩和を続けると,内外の金利差が拡大するだけでなく,日本はインフレを抑制できないとの懸念が強くなって円への信認が低下し,円安に拍車がかかりかねない。そうなれば,輸入物価の上昇を通じて家計最終消費支出デフレーターが一段と上昇し,家計の負担が増すだろう。

円安は日本の相対生産性低下の反映

 もちろん,金融緩和や円安が日本経済にとって常にマイナスに働くわけではない。アベノミクスが始まる前の2012年当時,失業率は4%を超え,物価は下落していた。円ドル為替レートは一時1ドル=80円を割っていた。こうした状況の下では,金融緩和と円安は景気回復をもたらし,失業率は低下した。しかし,今は失業率は2%台であり,インフレ率が高まっている。為替レートは1ドル=140円台後半だ。当時とは状況が違う。

 もう一つ注意すべきは,金融緩和策も円安も財政刺激策も,短期的に景気を刺激する効果はあるとしても,中長期的に生産性を向上させる効果は乏しい点である。IMFの世界経済見通しデータベースから日本の相対生産性の指標として日本と日本以外の先進国の1人当たりGDP(購買力平価換算ベース)の比率を計算すると,1991年までは上昇していたが,それ以降は下落基調が続いている。日本の1人当たりGDPは,1991年には他の先進国の平均より5.2%高かったが,2022年には24.2%下回った。金融緩和が続き,財政刺激策が何度も打たれ,1995年以降,円の実質実効為替レートが下落してきたのに,日本の生産性は他の先進国に対して相対的に大幅に低下している。むしろ,日本の相対生産性の低下を反映して円の実質実効為替レートが下落したと考えるべきだろう。また,生産性上昇率が鈍いからこそ,上に述べたように,中長期的に雇用者1人当たり報酬が実質的に増えていないとも言える。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3114.html)

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