世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.692
世界経済評論IMPACT No.692

日本の財政危機と民主主義

熊倉正修

(駒澤大学経営学部 教授)

2016.08.15

 先日の参議院選挙は事前の予想通り与党の圧勝となった。今回の選挙では安全保障や憲法改正に関して与野党が鋭く対立したが,経済政策に関しては国民に意味のある選択肢が与えられなかった。与野党とも消費税率引き上げの延期や社会福祉の充実を打ち出す一方,財政再建に関してほとんど言及がなかったからである。

 現政権は公式には経済成長による財政再建を目指しており,野党もそれに同調しているが,筆者が以前のコラム(「日本の財政はもう破たんしている」)で解説したように,今日の日本の財政危機は多少の経済成長によって解消するような生易しいものでない。それにも関わらず与野党がこぞって抜本的な改革を避けている以上,いずれ財政破綻が避けられないだろう。

 ただし日本の財政破綻がよく言われるような国債価格の暴落や物価の急上昇などの分かりやすい形で顕現するとは限らない。これらの事態を許すことは政府と日銀にとって明白な敗北宣言を意味するので,日銀が国債の価格操作を強化したり,政府が民間部門の賃金や物価の決定に介入したりする可能性があるからだ。しかし政府や日銀がこうしたことをすればするほど公的債務の整理が遅れ,結果的に財政破綻の社会的コストが大きくなってしまうだろう。

 企業や金融機関がどう転んでも返済できないほど巨額の債務を抱え込んでしまった場合,その時点で破綻させるのが最善策であり,追い貸しをして業務の続行を許すと却って被害が大きくなる。太平洋戦争の末期には,日本軍の敗北が避けられないことが明らかになったにも関わらず,自ら白旗を上げるのではご先祖に申し訳がつかないなどと言ってずるずる戦争が続行され,結果的に被害が膨らんでしまった。公的債務を返済する意志も能力もないのに,「GDP600兆円」などという開発途上国のような目標を掲げて国民を鼓舞している現政権はまるで旧日本軍のようである。

 ところで,近年の日本の財政赤字の一大要因が高齢化による社会保障関連支出の膨張であることは周知のとおりである。最近,一部の経済学者の間で,高齢化が進む民主主義国家では財政再建が止めどなく先送りされる「シルバー民主主義」が不可避であり,日本の財政危機は民主主義そのものの欠陥を体現しているという意見が聞かれることがある。こうした見解に立つ人々は,高齢者から若年層に政治的影響力を再分配するために,しばしば選挙制度のラディカルな改革を提唱する。こうした改革案の例として,議会の議席数を世代別人口別に割り振る「世代別選挙区」や,選挙権を持たない未成年者の票を親が代わりに投じる「ドメイン式投票」,平均余命に応じて一票の価値を高める「余命比例投票」などが挙げられる。

 しかし日本の財政危機を民主主義の必然だと考えることは正しくなく,むしろ民主主義が十分に定着していないためだと考えたほうがよい。上記の見解に立つ経済学者の多くは民主主義を単なる多数決だと考えている節があるが,現代の民主主義とはすなわち自由民主主義であり,政治や社会のありかたに関する一つの哲学でもある。具体的に言うと,現代の自由民主主義とは,個人の自由や多様性を最大限尊重しつつ,異なった利害や選好を持つ人々が熟議によってそれらを調整すること,また,そうした調整を通じて各人が人格的・倫理的に成長してゆくことを期待するものである。これらのことが機能するためには,各人が社会的存在としての自覚を持ち,議員選出以外の政治過程にも積極的に関与することが必要である。

 ところが,日本には個人が社会の意思決定の基本単位であることを認めない人々や,個人と集団の利益を同一視したがる人々が少なくない。こうした人々は身内や同じ集団に属する人々に対しては親切であっても,広い社会の利害には無頓着であることが多い。このことは,多くの高齢者が社会保険給付の削減や増税に激しく反発しつつ,自分の子どもにはあらゆる手を尽くして財産を相続させようとすることや,子どもの側もそうした財産が同世代の他の国民からの移転の意味合いをもっていることに無関心なことに表れている。

 他の先進諸国の政府が客観的な展望にもとづいて政政策を運営することや,予想と結果が異なった場合にその原因を究明することが義務付けられているのに対し,日本ではそうしたしくみがいちじるしく欠如している。その象徴として,日本では財政が危機的な状況にあるにも関わらず,公式の長期財政計画がまったく存在しない。内閣府が非公式の資料として年二回「中長期の経済財政に関する試算」を発表しているが,これは2024年度までの短期推計である上に,あらゆる点で政府にとって都合のよい仮定を置いた「大本営発表」になってしまっている。多くの外国で行われているように,政府から独立した財政機関(fiscal council)が将来推計やその前提となる経済変数(経済成長率や長期金利など)のベンチマーク作成を担当し,それを野党やマスメディアが積極的に採り上げるようになれば,財政規律が高まるだけでなく,財政制約に関する国民の理解を涵養する効果も期待できるだろう。

 なお,一部の経済学者が提唱する「ドメイン式投票」や「余命比例投票」などは,実現の可能性がほとんどないだけでなく,民主主義の基本である一人一票の原則とも相容れない。よく知られているように,日本の現行の国政選挙にはすでにいちじるしい一票の格差の問題が存在する。一票の重みが大きい地方部ほど高齢化が進んでいる以上,現行の選挙制度がシルバー民主主義を助長していることは明らかである。経済学者は世界のどの国においても採用されていない特殊な選挙制度を論じる前に,一票の格差の是正をこそ国民と政府に訴えてゆくべきである。

*このコラムの内容を詳しく説明した論文をこちらで読むことができます。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article692.html)

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