世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4023
世界経済評論IMPACT No.4023

欧州自動車産業の行方

小林規一

(国際社会経済研究所(IISE)主幹研究員・立命館大学デザイン科学研究センター 上席研究員)

2025.10.06

 欧州の自動車産業は今大きな岐路に立っている。EUは2050年までの気候中立(クライメイト・ニュートラル)を目指しこの目標に向けた主要な施策のひとつとして自動車産業に厳しいCO2排出規制を課すと同時に2035年には内燃機関維新車販売を禁止している。欧州自動車メーカ-はディーゼルをCO2削減の解決策として考えてきたが,技術的な限界が見えてくる中で日本が強いハイブリッドには投資せずその先にあるEVへのシフトを明確にしてきた。

 しかし,欧州自動車産業はここに来て,エネルギーコストの高止まり,EV市場の減速,米国の関税政策,そして中国企業の競争力強化という多くの課題に直面しており,特に中国企業の台頭は欧州のEV戦略に大きな脅威になりつつある。従来EUは,欧州グリーンディールを基本戦略として掲げ,気候中立に向けた目標をEU政策に組み込んできたが,今後5年間の政策指針としてフォンデアライエンEU委員長が今年発表したEU競争力コンパスでは,米中などに対する欧州の競争力が弱まっていることへの危機感を募らせている。米中とのイノベーションギャップの縮小,脱炭素化と競争力のバランス,依存関係の低減などが主な指針になっているが,自動車はEUの産業政策のど真ん中に位置付けられるだろう。

 欧州の自動車産業はマッキンゼーによると,EUのGDPの7%,域内で1400万人の雇用を生み出しているが,2025年上半期の業績をみるとフォルクスワーゲン(VW),メルセデスベンツ,ステランティス(プジョー,シトロエン,FIAT等)の業績は,売上が前年比でそれぞれ0%,マイナス9%,マイナス13%,純利益が前年比でそれぞれマイナス37%,マイナス56%,マイナス140%と惨憺たる結果になっている。各社に共通するのはEV事業の不振であるが,市場の伸び悩みや米国関税に加え,中国との競争激化が要因になっている。EUは中国製EVに対し昨年10月から最大45.3%の関税を課しているが,英調査会社JATO Dynamicsによると今年8月の欧州での中国製自動車販売は約4万台以上で新車販売シェアは3.1%から5.5%に上昇しており中国勢の勢いが止まる様子はない。

 世界自動車販売の3割を占め独自動車3社が大きく依存する中国市場での今年上半期の新車販売シェアの内訳はAutomobilityによると,伝統的なICE(内燃機関車)セグメントでは,独VWが22%でトップシェアを維持しているが,BMWとメルセデスベンツは5%以下と苦戦している。他方,NEV(BEVとPHEVを合わせた新エネルギー車)セグメントの比率は50%に達しているが,5位のテスラ以外はBYDを初めとする中国企業がトップ10社を占めており,独自動車3社のシェアは1%台に低迷している。この傾向が今後も続けば,EV車の比率が高まるほど独自動車3社の売上が減少することが予想されるが,今中国市場で起きていることが欧州や米国市場では起きないという保障はどこにもない。

 筆者はジャパン・アズ・ナンバーワン(注1)がベストセラーになった1980年代から日本の大手電機メーカーで海外事業に関わり,半導体,携帯電話,液晶モニターなどの市場で当初は大きなプレゼンスを持っていた日本企業が,国際競争についていけず事業を縮小/撤退していった栄枯盛衰を目の当たりにしてきた。印象に残っているのは2007年にiPhoneが登場した際に,「これは携帯電話ではなく,貧弱な電話機能を付けたパソコンである」とある幹部が発言していたことだ。現実にはPCと携帯電話機能を融合させたスマートフォンは2010年代に携帯電話を市場から事実上駆逐してしまい,当時携帯電話で世界シェアNO1だったフィンランドのノキアも事業売却に追い込まれている。記憶しているのは携帯電話の売上が徐々に減少する中でも,「次にいい製品を投入すれば携帯電話ビジネスを立て直すことが出来る」という意識が社内に根強くあったことだ。

 「ゆでガエル症候群」という言葉がある。カエルを熱湯の鍋に入れるとすぐに飛び出して逃げるが,水から徐々に温度を上げると,変化に気づかず最後には茹で上がってしまうことを指している。デジタル技術は多くの産業を大きく変化させてきたが自動車も例外ではないだろう。深刻化する気候変動への対応を踏まえると移動手段の低炭素化は必然の方向性である。EUが内燃機関新車販売の禁止目標を設定した2035年はまだ10年先だが,欧州自動車企業がEVシフトを成功させることが出来るどうかはここ数年で明らかになるだろうし,今後の欧州の動向は,日本の自動車企業のEV戦略にも参考になる点が多いと考える。メルセデスベンツ,プジョー,ボルボといった各国大手企業は2030年までに欧州で販売する自動車は全てEVにすると当初発表していたが,ここに来て目標の修正/撤回の動きが出ている。また,ドイツのメルツ首相は2035年の内燃機関車の新車販売禁止の撤廃を10月のEU非公式首脳会議でも協議するとしている。EUは競争力強化のために環境政策も見直し始めているが,欧州議会の左派勢力は気候中立に向けた目標の維持を主張しており,その変更は容易ではない。自動車の付加価値の源泉が内燃機関からバッテリーや自動運転技術に移行するといういわば100年に一度のパラダイム変化に伝統ある欧州自動車産業とEUがどう対応していくかを注視していきたい。

[注]
  • (1)Ezra F. Vogel (1979) ”Japan as Number One: Lessons for America”, ハーバード大学出版局
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4023.html)

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