世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
2024年夏,習近平政権に何が起きているのか
(敬愛大学経済学部 名誉教授)
2024.09.09
この夏,習近平国家主席の健康不安説,政変やクーデター説,あるいは長老らの批判を受け入れて路線変更したなど,異変を伝えるさまざまな噂が飛び交った。一体何が起きているのか,過去の流れを振り返り,現在と今後を考える。
2012年の党大会で総書記に就任し,2013年の全国人民代表大会で国家主席に就任した習近平氏は,政治方針として,以下の4項目を掲げた。①中華民族の偉大な復興(中国の夢),②腐敗撲滅,③改革の全面深化,④言論統制の強化。ただし,改革の全面深化とは言うものの,国有企業や政府や国有株式企業の「公有制経済をいささかも揺るぐことなく強固にし,発展させ」民営企業の「非公有制経済の発展を揺るぐことなく奨励し支援し誘導する」ことを宣言。公有制経済に重きを置いていることから,改革開放にブレーキがかかることも予想されたのである。
周知の通り,腐敗撲滅は未曾有の規模で行われ,習近平政権の12年間で,政治局常務委員(党のトップ7人)や軍の制服組トップを含む500万人以上の党・政府幹部が処分された。中国では,出世のために上司に贈与し,出世したら部下の贈与を受けて投資を回収すること,利益誘導と謝礼の交換は,古来の文化である。贈収賄と呼べば犯罪だが,文化としての面もある。贈与のやり取りを一切やらない人は,周りを告げ口するかもしれない危険人物とみなされる。組織の文化である以上,染まらないわけにはいかないと聞いた事がある。徹底的に捜査すれば,大半の者は贈収賄の事実が見つかる。徹底捜査されないためには,上の覚えをめでたくすることが必須となり,憎まれるかもしれない率直な意見は,言葉にできなくなった。習政権の失政が少なくないのは,率直な意見を言う者は排除され,あるいは上から憎まれないために口をつぐんでいることが原因だと考えられる。
習近平主席の政治方針に対し,李克強首相は,経済政策の基本方針として,「成長率減速を受け入れる新常態(ニューノーマル)」という概念を掲げ,過剰設備削減とイノベーション促進,不動産投資抑制,構造調整,改革推進を上げた。
習近平国家主席と李克強首相の基本政策の食い違いは当初から知られていたが,政権発足の最初から,習主席があらゆる分野を直接掌握する体制を作ったことで,李克強首相の影響力は排除された。全分野を掌握する組織とは,①改革全面深化領導小組,②国家安全委員会,③ネット安全保障情報化領導小組,④国防・軍改革深化領導小組,⑤財政経済領導小組の5つであり,全ての長に習主席が自ら就任した。
こうした体制によって,改革開放政策の継承者であり,産業構造改革を目指した李克強首相は実権を失い,鄧小平が始めた1978年以来の改革開放政策は,逆回転し始めたのである。
習近平政権が,構造改革より成長率維持を優先させた結果,BIS(国際決済銀行)に報告された中国の企業債務の対GDP比率は,大きく上昇した。胡錦濤政権の2008年秋に起きたリーマンショックに対し,4兆元の景気対策を行った結果,2008年末にGDP比97%だった企業債務は,2009年末に115%に上昇した。しかし2011年には抑制に転じ,2012年初めは118%だった。ところが習近平政権になると,2013〜16年に160%にまで増え続けた。つまり,潜在成長率が低下する中で成長率を下支えするため,経済の主役と位置付けた国有企業に国有銀行から融資し続けたのである。雇用は守られ,成長率は下支えされたかもしれないが,過剰設備やゾンビ企業は温存され,不動産バブルは膨らみ続けた。また,2015年初めには人民日報が株への投資を奨励し,夏には株バブルが崩壊した。不動産バブルは放置され,2020年になってやっと不動産開発企業への融資規制が始まった。それから間もなく,管理された緩慢なバブル崩壊が続いており,金融破綻は銀行合併によって回避されているが,金融の機能不全は長期化するだろう。
2017年4月,習近平主席はトランプ大統領との最初の首脳会談で,貿易不均衡を是正する具体的な道筋を100日以内に示すことで合意。しかし実行しなかったとして,翌年から米国が大幅な制裁関税を課した。その後,バイデン政権になっても,安全保障上の理由で,米中対立は続いている。
2019年は香港の民主化デモが拡大し,苛烈な弾圧から犠牲者も出た。毎年8月,北京東方の海浜避暑地で,長老(引退した党指導者)の意見を現役の党指導者が聞く北戴河会議が行われる。2020年は,胡錦濤前国家主席,温家宝前首相らが,香港への対応を批判し,対米関係改善を強く求めたという噂が流れた。しかし,長老の意見を聞くことは文化であっても,長老に権限は全く無い。
「権力は銃口から生まれる」という毛沢東の言葉通り,中国の権力は,最終的に軍事委員会主席である習近平氏が握っている。
2022年8月の北戴河会議は,2か月後の党大会で習近平主席が慣例を破って3期目も続投する考えを明らかにしていた中で開催された。その会議で,長老たちが,習主席の内政も外交も,実績が悪いと強く批判したと見られる。なぜなら,会議直後の8月15日,共産党理論誌「求是」に,2021年1月に習主席が行った講話が掲載されたためである。「全党は完璧に,正確に,全面的に,新発展理念を必ず貫徹しなければならない」という講話を掲載した理由を,福島香織氏は次のように解釈した。政策が奏功していないのは習主席の「新発展理念」を,下部組織がきちんと実行していないからという責任転嫁だというのだ。
「新発展理念」とは,半導体国産化を含む中国製造2025や,一帯一路,北京南方の新首都・雄安新区の建設,北京証券取引所の設置などで,いずれも目指した成果は達成していない。
