世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
パリ協定と炭素価格
(上智大学経済学部 教授)
2016.09.12
米国と中国が温暖化ガス排出削減のパリ協定を批准した。温暖化ガス排出量で世界第1位の中国と第2位の米国による批准は,パリ協定発効に向けた大きな前進である。パリ協定の実施を見据え,世界の温暖化政策はどう変わろうとしているのか。その動向や課題を炭素価格に注目し検討してみたい。
パリ協定では,すべての参加国に対して温暖化ガス排出削減目標の提示と,その実現に向けた国内政策の実施が要求されている。だが,各国が提示した削減目標は自発的であり,その実現は義務とされていない。ただし,すべての参加国は5年ごとに削減目標を見直し,協定の目標実現に向け各国の削減状況を評価することになっている。
パリ協定の参加国はどのような国内政策を用いて温暖化ガス排出削減に取り組むのか。世界銀行や国際通貨基金(IMF)は,新興国や途上国の政府に対し炭素価格の導入に向けた支援を始めている。炭素価格とは温暖化ガス排出がもたらす費用を負担させる仕組みである。そのための手段として炭素税や排出枠取引がある。炭素税ではその税率が,排出枠取引では排出枠の取引価格が,それぞれ炭素価格とみなされる。温暖化ガス排出に価格をつけることで,その排出量を削減しようという試みが炭素価格である。
世界銀行は気候変動による貧困拡大の抑制を目的として,IMFは政府収入に貢献するとの理由から,それぞれ炭素価格の導入支援を開始している。世界銀行は排出枠取引導入のための資金として中国に800万ドルを供給し,南アフリカやチリも同様の目的で資金の支援を受けている。パリ協定参加国のうち約90カ国が,温暖化ガス排出削減計画に何らかの形で炭素価格の導入を盛り込んでおり,EU28カ国を含む約40カ国がすでに炭素価格を導入している。
今後パリ協定が実施されれば,炭素価格の導入が急速に拡大する可能性が高い。参加国は自発的に削減目標を設定するため,炭素価格の水準は国の経済状況に応じて異なるであろう。中国など新興国では排出枠取引の導入が計画されているが,厳しい削減目標を設定することで電力などエネルギー価格が高騰すれば経済成長への負の影響は避けられない。中国やインドなど新興国の炭素価格は,温暖化ガス排出削減に積極的なEU等の先進国・地域に比べ低い水準に留まる可能性が高い。
企業がグローバルに競争する時代では,炭素価格の国際格差がその意思決定に影響を及ぼす可能性がある。とりわけ,国際競争に直面しエネルギー集約度の高い産業では,炭素価格の負担軽減を目的として炭素価格の高い国から低い国へ生産の国際移転が起こりうる。このような産業の国際移転は,生産に伴って発生する温暖化ガス排出の国際移転も同時に引き起こす。炭素価格の高い国では生産が縮小し温暖化ガス排出量も減るが,炭素価格の低い国では生産が拡大し温暖化ガス排出量が増加してしまう。こうした炭素リーケージは,高い炭素価格を設定する国の削減努力を無駄にし,世界全体の温暖化ガス排出量を増大させる可能性もある。
炭素価格の国際格差が引き起こす問題への対策として国境調整措置がある。温暖化ガス排出の国境調整措置とは,炭素価格の高い国が低い国から財を輸入する時に,その差に応じた炭素関税を課し,逆に炭素価格の低い国へ輸出する時は,その差を輸出者へ還付することである。炭素価格の高い国で生産する企業が低い国で生産する企業との競争において不利にならないよう配慮する措置だ。国境調整措置が炭素リーケージを防ぐ手段として有効か,また,WTOルールと整合的かといった論点について,経済学や法学の分野で検討が進んでいる。
すべての国による炭素価格の導入は,地球温暖化問題の解決に向けた第一歩である。パリ協定が発効・実施されれば,その気運は間違いなく高まるであろう。グローバルな経済では,炭素価格を導入する国が拡大するにつれ,その格差がもたらす企業間競争や炭素リーケージの問題が生じる可能性が高い。国境調整措置をはじめ,その対策の検討が今後より重要になるであろう。
- 筆 者 :蓬田守弘
- 分 野 :国際経済
- 分 野 :資源・エネルギー・環境
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