世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3013
世界経済評論IMPACT No.3013

日本をだめにした上司の言葉

鶴岡秀志

(元信州大学先鋭研究所 特任教授)

2023.07.03

 日本の貿易統計が2年連続で赤字に陥ったことを機に,内閣が提唱する科学技術・イノベーション,技術革新で日本を再興するという話題を取り上げる論評が再び増加している。生成AIが急速に社会へ広まっている中で,現在の主流は米国開発のシステムであることも多くの人々を苛立たせているのだろう。興味深いのは,そのようなコメントは技術開発や製造には縁のない方々から発せられるという点である。科学技術系識者でも大企業や霞が関のキャリアだったり研究部門出身だったりする。すなわち,科学の発見を商業生産までに落とし込む過程を経験していない人々である。故安倍首相の第二次安倍政権以来,科学技術再構築による日本経済の再活性化が叫ばれてきた。10年の時を経ても達成されない原因は数々指摘されるけれどもイノベーション政策を根本から見直したと聞いた事がない。

 創生された技術を市場に出して成功するには長い年月と努力が必要であることが忘れ去られている。この国のマネージメント各層が時を経るとともに「答えを持ってこい」としか言わなくなった事が産業経済全般の弱体化を招いたのではないかと思う。その象徴が「今日いえば明日変わる」的な,「科学技術の再興,イノベーション」という安易なコメントにつながっているのだろう。

 筆者がつど指摘しているように,我国の最先端・生産技術はそれほど劣化していない。しかし,日本の強い分野はコンビニの店頭に並ぶような内容ではないので人々の目にとまらない。半導体産業のスタート材料であるシリコンインゴット(シリコンの塊),JSRの国策会社化で話題になったフォトレジスト等の中間材料,後工程のパッケージなど大きなシェアを持っている。つまり台湾のTSMCは数多くの日本企業の材料を必要としている。また,今年の春までEV出遅れとトヨタをこき下ろしていた「自動車評論家」は,欧州が内燃機関を残すと発表した途端に黙るか,全く違うことを言い始めた。このような態度は軽薄の誹りを免れないだろう。

 4月頃から日経が盛んにペロブスカイト型光電池のことを取り上げ始めた。この技術は桐蔭横浜大学の宮坂教授が2006年頃から研究開発した生産容易なフィルム型で,軽量フレキシブルかつ使施工範囲の広い製品技術である。宮坂教授は富士フィルムで色素増感という技術を開発されていたので,そこからヒントを得たのであろう。2000年代中頃に研究会などを通じて色素増感電池の実現可能性が高まったので,筆者の勤めていた商社内でも可能性を検討開始した。商社らしく大学の研究者を訪問して尋ね回ったが,当時はかなり辛辣なコメントしか出てこなかった。唯一,東大の研究者とその関係者がペロブスカイト構造についての基礎的な研究に着手していたことが記憶に残っている。結局,愛知万博では大手電気メーカーのシリコン型太陽光パネルが展示されたが見るも無惨な状況になっているのはご存知通りである。この一件から学んだことは,国内の主要大学のえらい先生や大手メーカーの技術評価担当者は不勉強で権威かクレジットしか判断材料にしないという誠に情けない有様である。

 最近,友人である主要大学の教授が,電話で話していた時にふと呟いたのが,「文科省はふた昔前のことしかやろうとしない」であった。この意味するところは重要なことを含んでいる。大学教育および研究政策において,90年代後半から採用していた方法である前例または流行りの研究分野を基軸にした研究業績評価で助成金を配分する姿勢である。また,産官学の連携と提唱しながら企業と大学の結びつきを画一的なルールにしてしまったので,実際には昭和の時代に比べて特に中小企業との連携がやりにくくなった。結果的に将来の科学研究発展や産業拡大を担う学生は,すでに存在するモノ・コトの研究にしか従事できない。そして研究業績の評価方法が有名論文誌への論文掲載を基本としているので論文を目指さない中小企業との付き合いは消えていくことになる。厄介なのは,博士課程に進もうと志す学生への助成金,奨学金,研究費用は同じ方法で決定されることである。天才的なひらめきを持っていても,指導する側は資金獲得を中心に考えるので,結局,「答えのあるもの」を大手メーカーと共同で研究をしなければならない。そのため天才的な素質を持つ学生は実力を発揮できるゲームやIT開発の世界に行くことになる。逆に既知を工業化することを教育の中心に据える国立高等専門学校は一層充実して優秀なエンジニアに育っていく。高専では自らモノを造る・創ることを学ぶので流行の研究を素早く具体化することに秀でている。かの友人と一致したことは,高専から大学に来る学生の方が一般受験で入学してくる学生より平均して優秀であるという最近の傾向である。

