世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2116
世界経済評論IMPACT No.2116

そして誰もがケインジアンになった

西 孝

(杏林大学総合政策学部 教授)

2021.04.12

 COVID-19の世界的感染拡大により,2020年の世界経済は軒並み顕著なマイナス成長となった。他方で,それを受けて,先進国では軒並み,積極的な財政支出が行われている。その総額は13兆8750億ドルに及ぶと報道されている。また世界的にも,公的債務はGDP比で史上最高の101.5%に達し,2008年の世界金融危機をはるかに凌いで,第二次大戦後をも上回っているという。

 興味深いのは,このような政府支出の増加に対して,ついこの間までであれば,「バラマキ」「将来世代へのツケ」「インフレへの懸念」といったお決まりの批判が喧しいのが常であった。もちろんいつの時にも,世間の言論の逆を行く論者はいるものだ。しかし,今回ばかりは,そんな主張も「支援が足りない」「もっとスピーディに」といった要請にかき消されてしまっているかのようだ。

 そう,今や,世界中がケインジアンになったのである。

 ここで言う「ケインジアン」とは,言葉のもっとも適切な意味においてである。それは経済的停滞への対策として,財政政策を用いるということである。昨今のマクロ経済学の教科書は,そこをかなりラフに拡大して解釈しているようだが,本来,景気対策がもっぱら金融緩和に偏重している時に,その主導者をケインジアンとは言わない。ましてや,金融の異次元緩和の一方で,消費税の増税をするなど,ケインジアンの風上にも置くことは許されないのだ。

 しかし他方で,ケインジアンでない人々が,そのような意味でケインジアンになることは,歴史的にもそれほど目新しい事象ではない。

 例えば,保守派の共和党大統領であったアイゼンハワーは,いわゆるケインズ政策の妥当性を疑問視していたと言われているが,1945年に景気後退が起きると,70億ドルの減税の実施を認めた。ガルブレイスの伝記を書いたリチャード・パーカーは「アイクは共和党の大統領としては初のケインズ主義者だったかもしれない」と評した。そして『ケインズかハイエクか』の著者であるニコラス・ワプショットは,その著書の中で「アイゼンハワーは,ケインズ主義的な手段によって経済を操作すると選挙で現職が有利になることを十分に理解していた,最初の大統領だった」と述べている。

 さらに同じく保守派の共和党大統領であったニクソンも,1969年の大統領就任時には,ケインズ主義の潮流に逆行する意思を表明していたが,支出削減政策が1970年末の失業率を6.1%にまで上昇させると,にわかに方針を転換した。そして,「いまや私は経済問題に関してはケインズ主義者だ」と明言したことはよく知られている。

 景気対策としての財政政策よりもむしろ,貧困や社会的困窮者の救済という福祉的性格をもった政府の関与ということになると,話はケインズの『一般理論』よりもさらに遡ることになる。

 おそらく歴史的には、ドイツの宰相ビスマルクによる社会保障制度の導入,そしてその影響を受けたロイド・ジョージ首相によるイギリスでの国民保険法,そして,F・D・ルーズベルト大統領によるニューディール政策といった具合に,経済理論の確立に先立って,政治のリーダーによって行われてきたのである。

 いずれも自由市場資本主義体制を暴力革命から守るための処方箋であった。そしてある意味では,ケインズ政策もまた,不況,不完全雇用という市場経済の病弊を,社会主義革命への引き金とすることなく,政府の関与を通じて解消し,自由市場資本主義という体制を守るための処方箋であったのだ。

 冷戦の終結を見た今日では,世界金融危機も,COVID-19のパンデミックも,それが社会主義革命への引き金となることを心配する人々は,さほど多くはあるまい。むしろ,今日の政治リーダーにとって「体制を守る」とは,自分の「政権」を守ることに他ならない。

 そしてそのためには,彼ら・彼女らは,保守であろうがリベラルであろうが,○○党であろうが××党であろうが,いやこの際,与党であっても野党であっても,皆「ケインジアン」になるのである。もはや思想もイデオロギーも無いに等しいのだ。

 「良かれ悪しかれ危険なのは,既得権益よりも思想である」とケインズは言った。私もそう思っていた。しかし,ある意味ではこれこそが「ハーヴェイロードの前提」であって,ケインズが知的エリートを過大評価していた証だとも思えてくるのである。

 残念ながら,いつの時代も政治リーダーは,それほど知的ではないのかも知れない。でも,そのおかげで,真の危機を目前にして,皆,あなたのところに帰ってきましたよ,ケインズ卿!

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2116.html)

関連記事

西 孝

最新のコラム