世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3111
世界経済評論IMPACT No.3111

しっくりこないEVの議論

鶴岡秀志

(元信州大学先鋭研究所 特任教授)

2023.09.18

 重たい物と軽い物を同時に落下させたらどちらが早く地面に到達するか? 実験で簡単に判ることであり,「ピサの斜塔実験」として有名な事実を軽んじることへの警告的逸話があるにも関わらず,技術をエンタのように扱うメディア・コメンテーターが多数存在する。「ローマ人の物語」の塩野七生氏曰く,PRの天才キケロの弁論術は法律や経済のプロを目指す学生が必ず学ぶことだが,科学と技術の結晶でもある軍事は,キケロの「黒を白と言いくるめる」弁論術とは相容れない。キケロはその演説が災いとなり殺される。

 中国BYDがEV市場でテスラを超える勢いで急速に成長したこともあり,自動車関連ニュースは中国と付随する欧州ブランドEV絡みでないと主要記事扱いにされない。我が国メーカー関連ではトヨタのランクル70が外装一新して販売の記事ぐらいである。一方,技術分野出身者や技術情報を丹念に追っている方から少しずつではあるがEVに対する疑問が示され,WEB上でも関心が高まりつつある。特にオランダ沖でメルセデスのEV車を積んだ運搬船が火事になったことから,欧州でEVの安全性とライフサイクル的エコに疑問が投げかけられているようである。

 多くの専門家が指摘しているように(マスコミは無視する傾向だが),リチウムイオン電池は決して安全な工業製品ではない。だからこそ欠点を克服する技術開発の地道な努力に焦点を当てねばならない。

 ほとんどのEV解説は電池について聞き齧り程度の知識で執筆しているとしか思えない。2000年代初頭から専門家の間で議論されているように,リチウムイオン電池はダイナマイト(トリニトロトルエン,TNT)に匹敵するエネルギーを持つ爆発・燃焼性の製品である。以下に,ピュア文系の方々には鬱陶しいと嫌われるが数値を並べてみた。なお,用いた数字は平均的な値である。

 第一に,リチウムイオン電池の電解液は消防法の危険物に該当するので保管数量制限がある。電解液は第四類第二石油類。保管数量上限は1000L(18650型電池で50万本。18650型は単三と単二の中間ぐらいの直径で長さが6.5cm)。また電池容量では4.8kAh(キロアンペア時)以上も消防法適用となる。一個のリチウムイオン電池の端子電圧は3.6〜3.7Vだがこれを直列に繋いで使うので,最新型のPHEVのプリウスは51Ah,電池266V。総電力13.6kWhのスペックとなっていて電池容量規制以下になっている。他方,巷に言う電池交換型EVの場合,電池保管場所の法令遵守はかなり困難である。「コストコ」のような電池保管用巨大倉庫を街中のあちこちに設置することは非現実的である。

 この電池交換型は,筆者が商社勤務時に電池メーカーなどと検討したが,消防法だけではなく次の点を含めて難問であった。通常,物質の持つエネルギーはジュール(J)で表す。しかし,TNT火薬のエネルギーは大きく,現場での取り扱いは1TNTトン換算で表示する。1TNTトンは4.184 x 106 kJ(キロジュール)。日経クロステックによれば,欧州車として比較的電池搭載量の少ないVW ID.3,58 kWh モデル(電池パック重量は約370kg)では,208800kJとなり,0.0499TNTトンになる。つまり,街中を約50kgのTNT火薬(ダイナマイト)と同じエネルギーを持つものが走っていることになる。ウクライナ戦争で使われている旧式のM1榴弾は「弾丸」として15kgなので,VW ID.3の威力は読者の皆さんのご想像にお任せする。可燃性危険物輸送には車両に「危険」「火気厳禁」の札を掲げなければならないが乗用車にそんなことをすれば持ち主は嫌だろう(国内でリチウムイオン電池搭載のHVを発売する際に国内メーカーは当局と議論したと聞いている)。このVW ID.3を電池交換型にした場合,「電池スタンド」には50〜200個程度の交換用電池を保管することが求められるだろう。ちなみに工場のプロパンガスタンク貯蔵施設は,新設の場合50mの空間を要求される。