 学術論文誌は多くの種類があり,その評価は一般にImpact Factor(IF)で示される。発行部数や引用数に左右されるのでランキングにNature系が並ぶ。文科省の方針は,IFの数字で研究者を評価する。そのため,学生や若手研究者は奇抜な内容が採用されやすいNature系に採用されそうなテーマに飛びつくので,昔だったら「異常値じゃないの」と言われた事が,逆に「特異な現象の発見」として扱われ,再現性がないものが数多報告されてしまう。また本来商業誌であるNature系はその時々の流行によって論文採用傾向が大きく変わる。現在はナノバイオが主流なので専攻に関係なくバイオ系の研究でないと学生が嫌がるという現象が起きている。毎年,偏差値の上位大学の研究室でデータ改竄や捏造が発生するのも,指導する側が「Natureに通る答えをもってこい」とプレッシャーをかけるためと言える。

 Natureに論文掲載されるとノーベル賞への近道という,一種の都市伝説を信奉している文科省なので「主要学術誌」への論文数を評価基準にするというのは当たり前であろう。しかし,実際にノーベル賞を含めて多くの学術賞の対象は流行りの研究以外であることが多いという事実を受け止めなければならない。2019年以来,一時は学会で相手にされなかったmRNA創薬技術によって新型コロナワクチンが短期間で登場して多くの人を救った。Kariko博士の研究成果を実用化へと導くことになった製剤技術を支えたのが醤油のヤマサがUnder Tableで開発したアジュバンド(補助剤)である。将来を担う学生への教育は流行を見つけて手っ取り早く論文を投稿することではなく,まだ人類が達成できていないことを目指す想像力を養うことである。

 もう一つの大きな問題は,日本学術会議がマスコミと一緒に60年以上に渡り強力に軍事関連研究を拒絶していることである。筆者がIMPACTで何度も指摘しているように,世の中で便利に使っている多くの製品は軍事的必要性から生み出されている。20世紀最大の工業的事績はアンモニア合成であり,爆薬の原料であるTNTに大量生産することが目的の一つであった。ヒトラーはこの技術の成功を待っていたと言われている。逆にアンモニア合成技術の成功により肥料と農薬を安価に大量供給可能になり食料の増産に貢献している。硝酸,アミン,アニリンなど化学工業で必須の中間体を大量安価に製造できるようになり医薬品や合成樹脂の開発につながっている。非常にエネルギー食いの技術だが,幸い日本の大手化学メーカーはアンモニア合成触媒の開発で世界の先端を走っていることは心強い。脱炭素の重要技術となるアンモニア合成触媒のイノベーションを日本学術会議は軍事技術として糾弾するのだろうか。矮小化した思想で科学技術を支配していた中世キリスト教会は衰退した。学術会議,特に理事会を根本的に変えないと我国の科学技術研究開発は中世ヨーロッパのように衰退するだろう。

 有史以来,我国は科学技術創造と獲得に向けて挑戦を重ねてきた。しかし,バブル崩壊頃からそこそこ豊かな社会になり幼児を連れて家族で海外旅行にいける経済力を持つ国になったことから,艱難辛苦努力を重ねることを厭うようになり,「答えをもってこい」経営者が蔓延るようになってしまった。「持ってこられる答え」などイノベーションではない。このような発言をする各界の上層部に即刻退席してもらわないと衰退が加速するだろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3013.html)

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