世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1818
世界経済評論IMPACT No.1818

シンガポール総選挙で政治の多様化を求める声が顕在化

椎野幸平

(拓殖大学国際学部 准教授)

2020.07.20

 7月10日に実施されたシンガポールの総選挙では,与党の人民行動党が定数93議席中83議席を獲得して勝利したものの,野党も労働者党が予想以上に健闘し,過去最高の10議席を獲得した。リー首相は,若年層が国会における野党の議席増加を望んだと指摘し,シンガポール政治における多様化を求める声が顕在化した選挙結果となった。

人民行動党勝利も得票率は過去最低水準,野党労働者党は過去最大の10議席

 議席総数93議席を争った今回の総選挙(投票率95.6%,有権者数265万人)では,人民行動党が83議席を獲得したものの,野党の労働者党が前回総選挙の6議席から10議席に拡大した。人民行動党の得票率は61.2%で,2015年の前回総選挙の得票率(69.9%)を下回った。人民行動党の議席占有率は2015年の93.3%から89.2%に低下する。

 過去最大の10議席を獲得した労働者党は,1991年以降,同党が継続的に議席を獲得しているHougang(1人選挙区,労働者党の得票率61.2%),2011年以降,議席を維持しているAljunied(グループ選挙区,同59.9%)に加え,Sengkang(グループ選挙区,同52.1%)で初めて勝利した。予想以上の結果は驚きをもって受け止められている。労働者党はAljuniedでは同党を率いるシン氏,Senkangでは経済学者のリム氏などが前面にたち,マニフェストでは教育改革,最低賃金(手取り月額1,300Sドル)の導入などを掲げ,選挙戦を展開した。

 なお,シンガポールでは,小選挙区とともに,1選挙区に3~6名(今回の選挙では4~5名)が立候補し,得票率の最も多かった政党が議席を総取りするグループ選挙区が1988年の総選挙から導入されている。各グループ選挙区では,マレー系もしくはインド系・その他の少数民族を候補者に含むことが義務付けられ,華人系以外の少数民族の当選を支援する制度であるとともに,グループ選挙区は議席の集中がもたらされ,小選挙区以上に民意の集約を伴い得る制度と位置付けられる。

注目選挙区の結果は?

 その他の注目選挙区の結果をみると,West Coast(グループ選挙区)では,元与党国会議員であるタン・チェンボク氏率いるシンガポール前進党(PSP)が人民行動党に挑んだ結果,人民行動党の得票率は51.7%,PSPは48.3%と僅差で人民行動党が辛勝した。タン・チェンボク氏は2011年の大統領選挙に出馬し,当選した与党系のトニー・タン前大統領の得票率(35.2%)に迫る得票率(34.8%)を得ており,今回の選挙戦では,国会における健全な野党の存在の必要性や外国人への依存低下を訴えて戦った。同党は,リー・シェンロン首相の弟で,同首相との関係悪化が顕在化しているリー・シェンヤン氏が支持を表明したことでも注目を集めた。West Coastで,PSPは敗北したものの,前回総選挙では人民行動党の得票率は78.6%と圧勝であった中,大きく同党の得票率を奪ったかたちだ。近年は,有力者が野党入りする傾向がみられ,野党側の体質が強化されている。

 リー・シェンロン首相が出馬したAng Mo Kio(グループ選挙区)では,人民行動党が得票率71.9%で圧勝し,ターマン上級相が出馬したJurong(グループ選挙区)でも,同党の得票率が74.6%と圧勝するなど,シンガポールでは第3世代とされる主要メンバーは安定的な強さを示している。

 一方,第4世代で,次期首相候補と目され,新型コロナ・ウイルス対策で陣頭指揮をとったヘン・スイキャット副首相が出馬したEast Coast(グループ選挙区)では,同党の得票率は53.4%に留まり,今後のヘン副首相の政治的基盤に不安を残す結果となった(なお,ヘン副首相は前回出馬したTampinesから,梃入れのためEast Coastに鞍替えして出馬)。また,将来のリーダー候補の一人と目されるチャン・チュンシン通産相が出馬したTanjong Pagar(グループ選挙区)では人民行動党が得票率63.1%で勝利した。