 大きなエネルギーを小さな空間に押し込めた製品であることに加えて,リチウムイオン電池は厄介な点が少なくとも3つある。一つ目は,リチウムは水と接触すると爆発的に燃焼することである(映画「リボルバー・リリー」原作でも登場する)。この物性は変えられないので空気に触れないように電池ケースを設計製造するしか方法がない。二つ目は,電池内部に充填されている電解液は燃焼すると酸素を発生するので一旦火がつくと消化する方法が無い。どのような消化剤を使っても電解液自ら酸素を供給するので燃焼反応を止めることができない。パソコンなどは砂に埋めて酸素生成反応が収まるまで放置して延焼を食い止められるが,EVに搭載されている電池量では大型ダンプカー数台分の砂を運んでこなければならないので非現実的である。

 さらに,リチウムイオン電池は衝撃(加速度)を与えると発火しやすくなる。政府広報などでは落としたりして衝撃を与えたスマホを速やかに大型電気店やメーカーのサービスセンターに持ち込むことが推奨され,また,使用済みのスマホや電池パックを不燃物と一緒にゴミとして出さないよう注意喚起されている。耳目を集めた事件として,2013年に日本航空のボーイング787がボストンで駐機中に電池が発火,ANAのB787が飛行中に電池から煙が出たことを記憶されている読者の方もいると思う。これらの電池は宇宙ロケット用も製造しているGSユアサ製だったので万全の体制で臨んだものの事故が起こってしまった。電池に加速度が加わることにより正極と負極が短絡することが原因だが,その現象の説明は複雑なので省略する。

 危なくてもメリットを享受しようと努力するのが工学である。単位体積あたり爆弾同等の高エネルギーの取り扱いや衝撃による発火を防ぐ手立ては,我が国では旭化成・吉野博士の実用化技術確立以降,大きな研究課題であった。電池ケースの密閉性向上,電解液の難燃化はもちろんのこと,容量の大きな電池を登載する航空機や自動車では爆発を抑える堅牢な電池ケースの開発が行われている。筆者はB787の電池発火に先立つ2010年前後に,中国や韓国がライセンスを受けて製造している燐酸鉄リチウム型の開発を行っていたカナダのThe Hydro Québecの研究所を数回訪問した。この研究所では電池セルやパッケージに衝撃を与えて大規模爆発させる試験設備を保有し,安全なリチウムイオン電池の開発を進めていた。この「爆発実験」の様子を見聞したことで21世紀初頭から我が国の研究機関やメーカーが全固体電池や電池セル構造,電池ケースの開発に注力していることを理解した。

 現在のリチウムイオン電池は,電池セルの密封性と電池パックを収めるケースの堅牢性を担保することで実用化している。急速に普及するEVでは電池搭載量を増やすことで欧州車はウリである加速度や長距離走行を宣伝しているが,電池重量だけで数百キロを超えるので高性能を標榜するために日米メーカーのように堅牢だが重量増に繋がる電池ケースを使っていないと伝聞されている。欧州や中国のように規制撤廃を主張する方も多いが,都心部の地下駐車場で一台の欧州製EVが出火したらどのような事態になるか,またその際の対処方法を具体的に示して議論をしてもらいたい。

 コロナ以前に突然沸き起こりあっという間にバブルが弾けた電動自転車のシェアサイクルビジネスは,バブル崩壊後,多数の自転車が電池ごと空き地に放棄されている。EVは市場規模も桁違いであるので空き地への大量放棄は回復不可能の環境破壊になる。新技術が内在する危険性を乗り越えるために技術者とメーカーは日夜励んでいる。かたや,金融市場や食レポと同じように扱うことは大変憂慮すべきことである。EVを囃し立てるメディアは今一度リチウムイオン電池の技術の基礎を学び直して欲しい。素人が技術を弄ぶと結末は悲惨である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3111.html)

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