世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
中国の開発経済学研究:譚崇台編の『発展経済学』を中心に
(九州産業大学 名誉教授)
2021.04.26
開発経済学テキスト紹介の番外編として,中国の大学で教えているテキストを紹介したい。まず,譚崇台編『発展経済学』(中国語標示『发展经济学』山西経済出版社、2001年、全16章、644頁)を紹介する。同書の初版は1989年に上海人民出版社から出版され,本書はその改訂版である。編著者の譚崇台教授以外に,郭熙保,荘子銀,鄒薇,馮金華,孫寧,文建東などの教授が共同執筆している。なお,中国では開発経済学を「発展経済学」と呼んでいる。
いままで筆者は,中国の開発経済学研究に注目しなかった。その理由として,中国はマルクス経済学の視点から物事を見ているという先入観があったためである。偶然,台湾の誠品書店敦化店で同書の台湾版(中国語標示『發展經濟學』,699頁=台湾・五南図書出版,林金源・台湾式用語校正)を入手し,書籍のレベルが大変高いことに驚いた。
ネットを調べると,譚崇台教授は1943年に武漢大学経済系を卒業後,1947年にハーバード大学経済学修士学位を獲得し,極東委員会(Far Eastern Commission)の専門助手に就任した。1948年に武漢大学経済系に移籍し,経済管理学院院長などを経て,武漢大学経済学院の終身名誉院長に就任し,2017年に亡くなった(享年97歳)。
前例に従って,このテキストの「起承転結」における最初の「起」の部分を考察する。第1章は「概論」であり,第1節 発展経済学の研究対象(略),第2節 西方経済学説史中の経済発展思想(略),第3節 発展経済学の勃興と変化によって構成される。
第2次世界大戦の終結後,戦後の経済再建を扱った3冊の発展関連の著書が発表された。スタンレー(Staley, E.)の『世界の経済発展』,マンデルバウム(Mandelbaum, K.)の『後進地域の工業化』とローゼンスタイン-ロダン(Risenstein-Rodan, P. N.)の『東南ヨーロッパの工業化問題』である。第3節ではこの3冊の内容を簡単に紹介している。
1950年前後,世界情勢に大きな変化が発生し,植民地統治システムが急速に崩壊し,途上国が形成された。途上国が直面する課題は,如何に経済発展を図るかである。経済発展を促す原動力とは何か?経済発展を制約する要因は何か? これらの制約要因を排除する原動力となる政策を如何に制定するかである。開発経済学者が指摘するように,途上国の政治の独立は立法で解決できるが,経済の自立は立法では解決できない。ナショナリズムは経済改革加速化の要求を後押しすることができるが,その推進プロセスは思惑通りに行かない。途上国は経済学者が直面する課題に対し,専門的な解答を急き立てている。
開発経済学の変化は3つの段階(時期)に分けられると執筆者は主張する。
⑴途上国の経済発展第1段階
第1段階の途上国の経済発展の課題について,3つの主な見方があった。①資本原理主義(Capital Fundamentalism):物資による資本累積の重要性と必要性を強調した。②工業化原理主義(Industrization Fundamentalism):工業化の重要性と必要性を強調した。③計画化原理主義(Planning Fundamentalism):計画の重要性と必要性を強調した。
開発経済学者は途上国における資本の不足のため,総需要と総供給の2つの方面では「貧困の悪循環」が存在し,「低水準均衡の罠」に陥り,悪循環から離脱できない。そのために,投資によるビッグプッシュによる均整成長(balanced growth)を求めていた。この資本原理主義に基礎を提供したのが,ハロッド・ドーマーモデル(Harrod-Domer Growth Model)であり,ケインズの所得決定論によるものであるという。
工業化の促進は途上国の普遍的な願望である。途上国は先進国による経済的支配と従属からの離脱を図り,経済的自立へのナショナリズム実現を目指した。途上国における輸入の減少,外貨の節約,外貨保有高の拡大を促し,国内の生活水準の向上に必要とする消費財とサービスの向上を図る上で,工業化は必要な経路であると考えていた。同時に,工業化による農業部門の余剰労働力吸収は農業の労働生産性向上の発展経路と考えていた。工業部門による農業部門の余剰労働力の吸収を示したのが,ノーベル経済学賞受賞者のルイスの農工間二部門発展モデルである。
