世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3273
世界経済評論IMPACT No.3273

第1の柱「貿易」はどうなる:インド太平洋経済枠組み(IPEF)交渉

滝井光夫

(桜美林大学 名誉教授・国際貿易投資研究所 客員研究員)

2024.01.29

 APEC首脳会議の前後,サンフランシスコで行われたIPEF会合は,昨年11月16日に終了した。しかし,IPEFの第1の柱である「貿易」の交渉は実質合意には至らなかった。

 先行して昨年5月,デトロイトの閣僚級会合で実質合意した第2の柱「サプライチェーン」は,11月16日,参加14ヵ国が協定書に署名し,今年1月5日,米国が日本に次いで2番目に国内手続きを完了した。協定は参加14ヵ国のうち少なくとも5ヵ国が国内手続きを完了し,協定受託書を寄託国である米国に寄託すれば,その30日後に発効する(IPEFサプライチェーン協定第21条)。

 IPEF第3の柱「クリーンな経済」と第4の柱「公正な経済」は,ともに11月16日実質合意されたので,最終合意の後,サプライチェーン協定と同様の手続きを経て発効する。このように,IPEFの4本柱のうち,「貿易」だけが積み残されてしまったが,11月16日にUSTRが出した報道声明(Press Statement)は次のように述べている。「貿易の柱ではとりわけ貿易の円滑化,包摂性,技術援助と経済協力,農業などの分野で進展をみている」「我々は相互に恩恵のある貿易の柱の成果に向けて,取り組みを続けることをコミットしている」。

 タイUSTR代表は「貿易」の柱を担当する議長だが,昨年12月7日,ワシントンで行われたアスペン・セキュリティ・フォーラムで講演し,「貿易の柱は約10課題からなるが,その半分は合意に向けて大きく進展した。2024年は政治の年だが,貿易問題はそもそも政治的なものだ。来年も交渉を続ける」と述べている。

 参加14ヵ国の交渉官が一堂に会して交渉を進めるのが,昨年11月までのやり方だったが,今後はとのように,どんなスケジュールで交渉を進めるのか,はっきりしない。しかし,交渉は続けるとUSTRは公約した。では,何がネックとなって,「貿易」の柱が合意できなかったのか。

合意できなかったデジタル貿易と労働者保護

 USTRは明言を避けているが,第1にデジタル貿易が最大の問題となったことは広く知られている。昨年10月25日,WTO共同声明イニシアティブ(JSI)会合で,米国は従来主張していたデジタル貿易の3原則(越境データフローの自由,データローカリゼーション要求の禁止,ソースコード開示要求の禁止)を撤回した。撤回は,今後バイデン政権が巨大情報企業を規制するための「政策余地(policy space)を確保するためだ,とUSTRは説明しているが,この方針転換は中国を利すると批判を呼んだ。

 もう一つの問題は,「労働者のための貿易政策」を掲げるバイデン政権の政策に関係する。2020年7月に発効したUSMCA(米墨加)協定には,労組の結成や労使交渉など,労働権を侵害された労働組合などの訴えを迅速に解決する「迅速対応労働メカニズム(RRLM)」が盛り込まれた。USMCA発効以降現在までに,米国側は19件のRRLMをメキシコ側に発動し(2023年だけでは13件),メキシコ側の労働権侵害を12件是正させている(12件以外の7件は係争中1件,調査中6件)。

 サリバン国家安全保障担当大統領補佐官は,昨年4月27日,ブルッキングス研究所で行った著名な講演で,労働者の権利侵害を外交によって解決すると述べ,その手段としてRRLMをIPEF協定に盛り込む考えを示した。RRLMは,タイ代表が以前,下院歳入委員会のスタッフだった時に考案したと言われるだけに,タイ代表はその仕組みや効果を熟知している。しかし,IPEFの途上国にRRLMを適用したら,途上国はたまらない。少なくともIPEFの現実に合わせて何らかの修正が必要であろう。

 米国市場の開放を交渉対象としない限り,協定は成立しないと言われた。しかし,FTA(自由貿易協定)ではないIPEFは3本の協定を18ヵ月で合意させた。その中には,サプライチェーンが途絶した場合の対応策を規定した初の多数国間協定,投資促進のためのクリーンエコノミー投資家フォーラムの開催(2024年前半にシンガポールで開催予定),水素が最初のテーマとなるCWP(協同作業プログラム)の発足など,画期的な計画が含まれている。

 柱ごとに協定が作られ,柱はそれぞれが独立しているから,4本の協定が全部揃わないとIPEFは動かないということにはならないが,今後各協定がすべて発効し,それぞれの計画が実行に移される。それに平行して貿易協定が合意され,発効する日が早く来ることを望みたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3273.html)

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