また,習近平政権の問題は,「理念」ばかりで具体策が打ち出されないことである。既に述べている通り,失政が多いのも,具体策を打ち出せないことも,有能な人材は排除されたか,上司の不興を買わないよう口をつぐんでいるためである。2022年10月の中国共産党第20期党大会で,習近平主席は3期目入りを実現した。対抗勢力だった共産党青年団(共青団)人脈の李克強前首相は完全引退。李克強は翌年,心臓発作を起こし,心臓の専門病院ではなく漢方の病院に搬送され亡くなった。次の指導者候補と目されていた共青団出身の胡春華氏は降格のうえ無任所となった。同じく共青団出身の胡錦濤前総書記は,外国特派員が傍聴する目の前で,議場から強制退去させられた。全てのライバルが排除されたこと,権力が一人に集中したことが内外に示された。
2022年春に国のゼロコロナ政策に従って上海をロックダウンし,市民から罵声を浴びる場面がテレビニュースで放映された李強市長は,党大会で政治局常務委員に抜擢。李強氏は浙江省党委員会秘書長の時,省の書記だった習近平氏の直属の部下であり,中央政府の経験がないまま,翌年の全国人民代表大会で首相に就任した。
党大会の翌11月から12月にかけて,各地の学生が,言論の自由が無いこととゼロコロナ政策を批判する意味を兼ねて,白紙を掲げる運動が起き,ゼロコロナ政策は急遽,全ての規制を撤廃する急転換となった。
経済も内政も外交も思わしくない中,ブルームバーグによると,2022年だけで,100万ドル以上の資産を持つ富裕層が1万人,国外へ脱出したという。その富裕層が持ち出した資産は合計480億ドルと報道された。
2023年7月上旬,イエレン米財務長官が北京を訪問。新旧の経済担当指導者と会談し,エコノミストや在中国米国企業と懇談した。中国政府の経済財政政策の少なくない疑問について,意見交換したと思われる。
デフレの兆しが強まり,7月は前年同月比で輸出8.3%減,輸入6.9%減,社会融資規模34%減,若年失業率,特に大学卒業生の就職先未定の率がかつてないほど高まったことが注目された。
また各地で水害が発生し,雄安新区を水害から守るため下流のダムを放水し,北京南西部の軍駐屯地を含む地域を水没させた。経済悪化が続く中,経済対策も無く,金利引き下げも市場の予想を下回り,中国経済に対する内外の不信感を増した。
通例では党大会翌年の2023年秋に開催される,次の党大会までの5年間の経済の基本政策を決める第20期中央委員会第3回総会(3中全会)は,半年以上遅れて,2024年7月に開催された。しかし,そこで決議されたのは,これまで習政権が続けて来た,国家富強のための技術革新や産業高度化,国有企業と政府統制を中心とする方針の継続が基本である。5年間の枠組みとは言うものの,不動産バブル崩壊と金融システムの機能不全をどう立て直すか,消費中心の経済にどう転換するか,若年失業率の上昇をどう解消するか,地方財政をどう立て直すかが,目の前の喫緊の課題だが,その具体策の方向が見えてこない。上海総合株式指数は,2024年5月下旬以降は下がりっぱなしである。
中央委員会会議の決議内容が期待外れだった以上に,驚くべきことが起きた。それは,開幕日に新華社が配信した「改革家習近平」と題する,習近平主席を鄧小平後の卓越した改革家として称賛する記事が,2日後に取り消されたことである。その後,8月22日の鄧小平生誕120周年記念日に合わせ,座談会や記念切手の発行などがあり,これまで書店に平積みされていた習近平著作集が撤去される事態が起きた。このことが,本稿冒頭に述べた,政変ではないかというさまざまな噂を呼んだのだ。
近年,あらゆる人材と資金が中国から脱出しようとしているといって過言ではない状況で,習近平氏と同様の革命功労者2世(太子党,紅2代などと呼ばれる)たちが批判を強め,鄧小平の地位に取って代わろうとする動きに強烈に反発したのではないか。今まで親しみをもって付き合っていた人たちから,強烈な反発を受けて初めて恐れを抱き,新華社の配信を取り下げ,鄧小平生誕120周年を盛大に記念し,自分の著作集を書店から撤去させて反省を示したのかもしれない。
また,これまで習主席から露骨に軽視されてきた李強首相が,8月中旬以降,経済政策の先頭に立つ姿も見られるようになった。前述の,李克強首相から経済政策の実権を取り上げた方法,全ての分野で自分を長とする組織を作ったことが,全ての問題の責任を一身に負うことになった今,今更ながらではあるが,それぞれの担当にやらせ,自分はその担当者の上に立つ方式に変えたのではないか。鄧小平を過去の人として,自分を21世紀の最高指導者と位置付ける試みは,長老ではなく,親しいと思っていたグループから厳しい反発を受け,心が折れたのではないか。だとすると,これからの政治外交の舵取りは,誰がどう牽引するのだろう。それは,全く予測がつかない,混沌の中にあるとしか言いようがない。
いずれにせよ,このクソ暑い夏は,北京でもウクライナでもガザでも,アメリカでも,暑苦しい事態が続いた。日中友好議連の団長は,訪中して「パンダをお借りしたい」と言ったそうだが,私たちは頭を冷やし,心を強くして,大変化に備えなければならないだろう。
関連記事
藪内正樹
-
[No.3449 2024.06.17 ]
-
[No.3372 2024.04.08 ]
-
[No.3345 2024.03.18 ]
最新のコラム
-
New! [No.3581 2024.09.30 ]
-
New! [No.3580 2024.09.30 ]
-
New! [No.3579 2024.09.30 ]
-
New! [No.3578 2024.09.30 ]
-
New! [No.3577 2024.09.30 ]