途上国政府が経済計画に頼る根拠は,途上国の「市場の失敗」の事実である。ビッグプッシュ理論,均整成長論などには,政府の経済計画の実施や政府の介入などの思想が含まれた。
1950年代,ノーベル経済学賞受賞のオランダ人のティンバーゲン(Tinbergen, J.)の経済計画の数理研究と経済分析は,計画経済の思想と主張に推進的な役割を果たした。そのほか,この時期に登場した学説には,構造主義,モノカルチャー経済の欠陥,経済発展段階説,内生的発展戦略,反新古典主義経済などがある。特に,W・W・ロストウは「経済発展段階説」で,「離陸」(take-off)を達成するには,国民所得の10%以上を貯蓄し,投資に投入することによってようやく可能になると指摘した。
⑵途上国の経済発展第2段階
1960年代初期・中期の途上国経済は第1段階の経済発展理論の想定と異なる結果が出現した。これらの理論に沿った政策を実施した途上国は,所期の経済目標に達しなかった。政府が介入した輸入代替工業化政策,経済計画の結果,様々な経済的困難に直面するようになった。輸入代替工業化の初期段階を経た後,国際収支の赤字拡大,インフレの拡大,外貨の不足および国内市場の収縮などの障害に直面した。消費財の輸入代替工業化から資本財の輸入代替工業化へのシフトという予想が,想定外の障害によって泡のように消失してしまった。
逆に,開放経済を選び,市場の役割を重視し,輸出志向工業化を実施したアジアNIEsなどの途上国は,急速な経済成長を果たすようになった。これらの国々は労働集約型製品の輸出拡大で大きな成果を収めた。要素賦存条件の強みである安価の労働力を利用し,組立加工によって優れた成果を収めた。
多くの途上国は計画経済を実施した。マクロ経済モデル,部門経済モデル,投入産出マトリックスを基礎とする部門モデルや線形モデルなどの計量経済学のツールが計画経済の実行に多用された。しかし,経済計画の成果は失望させるものだった。計画経済には多くの欠点があった。途上国の計画策定者はマクロモデルとマクロ計画を重視したが,項目の評価,インセンティブやフィードバックなどのミクロ的配慮を軽視した。数値指標を過度に重視し,数値化が難しい重要な要因を無視した。計画制定を過度に重視したが,計画の実施を軽視した。都市の発展を過度に重視したが,農村の建設を軽視したなどが失敗の主な理由である。
その他に見直しを要する分野は,市場の役割の再評価,農業軽視の修正,対外貿易による経済発展の役割,社会評価の理論と方法などである。
⑶途上国の経済発展第3段階
新古典経済学は一つの「競争的均衡」(competitive equilibrium)の経済学である。その重要な特徴は「制度フリー」(institution free)であり,国家による経済への役割は明らかでない。
この理論は「新古典主義のルネサンス」時期(1960年代中期~1970年代)において,いくつかの途上国の経済発展に大きな成果を得た。しかし,開発経済学者たちは,新古典派経済学者が限定した範囲を越えて国家の役割を認めるようになった。
途上国経済は第3段階の新古典開発政治経済学の段階に至ったと著者は主張する。言い替えれば,新古典開発政治経済学は,新古典主義経済学を代替するようになった。新古典開発政治経済学が注目する点は,経済発展過程の非経済要因の制度,歴史,法律,意識形態などである。その代表的な理論は,財産権理論,取引コスト,制度の変化,公共選択論,レントシーキング,新歴史経済理論などであり,学説の代表者としてロナルド・コース(Coase,R. 1991年のノーベル経済学受賞者),ジェームズ・ブキャナン(Buchanan, J. M. 1986年にノーベル経済学賞を受賞者),ダグラス・ノース(North D. 1993年にノーベル経済学賞を受賞者,新制度派経済学を代表する人物),アン・クルーガー(Krueger, A.),ゴードン・タロック(Tullock, G. ヴァージニア学派の中心的人物)などの学者を著者は挙げている。
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