若年層を中心に政治の多様化求める声が顕在化

 今回の総選挙ではコロナ禍による大幅な景気減速が影響したと考えられる一方,シンガポール政府は2月から5月にGDP比で計19%の規模に及ぶ4回もの補正予算(雇用維持支援や国民への現金給付,家賃支援策,外国人雇用税の減免等),さらにはトレーシング・アプリ(Trace Together)の導入などデジタル技術を用いた政策などを展開してきた。こうした迅速で積極的な対策の割には,得票率が伸び悩んだ印象だ。

 総選挙開票後に行われた会見で,リー首相は選挙結果について,選挙戦で訴えていた強力な信認(strong mandate)を得たとはいえないが,明確な信任(clear mandate)を得たと高い支持を評価しつつも,得票率が想定したものではなかったとした。得票率が伸びなかった要因として,コロナ禍の影響による雇用不安や行動制限による混乱を指摘するとともに,若年層が国会での野党の議席増加を望んだ結果と指摘した。

 選挙結果は,予想以上に野党が健闘したものの,議席数では人民行動党が圧倒的な比率を維持しており,今後のシンガポールの政策に大きな変更を強いるものではない。しかし,若年層を中心に人民行動党の圧倒的な一党優位体制への疑問が生じていることが伺え,今後のシンガポール政治にじわりと影響する選挙結果と指摘できるだろう。

 近年のシンガポールの総選挙を振り返ると,シンガポールで転換点となったのが2011年の総選挙である。人民行動党の得票率が60.1%と1965年以降の総選挙では史上最低の低さとなり,グループ選挙区(Aljunied)でも初めて敗退し,当時,現役の外務大臣であったジョージ・ヨー氏が落選した。この背景には,外国人の増加(2011年時点ではシンガポール人口の37%が外国人),物価・住宅価格上昇などへの不満,さらにはリー・クアンユー元首相の昔ながらの高慢とも受け取られかねない発言などへの批判が広がったことも影響したと考えられている。総選挙後に,リー・クアンユー元首相とゴー・チョクトン元首相は,若い世代が国を率いる時が来たとして,上級相を退任している。

 その後,シンガポール政府は外国人の増加幅の抑制,HDBと呼ばれる公団住宅の供給増加,高齢者や低所得世帯への所得分配政策の強化などを行った。2015年の総選挙では,そうした政策の成果に加え,リー・クアンユー首相が亡くなった直後に総選挙が行われたこともあり,同党の得票率は69.9%に回復していた。

今後のシンガポール政治の注目点は

 シンガポールは,世界の中でも最もグローバル化した都市国家であり,グローバル化の課題も生じやすい構造にある。今回の選挙結果からは,外国人増加への不満が根強く存在することが伺え,最低賃金導入を主張した労働者党が議席を伸ばしたことは,シンガポールが抱える所得格差拡大への不満が根強いことも指摘できるだろう。

 シンガポール政府は,長く実力主義を徹底した政策を展開してきたが,2011年の総選挙以降,ゆるやかに所得再分配政策を強化する方向にある。それまでも,HDBによる公団住宅の供給やCPF(中央積立基金)は国民生活を支える基盤となってきたが,2011年以降,高齢者,低所得者への支援を厚くしつつある。個人所得税の最高税率は2017年度から20%から22%に引き上げられている。また,外国人の増加幅を抑制している中,過去のように外国人増加による投入型の高成長も見込むことはできない。今後,シンガポール政府は,グローバル化,実力主義といったシンガポールの強みを維持しつつも,所得格差対策などの課題に一段と対応を迫られていくことになりそうだ。その場合,シンガポールの低税率も一定の変更が迫られていくのかについても注目されていくこととなる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1818.html)

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